第25話 悪魔のスパイス、ゴシップ記事

「これ、今日撮れたヤツ」

「ほ、ほう、これはなかなか……」


 元井川さんは私のスマホを食い入るように見つめ、頬を緩ませている。

 今日撮影した、オーランドさんが玉木さんを飲み会に出席させようと戯れている瞬間の写真である。


 とあるカフェチェーン店にて。

 元井川さんと密会するのは、決まって社外の店。つまりそれだけいかがわしいことをしているのだ。

 

「ではそれも、いただこうかしら」


 絵画の買い付けのような口調である。


「良いけど、絶対に外に流出させないでね。確実に私が疑われるんだから」

「分かってるわよ。分別はわきまえてるわ。仮に私が今日死んでも、親にさえサルベージできないように保管してるから安心して」

「なら良いけど」

 

 普段なら、用が済んだら早々に解散するところだ。

 だがふと気づくと、元井川さんがじっと私の顔を観察していた。


「な、なに?」

「いや、なんか疲れた顔してるなと」

「あぁ……ここのところちょっと仕事が大変でね」

「そういえば最近あなた、トップページの運用をしてるわね」


 校閲はポケニューのすべてのページをチェックしている。

 無論、誰が運用しているのかも把握済みなのだ。


「うん。いま試用期間みたいな感じで……でも、あんまりうまくいってないんだ」

「そう」


 元井川さんは短い相槌を打つと、ソーサーを胸元まで持ち上げ、紅茶を口に運ぶ。

 この話題には、さして興味はなさそうだ。


 しかし、先に退席しようと財布を手に取ったその時、元井川さんは独り言のように呟いた。


「私は校閲だから、PV数のことはよく分からないけど」

「え、うん」

「あなたの運用するトップページは、他の誰よりも『きれい』だと感じるわ」

「へ、へぇっ?」

 

 予想外すぎる発言に、私は思わず財布を落としてしまう。

 慌てて拾う私を見て元井川さんは「何やってるの」と呆れる。


「ど、ど、どういう意味っ? きれいって……へぇっ?」

「落ち着きなさいよ……」


 言われた通り落ち着こうと、深呼吸。

 そうして彼女の次の言葉を待った。


「『きれい』っていうのは、毒気が無いってこと」

「……というと?」

「端的に言えば、ゴシップみたいな信頼できない記事が少ない、洗練されたページになっているってこと」

「あぁ、なるほど……」


 初めてと言って良い。元井川さんに褒められた。

 しかしそれは、いままさに頭を悩ませている問題そのものでもある。


「実はそれで悩んでて……ゴシップ記事を掲載するかどうか」

「なんで?」

「トップページの運用を始めて数日なんだけど、全然目標の数字に届かなくて。中村さんとかオーランドさんに相談したら、ゴシップ記事で数字を稼ぐべきだって……」


 ギリリッ……と歯軋りが聞こえた。見れば元井川さんが鬼の形相をしていた。


「……はっ、ごめんなさい。『中村さんとかオーランドさんに相談』ってところが気に食わなくて」

「そ、そう……ごめん、迂闊だった」


 こんなに会話が難しい人は初めてだ。

 改めて、話を続ける。


「でも私は、あんまりゴシップ好きじゃなくてさ。信頼性の怪しい記事を掲載するのは、ポリシーに反するというか……」


 ひととおり吐露すると、元井川さんは少しの間、無言で手元の紅茶を眺める。

 答えに迷っているのだろうか。


「……私個人の意見だと」


 唐突に、話し始めた。


「私もゴシップ記事は嫌いね。有名人にプライベートはない、多少ウソがあって構わない、とでも言いたげな雰囲気が、特にね」

「……だよね」

「ただ校閲の立場で言うと」


 真面目を絵に描いたような真っ直ぐな瞳で、元井川さんは告げる。


「信憑性に欠ける記事であっても、見出しの最後に『か』とか『?』を付ければ許容してよしと、上から言われてる。つまり会社のルールとして、ゴシップ記事の掲載自体は良しとされている。もちろんあまりにひどい内容ならNGだけど」

「…………」

「だから校閲として、あなたがゴシップ記事を掲載することを咎めることはないわ」


 それは、純白とは言い難い意見。

 しかし1人の社会人としての、紛れもない正論だ。


「……加えて、もし私が右か左かで迷うことがあったなら」


 最後に一言、元井川さんは囁いた。


「私は、信頼する同僚の声に耳を傾けるかもしれないわね」


 ****


 翌日の朝ピークは、前日とは打って変わって目標数値よりも大きく後退した。

 入ってくる最新ニュースはどれもネタとして弱く、あげくミスも連発。


「蒼井さんっ、7枠の田上さんは故人だから敬称つけて!」

「す、すみませんっ、すぐつけます!」

「3枠、表示されている画像の人は別人だよ! すぐ差し替えて!」

「すみません、すみません!」


 完全に、足を引っ張っていた。

 世界を良くするどころか、この小さな社会の中でさえ、足手まといになっている。確実に、私がいない方がPV数が取れているような状況だ。


 このままではいけないと、私は昼ピークまでの間、必死で使えそうな記事を探す。


 ふと、ひとつのゴシップ記事が目に留まった。


『成沢健と三宅坂スモモが熱愛か! スモモが縦読みで「けんすき」?』


 俳優とアイドルの熱愛疑惑。

 アイドルのSNSでの「匂わせ」投稿を軸に、熱愛の根拠を書き連ねている。テレビ関係者の証言もある。


 両者ともその業界では一線級の芸能人だ。もしも熱愛が本当なら大スクープだろう。とても刺激的で、これ以上ないほどエモーショナルな内容だ。


 だがこの記事の信頼性は、微妙だ。

 芸能界での接点が見えない2人であり、「匂わせ」投稿はこじつけとも取れる。そもそもテレビ関係者とは何者なのだ。


 スルーする理由はいくらだって浮かぶ。それでもこの記事から目が離せないのは、昨日のオーランドさんの甘言が頭で反響し続けているからだ。


『ゴシップ記事、試してみれば良いんじゃないすか』

『そういうのもユーザーに求められてますって』

『僕も中村さんも、トップページにほんのりスパイス効かせる程度に使ってますし』


 私の中で、道徳心とオーランドさんの意見がせめぎ合う。

 社会的に正しくないが、手っ取り早く数字を取れてしまう。ゴシップ記事とはなんて悩ましい代物か。


 結局は決断できないまま12時になってしまった。

 ゴシップ記事を使おうか迷ったまま迎えたピークタイムは、例によってネタが枯渇しており、幕開けから厳しい戦いが強いられた。


 例えばひとつ大きな話題でもあれば、それを軸に複数の枠を埋められる。そこで、今日イチで伸びた記事を探ってみた。


 路上で女性に「汗ちょうだい」逃走


 ダメだ。まず今のところ続報はないし、そもそも変態おじさんの事件を軸にしたトップページなんて、地獄絵図だ。


「今日も厳しそうだね……もう記事のストックない?」

「そうですね、ストックはもう……」


 そこで再び目に入った、成沢健と三宅坂スモモのゴシップ記事。

 掲載する勇気はなかったが、ストックから取り去ることもできなかった。まるで自身の中途半端な覚悟を示しているかのように、そこにあった。


 ピーク時間は残り30分。

 私は、腹を決めた。


 絶対条件として、見出しには細心の注意を払う。確定情報でないことを強調しつつ、エモーションを誘発する言葉を使ってリタイトル。

 

 成沢健と三宅坂スモモに熱愛疑惑か


「疑惑」という曖昧な単語、更に「か」の1文字で真偽の不明瞭さを演出。

 慎重に慎重を重ねたリタイトルを終え、恐る恐る掲載。悪戯をした後のような緊張と興奮が、身体から湧いて出る。

 これが、初めてゴシップ記事に頼ってしまった瞬間だった。


 掲載して3分で、その効果は如実に表れた。

 ゴシップ記事のアクセス数は爆発的に伸び、思わず慄いてしまった。他の記事と比べて、2倍以上の伸び率を記録。ここまでの好反応をもたらした記事は、不倫騒動に関する大学教授の不適切発言以来だった。


 ネットの反応を見てみる。

 信憑性を疑う声もあるが、大抵は面白がっていた。オーランドさんの言う通り、真偽のほどは置いておいて、その記事自体を楽しんでいるようだ。


 ゴシップ記事はピーク終了まで伸び続けた。結果としてトップページの総PV数は目標数値には届かなかったものの、これまででも上々の数字を叩き出した。ほとんどゴシップ記事の功績と言っても過言ではなかった。


 だからこそ、後悔せずにはいられなかった。


「もし、あの記事をピーク序盤から入れていれば……」


 初の目標数値達成のチャンス、自らの臆病さが邪魔をした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る