第26話 コメント欄には御用心

「タイトルに気をつければ、芸能ゴシップは入れても良いぞ」


 この日の反省会には中村さんだけでなく、玉木さんも参加した。

 ゴシップ記事の取り扱いについて、彼はこう述べる。


「読み物として面白い記事はけっこうあるからな。芸能ニュースなんてそもそもがくだらないんだから、そんな噂話を掲載するのも良いだろ。うちはそこまで硬くはないしな。ただ政治と宗教のゴシップはやめとけよ」

「ポケニューの信頼も問われるから、諸刃の剣だけどね。それでも数字は取れるから、ヤバいって時には使っちゃうよね」


 中村さんも手放しに肯定してはいないが、ある程度は受容しているようだ。


 上司2人に承認されながらも、しつこい抵抗感に苛まれている様が私の表情から伝わったらしい。玉木さんは「バカ真面目だな」とボヤくと、ひとつ提案する。


「そんなに気になるなら、記事へのコメント欄を見ればいい」


 ポケニューでは記事のページに、ユーザーがコメントできる欄がある。記事の内容に対する賛同や批判など様々な反応が寄せられ、時にはユーザー同士の議論にまで発展する、特殊な場所だ。


 玉木さんはPCで、私が昼にあげたゴシップ記事のページを開いてみせた。


「半数は面白がっていたり本気にしているコメントだろ。こういう反応が多ければ掲載しても問題ないってことだ。だから今後はゴシップ記事を掲載したらコメント欄を確認して、許容範囲かどうかの線引きを自分で確認するんだ」

「でも、批判もありますよね……」


 半分以上は玉木さんの言った通りだが、中には「くだらない」「こじつけだ」「他に掲載すべき記事がある」などの批判も見られる。これらを無視するのは、難しい。

 中村さんは苦笑しつつ告げる。


「でもそういう批判は、ほぼすべての記事にあるからねぇ」

「おまえもニュースサイト運用者の一員なんだから、良い批判は拾って悪い批判は無視、くらいのスキルは持っておけよ」


 何だか不思議な言い回しが聞こえた気がした。


「批判に良いも悪いもあるんですか?」

「そりゃあるだろ」と言うと、玉木さんはまた別の記事のコメント欄を見せる。


 記事の内容はこうだ。

 バラエティ番組にてお笑い芸人がアイドルの顔をイジって泣かせ、ファンから批判が殺到している、とのこと。


「この2つのコメント、どっちが悪い批判かわかるか」


 ひとつは『女の子の顔を悪く言うクズ』。

 もうひとつは『自分も変な顔してるくせに』。


「前者ですかね。クズは言い過ぎのような……」

「確かに強い言葉を使うのはいただけないが、正解は後者だ」


 中村さんは問題の意図に気づいているらしい。玉木さんに促され、解説する。


「この芸人が非難されるべき点は、人の顔をバカにしたってところだよね。前者はちゃんとそこを突いているけど、後者は微妙にズレてる。顔が良ければ人の顔を悪く言っていいわけじゃないでしょ?」

「そうか、確かに……」

「つまり後者は批判の皮を被った罵言なんだよ。この芸人を傷つけることを目的としているコメントなんだ。攻撃を優先するがあまり、ズレが生じていることに気づいていない。これが悪い批判の例だ」

「良い批判は、相手を正すという目的での発言のことだね。まあクズって書いている時点で、前者のも攻撃的な要素もあるけどね」


 つまりは記事のコメント欄にある、こちらの間違いを正すような批判だけを受け止め、傷つけるのが目的の批判はスルーすべき、とのこと。


 理屈はわかった。必要な行為だということも理解できる。

 しかし、そう簡単に割り切れるだろうか。


「記事への反応のデータを頭に入れて、より世論に沿った線引きができる脳みそに仕上げたほうが良いだろ。頭ガッチガチ子だからな、おまえは。どうせいつかまた炎上するんだし、ビビらずどんどんゴシップ記事あげればいい」

「今のも前者が良い批判で、後者が悪い批判だね」

「…………」


 2回傷ついている時点で、どちらも立派なパウ案件です。




 実はこれまで私は、記事のコメント欄をあまり見ないようにしていた。

 原因はただひとつ、春先の「信長の同級生」事件だ。致死量ほどの批判が寄せられたあの記事のコメント欄はトラウマになっていて、今でも夢の中で蘇っては飛び起きるほどだ。


 あれから3ヶ月。トラウマと向き合うのはまだ早い気もするが、仕事なのだからそうも言ってはいられない。

 私は一旦トップページの担当から外れ、芸能ページにて再び修行。ゴシップ記事をいくつか試してみた。


 芸能人夫婦の別居や有名人同士の確執、薬物使用、枕営業、整形、カツラなど、様々な疑惑がひしめき合う、ゴシップネタを中心としたメディア。

 ポケニューで取り扱っているのは4社と数は少ないが、それらの記事はどれも刺激的で異色の存在感を放っている。


 掲載すれば、やはりと言うべきか数字の伸びは良い。

 見出しのお尻に「か」や「?」と付けることで真偽のほどを曖昧にしているが、それでもユーザーを好奇心をしっかり掴んでいた。


 そうして玉木さんの指令通り、コメント欄を確認する。

 意外だったのは、想像していたよりも批判的なコメントが少ない点だ。前にオーランドさんが言っていた通り、噂話という前提を理解した上で楽しんでいる人も多い。


 好意的コメントに分類すべきかは定かでないが、おそらく登場する芸能人のことがそもそも嫌いなのだろう、記事を肯定した上で徹底的に攻撃する人もいる。それは正直、人としてどうかとは思う。


 では批判が少ないかと問われれば、もちろんそんなことはない。


「わっ、蒼井さん鼻血出てるよ!」

「えっ、うわわ、すみません」


 中村さんは慌ててティッシュ箱を手渡す。鮮血が滲んでいくティッシュペーパーを見て、中村さんは顔を青ざめさせていた。


「ど、どうしよう……医務室行く?」

「大丈夫です大丈夫です、たまにあるので。じっとしていれば治ります」


 中村さんは最後まで老婆心の塊のような顔をしていた。彼が温かな感情を表に出すたび、フーリガン時代の写真が脳をかすめるのは、私の最近の悪い癖である。


 それはそれとして。

 ゴシップ記事のコメント欄には、常に一定数の批判がある。どんな内容の記事でも大抵書かれているのは「報道機関が噂話を載せるとは、けしからん」「芸能人のプライベートをなんだと思っているのか」など。ごもっともだ。


 中には鼻血が出るほどの人格攻撃もある。これがいわゆる悪い批判だろう。


 つまりはゴシップ記事とは、ドーピングなのだ。

 ひとたび掲載すればPV数をグンと伸ばす。しかしポケニューの信頼に陰りを与える、という代償もある。一歩間違えれば「信長の同級生」事件の再来待ったなしだ。


 そんな諸刃の剣をどう扱うべきか。そこで必要になるのが「バランス感覚」だ。

 ゴシップの中にはあまりに現実味のないネタや、不謹慎なネタもある。それはまず何があっても使わない。あくまで噂話として面白さを担保しつつ不健全でありすぎないネタ。こんな微妙なボーダーラインを把握しなければならない。


 玉木さんが言っていた「線引きができる脳みそ」づくり、ある程度ゴシップ記事とコメント欄に触れたことで、やっとその意味が理解できた。


 なればこそ私は、鼻血を出してでも、ユーザーの忌憚なき意見を受け止めなければならないのだ。

 すべては早番トップページ、昼の目標数値超えを達成するために。

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