第30話 誰の為のネットニュース

 飲み会を終え、先ほど別れたはずの玉木さんとの気まずい再会。しかも逃げ場のない満員電車の中。

 だがどうにも彼は、それどころではないようだ。顔色が非常に悪い。


「中村さんにたくさん飲まされていましたもんね」

「あいつ、酒の席だとフーリガン化するんだよ……おまえも飲まされたろ」

「いや、たぶん玉木さんに対してだけだと思います」

「なんでだ……」


 一通り飲み会の感想を語り終えると、私たちの会話は自然と途切れる。肩が触れ合うほどの距離が、余計に居心地の悪さを助長する。


「……満員電車は久々だろ。早番でも遅番でも、ラッシュから外れるからな」

「確かに、遭遇する頻度は少なくなりましたね。でも学生時代からずっと経験してるんで、別に辛くはないです。もう何も感じません」

「しんどいもんはしんどいだろ。たとえ慣れていたとしても。どうでも良いところで強がるなよ」


 またトゲトゲしい言い方である。何を苛立っているのか。いや、この小うるさい言動が玉木さんのデフォルトなのか。


 入社して3ヶ月が過ぎたが、玉木さんとはプライベートな話をしたことがない。今回の飲み会でもあまり絡めなかった。隙を見て逃げようとする人なのだから当然と言えば当然だ。


 仕事上の会話では教育係だった中村さんに次いでコミュニケーションをとってきた玉木さんだが、彼の本質的な部分は、いまだ掴めていない。


 アナウンスが流れ、電車がゆるやかに減速する。

 その時、玉木さんが震える声で囁いた。


「……俺、降りるわ」

「え、最寄りはあと2駅先ですよね」

「……気持ち悪い……立っていられない」

「えぇ!」


 プラットホームに降りてすぐ、慌てて私は玉木さんをベンチまで運ぶ。


「いや、おまえは帰れよ……」と呟く玉木さんをよそに、私は自販機で水を買い、濡れたハンカチを用意し、カバンからビニール袋を取り出す。


「どうぞ、いつでも吐いてください」

「吐かねえよ……」


 玉木さんが飲み会を敬遠する理由がよくわかった。

 酒に弱い上、中村さんという天敵が同席しているとロクな目に合わないからなのだろう。単純に面倒だとも思っていそうだけれど。

 とにかく中村さんには今度、一言注意しておこう。


 濡れたハンカチで目を覆う玉木さん。溶けてベンチと一体化するかのように、どっさりともたれかかかっている。


「悪いな、ほんと」


 珍しい謝罪の言葉に、「ひゅっ」と変な息が漏れてしまった。


「大丈夫ですよ。明日休みですし」

「……あぁ、代休か」


 そう、日曜出勤の振替休日。

 戻れるのなら戻りたい、あの日だ。


 反芻される苦悩が表情に表れていたのだろう。ハンカチから片目を覗かせる玉木さんは、しばらくの沈黙の後にボソッと尋ねた。


「おまえ、まだ炎上のこと気にしてんのか?」

「……当たり前じゃないですか」

「これ以上酷い状況にはならないだろ、たぶん。謝罪文を公表してからは特に燃え広がる様子もないし。金森もあれ以降、発信していない」

「……だからって、私が能天気にしていたらおかしいじゃないですか。私のせいでポケニューの信頼度を落としたんですから」

「そこかよ、気にするところは」


 玉木さんの指摘の意味が、私にはわからなかった。

 その不明瞭な発言が、あろうことかトリガーとなった。私は長い間溜まっていた不満をぶつけてしまう。


「玉木さん、私ずっと納得できないことがあるんですけど」

「なんだ」

「私が入社した初日、言いましたよね。ネットニュースで世界は良くならないって。何でなんですか……編集長なのに、どうしてそんなこと言ったんですか?」


 運用がうまくいった日も、中村さんやオーランドさんに称賛をもらった日も、常にお腹の底でゴロゴロと転がっていた、あの日の玉木さんの言葉。

 真っ向からの質問に、玉木さんは再びハンカチで目を隠しながら、語り出す。


「……草野多聞って、覚えてるか?」


 唐突な、意図のわからない質問。

 しかしその名前を知らないわけがない。


 4年前、俳優・草野多聞の名前は日本中に轟いた。

 彼は当時、ボランティア団体を運営していた裏で、知り得た個人情報を特殊詐欺グループに横流ししていた。その資金の一部は、団体の運営費に充てていたという。


「あいつ、俺の先輩だったんだ」


 血液型でも言うように、玉木さんはさらりと告げた。

 私は衝撃で言葉を失う。しかし、理解に至るまでも早かった。


「あ、俳優時代の……」

「そうだ。逮捕されるまで、10年来の付き合いがあったな」


 玉木さんは元俳優。つまり事件発覚前の草野と、交流があったということか。

 俳優時代の話を聞くのは、これが初めてだ。


「尊敬してたよ。バイトしながら舞台に立って、なのに休みの日には被災地や施設でボランティア活動。俳優としての実力も、俺なんかよりずっと上だった。世界をより良くしたいって、恥ずかしげもなく口にする人だった」


 聞き覚えのある文言に、心臓がキュッと縮まる。


「そのボランティア活動が、ネットニュースに取り上げられたことがあってな。ネットの反応の大半は称賛だったよ。まあそれがきっかけで名前が大きくなったと勘違いして、小さな声が聞こえなくなったんだろうな」


 ニヒルに笑う玉木さん。瞳は見えず、本当の感情をうかがい知ることはできない。


「でもネットの反応の中には、偽善や売名だと揶揄する声もあってな。その時の俺は心底呆れたよ。こいつらは世界が良くなればいいなんて、まるで思っていないんだろうなと」


 それから数年後、玉木さんは俳優を諦めポケニューに就職したという。事件が発覚したのは、まさにその年のことだった。

 ネットでは「それ見たことか」との得意げな声で溢れかえった。


「結局みんな、自分が良ければいいんだ。そりゃそうだ。こんな自分のことで精一杯の、狂った理不尽な世の中なんだ。世界の平和を願ってる場合じゃねえんだ」


 玉木さんがなぜ俳優を諦めたのか。その理由はわからない。

 しかしその言葉は、売れない俳優として苦しみ、生きる為にネットニュース編集者となった玉木さんだからこそ口にできるものなのだろう。


「ポケニューから、世界を良くしたい」

「……え?」

「入社初日、おまえはこう言ったな」


 私は、頷くしかない。


「今のおまえは、できているか?」


 玉木さんの片目が再び、私を捉えた。

 瞳の奥に、淡い光が浮かぶ。


「ポケニューは、誰の為にあるんだ?」




 玉木さんと別れ、帰宅するまでの間、脳が自然と自問自答を繰り返す。


 世界をより良くしたいとの野望は、あの日確かに持っていた。

 だが今回の炎上のきっかけになったのは、そんな思いとは正反対の感情。

 情報の最前線に立った驕り。そして金森あずさのファンとして、一番に発信したいという盲目的な欲。自身の愚かさに、吐き気がした。


 いつからだ。私の求めていたものが、世界の平和からPV数にすり替わったのは。手段だと思っていたものしか見えなくなっていたのは。


 自宅に帰ってテレビをつけると、鳥肌が立つほど懐かしい曲が聴こえてきた。

 過去のヒットチャートを総ざらい、との字幕が踊る画面に映っているのは、金森あずさ。あの時代に輝いていた衣装は、今ではもうこんなに古く感じてしまう。


「私は何者でもない」

「世界の何処かにいる小さな君に、寄り添うだけ」


 昔日の金森あずさが口にする歌詞のひとつひとつが、融け入るよう身体に、心に、染み込んでいく。

 涙は、しばらく止まらなかった。

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