第11話 小さな「愛」の物語 〜情動〜

 聞いてしまった。

 すごい会話を聞いてしまった。


 その衝撃はあまりに大きく、その後はまるで仕事に身が入らず。

 私は、ふわふわとしていた。


「蒼ちゃん先輩、突然調子悪くなりすぎじゃないですか……?」


 オーランドさんは眉をひそめつつ、私の掲載した記事を指差す。


 垣内が明太古好き告白「3本余裕」


「流石にどうでもよすぎないすか、この記事。むしろよく見つけましたね。しかも明太古って誤字ってたんで、直しておきますよ」

「あ、ありがとうございます……すみません」


 このままではいけない、切り替えなければ。

 私は自販機コーナーに駆け込み、エナジードリンクをがぶ飲みする。喉から食道にかけて焼けつくような感覚が走利、わずかに頭が冴えてきた気がする。


 しかし、その時だ。


「あ、蒼井さん……」

「うおぁっ!」


 中村さんと遭遇してしまい、思わず変な声を出してしまった。心臓が激しく鼓動を打ち、身体中の毛穴が開いたかのように、全身から汗がにじむ。


「な、中村さん……帰るところですか?」


 中村さんは頷くと、何やら神妙な面持ちで尋ねてきた。


「蒼井さん、あのさ……何か悩んでない? 例えば恋愛方面とか……」

「へぇっ? いやいや私にはそんな……っ!」

「ご、ごめんごめん、今のはセクハラだよね! 何言ってんだろ、俺……」


 私も酷いが、中村さんも落ち着きを失っている。

 互いに挙動不審な私たちのやりとりは、会話と呼ぶことさえ憚られた。動物同士のコミュニケーションに近い。


 何より、恋愛方面の悩みがあるのは中村さんの方じゃ……。

 と、そう思ったところで、私は理解する。


 中村さんはきっと私に恋愛相談したいのだ。そのきっかけを作る為、私の恋愛について聞こうとしているのだ。そうに違いない。

 中村さんが話しやすくなるよう、ひとまずその流れに乗る。


「悩み、あるかもです。というかみんなありますよね。あらゆる形の恋ってありますよね。私、分かります」


 わけが分からない私の主張にも、中村さんはぎこちない笑顔を浮かべる。


「そ、それじゃあ今度ゆっくりそういう話しよう。オーランドとかも連れてさ」


 両者ともに謎のテンションのまま、その場は別れた。


 ****


 例によって出勤前、オーランドさんとカフェテリアに集合。

 前回までは玉木さんと中村さんに関する情報共有をしていた時間だが、事情が変わった。


「捜査を打ち切ります」


 オーランドさんは目を丸くして、まず一言目に苦言を呈する。


「いやいや、そんな勝手な……」

「人のプライベートに、必要以上に踏み込むのは、邪の道なのです」

「はちゃめちゃに今更っすよね。どうしたんすか急に。昨日のヤバめなテンションとも何か関係があるんですか?」


 無論、事実を話すわけにはいかない。

 少なくとも、中村さん本人から明かされるまでは。


 私はオーランドさんからの追求をことごとくかわした。何を聞かれても、知らぬ存ぜぬを貫く。そうしてついにはオーランドさんも折れてくれた。


「ここまできたら、真相が知りたかったなぁ」


 最後にこう、寂しそうに漏らすオーランドさんであった。

 出勤時間になったので、2人でポケニューのフロアへ向かう。


「そういえば、中村さんとオーランドさんと私で飲みにでも、って話になったんですけど、今度3人で行きませんか?」

「わ、いいですね。行きましょ行きましょ。蒼ちゃん先輩と飲むの初めてっすねぇ」


 2人で盛り上がりながらデスクへ向かう、その途中。

 会議室からまたも玉木さんと中村さんの声が響いてくる。ブラインドは下がっているが、中が薄暗いことだけはわかった。 


 なぜ、薄暗いのか。


「わかった、俺が悪かったって……」

「またそうやって逃げるんですか、玉木さん。今日はもう許しませんよ」


 2人の謎の会話に、オーランドさんは野次馬根性からか愉快そうだ。


「こりゃ本当に何かありますねぇ、あの2人。相当エキサイトしてますよ」

「エ、エキサイトって何言ってるんですかっ、おバカ!」

「えっ、何でこっちもエキサイト?」


 私とオーランドさんは聞き耳を立て、玉木さんと中村さんの会話に集中する。


「もうやめようぜ、こんなところで興奮するなよ」

「けしかけたのは玉木さんじゃないですか……ほらここっ、ここを見てください! これ見てもまだ受け入れないつもりですかっ?」

「す、すごいよ……すごいのはわかったから、もういいだろ」

「ダメです、まだわかってません! 元はと言えば玉木さんが僕の愛を否定するから……ほらちゃんと見てください!」

「やめろ離せって!」


 荒っぽいことになり始めている会議室。

 ここまでくると流石のオーランドさんも狼狽しだした。楽しそうな表情が一変、生真面目な瞳で告げる。


「なんかちょっとヤバそうですね。仲裁しましょう」

「ダ、ダメですよ! ま、真っ最中なのに……」

「真っ最中だから入るんでしょうが! 行きますよ!」


 そう言って勢いよく扉を開くオーランドさん。私は慌てて顔を手で覆いつつ、指と指の間から確実に、玉木さんと中村さんの状態を目に焼き付けんとする。


「……え?」


 私の目に映ったのは、ぽかんとした玉木さんと中村さん。

 そして薄暗い会議室のスクリーンに映し出されている――海外サッカーの映像。


「…………」


 どういう状況なのかはさっぱりわからない。

 ただひとつ、言えること。

 

 私はとんでもなく、恥ずかしい勘違いをしていたのだった。

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