第27話 ポケニューの炎上姫


 再び早番トップページを任されたその日の朝。電車内でSNSを開くとすぐに、とあるニュースがネット上を賑わせていることがわかった。


 サッカー選手の溝上拓海と元TV局アナの和谷美加が離婚。


 去年の国際大会で大活躍し、現在はドイツのクラブに所属する溝上は、スポーツに疎い私でも知っている有名選手だ。

 和谷も局アナ時代は人気アナウンサーランキングで3位を獲ったことがある人物。彼らの結婚が発表された時は大きな話題になった。


 それが結婚生活3年にも満たず離婚となれば、世間が騒がないわけがない。


「いやーびっくりびっくり。お似合いだと思ったんだけどねぇ」


 サッカー事情に詳しい中村さんは、職場で顔を合わせた途端にこう語った。


 列島がどよめく、ひと組の夫婦の終着点。

 溝上さんたちには申し訳ないが、それは私にとって大きな追い風に他ならない。


 果たして朝のピークタイムは、溝上と和谷の離婚の第一報記事が大反響を呼び、目標数値に余裕を持って到達。最高の滑り出しだ。

 しかし、幸先の良いスタートから右肩下がりで昼ピークは散々、という最悪の1日を私は経験している。改めて気を引き締めなければ。


 何か騒動が起こった時、ネットニュースにおける大まかな流れは決まっている。

 第一報の後にワイドショーの司会やコメンテーターの反応、ネットの反応を書き起こした記事、その後騒動を紐解く考察記事。

 そうして何も問題が発生しなければ収束していく。


 ちなみにそこで騒動の当事者がウソをつくなどの余計な行動、いらぬ発言をしてしまうとさらに長引いてしまう。

 悲しきかなそんな人物を我々日本人は何人も見てきた。


 今回の離婚騒動は早朝に発表された為、朝のワイドショーでの発言やネットの反応は昼前には使用しなければならない。古く感じてしまうからだ。


「蒼井さん、どう? 溝上関連の良い記事きた?」

「うーん、芳しくないですね……」

「記者たちも寝耳に水だったんだろうね、今回の離婚は。昼ピークまでに使える考察記事が来るとは思わない方がいいね。昼のワイドショーで触れるだろうし、溝上関連は一度置いておいて、別のネタを探すべきかも。良い記事があったら教えるよ」


 中村さんの言う通り、一度頭を切り替えようとした、その時だ。


 ずらりと並ぶ配信記事の中から「溝上不倫?」との一文を見つけてしまった。言わずもがな、ゴシップネタを中心としているメディアからの記事だ。


 溝上は飛躍を遂げた国際大会以降、女癖が非常に悪くなり、結果和谷に見限られたことで離婚に発展。そう「関係者」が証言している内容。記事には先月撮られた、溝上を含めた男女複数人がはしゃいだ様子で繁華街を闊歩する写真も載っていた。


 信憑性という点では微妙だ。

 毎度のことながら「関係者」とは誰なのだ。この写真も、ただの会食の帰りと言われればそれまでだ。


 ただSNSでは「関係者」同様、溝上の女性問題による離婚と予想する意見も多い。

 溝上は結婚する前に一度、派手な合コンの様子を写真週刊誌に撮られたことがあった。だが和谷と結ばれて以降は夫婦でのCM出演などで好感度を上げ、それまでのイメージを払拭。


 だが、人の醜態を絶対に忘れない人間というのは、けっこういるものだ。


『人はそう簡単に変わらない』


 溝上さんと会ったこともないだろうに、彼の不倫を予想するSNSの人々はこう評していた。


 このゴシップ記事は、使える。

 一部SNSの流れもこの記事に傾いている。写真に映る姿も、はっきり言って不誠実に見える。この状況ならトップページに掲載しても、批判地獄には陥らないはずだ。


 そして間違いなく、この記事は伸びる。

 いま列島が求めている情報は、離婚の原因だ。この記事はその可能性のひとつを提示している。ユーザーのエモーションを加速させる、最高の起爆剤だ。


 そうして迎えた12時。

 世間の皆さまが休憩に入ると同時に、私は件の記事を発射する。


 和谷との離婚 溝上に女性問題か


 トップページに掲載したその瞬間、手応えを感じた。


「今日はいけるよっ、蒼井さん!」


 開始10分で、中村さんが満面の笑みでこう言い放った。

 溝上不倫のゴシップ記事は大方の予想以上に大爆発。SNS上でもあっという間に拡散されていき、他の掲載記事と比べて異次元の伸びを記録している。


 つい先ほどのワイドショーではコメンテーターが溝上と和谷を痛烈にイジり、その書き起こし記事も上々。

 溝上ネタ以外にも、中村さんが見つけてくれたマンガの盗作疑惑をめぐる記事もグイグイ伸びていく。


 あとはここに堅めのネタが入ったなら、ラインナップのバランスも良くなるのだけれど。そう考えていた時だ。


「蒼井、11年前の事件の判決がいま出たらしい。けっこう有名な事件ですぐ記事が来るだろうから、準備を……」

「超それです!」

「えっ」


 脳がヒートアップしているせいで、ついハジけた返答をしてしまった。玉木さんは怪訝な表情で「まぁがんばれ……」と露骨に心の距離を取る。


 玉木さんが薦めた判決記事も、ものの数分で配信されてきた。大きな波紋を呼んだ事件だけあって反応が良い。現状トップページに並んでいる9本のすべてが好調という、夢のような光景が広がっていた。


 熱くなっている頭が、胸にある高揚感の正体を突き止める。

 その時私は初めてこの職場が、愉快に感じていた。

 自身が情報の先頭にいること、そして自身の発信で多くの人がエモーションを感じていること。その事実に自覚すると、良い知れる快感が身体中を走った。


 昼のピークタイムも終盤だ。今までで最も忙しかった1時間、その終わりが刻一刻と近づいている。脳は疲労を感じ始めた。


 それでも、この時間が永遠に続けばいいと、そんな感情さえも生まれていた。




 時は過ぎて、14時前。

 出勤したオーランドさんは、疲労困憊の私を不思議そうに見つめていた。だがパソコンを起動し、本日の成績表を見た途端に目を見開く。


「蒼井ちゃん先輩っ、ついにやっちまいましたね!」

「問題を起こしたみたいに言わないでください……」

「いやぁけっこうギリギリだったよー、このゴシップ記事。燃えてもおかしくなかったよー。蒼井さんはポケニューの炎上姫だからなぁ」

「一度しか炎上してないのに変な肩書きやめてください中村さん!」

「いや、あのゴシップ記事は良い攻めだったぞ。コメント欄の反応も悪くないしな。おまえはこのままポケニューのゴシップ姫になれ」

「もちろん嫌ですからねっ、玉木さん!」


 その日、私はこのおかしな職場において初めて、一人前になれた気がした。

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