第5話 なりたいものと、なったもの

 昨晩、眠れたのは午前3時ごろ。

 ニュースサイト運用の朝は早く、出社は7時。


 3時間も眠れず意識の半分を宙に漂わせながらメイク、這うように通勤電車に乗り込んだ。今日ほど電車の中で眠れる人をうらやんだことはない。


 そうしてスマホで繰り返し読み込むのは、転職サイト。

 あくまで自分の価値を測るために続けてきたルーティンで、今にして思えばどこか他人事のように閲覧していた。


 しかし、いよいよもって現実味が帯び始めたわけだ。


 ****


「蒼井さん、隣いい?」

「うぉうっ」


 中村さんが声をかけてきたのは、休憩時間のカフェテリアにて、転職サイトに登録するための経歴を書き込んでいた時だった。

 後ろめたさから人の少ない時間帯を選んで休憩していたのだが、まさか直属の上司と遭遇するとは。


「ど、どうしたの……隣ダメ?」

「い、いやいや大丈夫ですっ、どうぞ」


 すぐホーム画面に戻ったが、見られたかどうかタイミングとしては微妙なところ。

 中村さんは変わらない様子で私に笑いかけた。


「昨日の、やっぱりまだ落ち込んでる?」

「……そうですね。収束したとはいえ、けっこう響いてます」

「この業界にいれば誰もが一度は経験するミスなんだけどねぇ。昨日のは運が悪かったね。まさかあの短時間であそこまで拡散されるなんて、なかなかないよ」

「中村さんと玉木さんもですか?」

「もちろんあるよ。僕は昔、俳優さんの訃報にビックリマークつけて大目玉食らったよ。幸いすぐ気付いたから、騒動にはならなかったけど」


 俳優の〇〇氏が死去!


 確かにこれは不謹慎というか、まるで喜んでいるように見える。たった1文字の記号が付くだけで、これほど印象が変わるのだ。


「玉木さんも誤字脱字くらいならたまにしてるよ。初心者の頃の玉木さんは知らないけどさ」

「玉木さんの新卒の頃なんて、想像もできないですね」

「いや、玉木さんは中途入社だよ。僕が入社した年に社員になったんだ」


 さらりとけっこう驚きの情報を口にする中村さん。

 玉木さんは転職組だったのか。


 前職について尋ねると、中村さんはさらに衝撃的な事実を教えてくれた。


「玉木さんは元俳優で、ポケニューにはアルバイトとして働いてたんだよ」

「ええぇ、意外……」


 認めたくないが、確かに玉木さんの顔立ちは整っていて背も高い。性格を知らずに遠目から眺めれば「元俳優」という肩書きに納得できる程度にはスマートだ。


 玉木さんはその事実を隠しているわけでもないらしい。

 ポケニューに入社するまでの経緯を、中村さんが端的に教えてくれた。


 俳優として活動していた玉木さんだったが、家庭の事情で引退せざるをえなくなったという。そうして4年間バイトとして働いていたポケニューに、30歳で正社員として入社。実力の下地もあったため、1年足らずで編集長に就任し、現在に至る。


「まあ、だから芸能人の不祥事にあれだけ興奮できるんだろうね」

「劣等感だったんですね、あれ……」


 夢を諦めた叩き上げの編集長。

 あまりに意外な経歴に、眠気も吹き飛んだ。


「中村さんは、入社1年目からポケニューにいたんですか?」


 この質問に、中村さんは切ない笑みを浮かべた。

 不自然な沈黙が生まれ、思わず戸惑う。

 きわどい質問だったかもしれない。話題を変えようと次の言葉を考えたが、過不足ない台詞を思い浮かぶよりも早く、中村さんが口を開いた。


「僕は1年目だけ、取材部に所属していたんだ」


 中村さんは恥ずかしそうに早口で、自身の歴史を語り出した。


 玉木さんがポケニューに正社員として入社したその年、新卒として取材部配属になった中村さん。当初は強いジャーナリズム精神を宿していて、バイタリティ溢れる新人だったという。身に覚えのある感情である。


 しかし、入社して半年ほど経った頃、中村さんは思わぬ障壁に阻まれた。


「端的に言えば、僕の記事は僕にしか書けないものじゃなかったんだ」

「え……」

「取材とかインタビューしている時間は楽しかったんだ。でも、それをアウトプットするセンスがなかった。あの楽しかった時間を自分自身で文章化してみると、全然面白くない。ただの情報で止まっていて、読者の気持ちを動かす記事になっていなかったんだ。理想と現実のギャップがあまりに大きくて、完全に自信を失ったよ」


 もがき苦しんでいた中村さん。

 そんな彼に声をかけてきたのは玉木さんだ。


 社員としては同期だが、社歴と年齢は玉木さんの方が上。そんな複雑な関係がむしろ互いを惹きつけ、2人は部署は違えどよく連絡を取っていたという。


「来年から俺がポケニューの編集長になる。だから中村、俺の手伝いをしてくれないか。おまえが求めているものは、おそらくポケニューで手に入るぞ」


 玉木さんのこの誘いを、中村さんは藁をも掴む思いで受け入れた。そうして現在のポケニューツートップが完成したのだという。


「それで中村さんは、手に入れたんですか? 求めていたもの」

「うん、たぶんね。まず間違いなくあの頃よりは良い記事を書けるよ。でも今はポケニューが楽しいから、取材部に戻りたいとは、そんなには思ってないけどね」

「何だったんですか、中村さんに足りなかったもの」

「それはアレだよ。エモーションってやつだよ」


 聞き覚えのある単語を、中村さんは意味ありげに言い放った。


 中村さんの過去と、玉木さんの過去。

 新鮮で刺激的な情報ばかり仕入れた私の脳は、睡眠不足を忘れるほど快活に働く。


 私にとっては玉木さんは、皮肉屋で意地の悪い上司。

 しかし中村さんにとっては、いなければ今の中村さんはなかった、と言っても過言でない尊敬する上司。


 明確になったその意識の差が不自然で、今一度玉木さんについて考える時間が必要だと心が訴えかける。


 最後に中村さんは独り言のように、こんな言葉を残した。


「自分の思い描いていた自分になるのって、実はものすごい大変なんだよねぇ」

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