第23話 屈した私が見たいなら
「だから言ったじゃないすかー、早番は甘くないって」
遅番で出勤してきたオーランドさんは、私の顔を見てまずこう言った。よほどくたびれた表情をしているのだろうか。
「遅番にはピークというピークは無いんすよ。夕方から徐々にユーザーが増えていくってだけなので。だから2回もピークがある早番の方が大変なんすよ。僕も何回か早番のトップページやったことありますけど、できればもうやりたくないですね」
まずあんな早く起きれないですけど、とオーランドさんは無邪気に笑う。
「確かに、遅番とはまた違う雰囲気がありましたね……」
「でしょ。あれをほぼ毎日やってる中村さんには、尊敬しかないっすよ」
その後、オーランドさんに今日の目立った出来事や伸びた記事などを教えて、早番から遅番への引き継ぎは完了となる。
私と中村さんはオフィスラウンジにて、本日の反省会をすることに。
「数字としては、まあちょっと厳しいかな」
「そうですよね……すみません」
「いやでも、今日は特にめぼしいネタもなかったからねぇ。平和な日ほど、厳しい戦いが強いられるもんだよ」
中村さんは昼ピークの時間とは打って変わって優しい言葉ばかりをくれる。
しかしそのセリフの矛盾を、自らが日頃から示しているとを知ってほしい。
「でも中村さんとかオーランドさんは、平和な日でもきちんと数字残せるじゃないですか。ネタが無いのは、言い訳にはできないです」
優しさを拒否するような発言をしたせいで、中村さんは老婆心を表情に映す。
だが、そもそも私という人間は自分への要求が厳しいと自覚している。
こちとら劣等感に苛まれるなど日常茶飯事。私という人間を形成する上で、その感情がいかに肝要だったことか。
だからこそ、いま私がどうすべきかも把握している。
「それで、運用中に疑問に思ったことがいくつかあるんですけど……」
メモ帳を取り出すと、中村さんは目を丸くした。
「わ、多いね。何か書き込んでるなーとは思ってたけど」
「運用中は忙しくて、質問するヒマもなかったですから……このための反省会だと思っていいんですよね?」
「うん、そうだね。いくらでも聞いて」
それから私はあらゆることを尋ねた。
ダメだったリタイトルの再検討・伸びた記事の考察・運用時の時間の使い方など。中村さんはすべてに明確な意見をくれた。
「おまえら、早く帰れや……」
残業をこよなく嫌う玉木さんが鬼の形相でやってきたと同時に、反省会は終わる。定時はゆうに過ぎていた。
早番にもかかわらず、最寄駅に着いた頃にはもう真っ暗だった。
帰宅しても、メイクを落とす気力もなくソファに寝転ぶ。
そこでもう、何も考えたくなくなった。
とにかく情報量の多かった1日。頭はとうにパンクしていた。
私の人生には、思い出したくない時期が2つある。
中学時代と、つい去年にあたる就活時代。
そしてそのどちらにも間接的にかかわっている人物が、3つ上の姉だ。
優秀な姉と平凡な妹。
あくびが出るほどありきたりな関係性である。
姉へ純粋な憧れを持っていられた小学校時代は、とにかく彼女と同じことをしたがった。同じ習い事に同じ塾、服装や文房具までマネしたがった。
しかし、算数が数学に変わると同時に、私は姉との性能の差を思い知った。同じ環境で育ち、同じ場所で学んできたからこそ、格差が目に見えて表れてしまった。
劣等感という名前さえも知らぬ中学生の時分から、私はその感情に苛まれ続けた。
高校・大学と小脇に劣等感を抱えながらも、いずれ追い越してみせるとの気概を持って生きてきた。そんな中で挑んだ就活でも、私は大いに苦しんだ。
大手広告代理店に就職した姉に負けない、立派な仕事がしたいと私は片っ端から有名企業を受け、ことごとく不採用となった。
今がドン底だと自分に言い聞かせるたびに届く、お祈りメール。その数ヶ月間を思い出すだけで、胃酸が逆流しそうになる。
FLOW株式会社から内定をもらって安堵しても、晴れない感情がある。
「ITベンチャーって不安定そうだけど、大丈夫?」
報告した時の、姉の第一声だ。
彼女なりに心配しているのだろう。それでも、不毛な感情であったとしても、湧き上がる感情を抑えることはできない。
きっと私は一生、この劣等感と付き合っていくのだろう。そう悟った。
「……屈した私が見たいなら……」
口ずさんだ自らの歌声で、目を覚ます。あまりに脳が疲労していたせいで、15分ほど眠っていたようだ。むしろ気絶に近いかもしれない。
メイクを落とさねばと、洗面所に向かおうとした足を一度止める。スマホの音楽アプリを呼び出し、流し始めたのは夢うつつで口ずさんだ先ほどの歌。中学の頃からファンだった女性シンガーソングライター、金森あずさの曲だ。
誰しも特別だとか、1位にならなくてもいいといったメッセージが嫌いな私には、常に「人生は闘いだ」と歌う彼女が圧倒的に輝いて見えた。
しかし、私が大学に入学した頃、金森あずさは突然活動休止を発表した。
自身の理想と現実の乖離に絶望し、最も苦しんでいた時代に出会った曲。
就活時代も、自身を鼓舞する為に聴き続けてきた曲。
その旋律がひとたび鼓膜を揺らせば、「私はここまで来れたんだ」と肯定感が芽生える。
「屈した私が見たいなら、この世界ごと私によこせ」
歌詞を一節呟きながら、私は洗面台へと向かった。
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