第2話 エモーションって何ですか?

 やたらとコミュニケーションを大切にしたがるFLOW株式会社は、新卒社員に対して1週間に一度という高頻度で上司との面談の場が設けている。


 この日も私はカフェのようなオフィスラウンジで、編集長の玉木さんと対峙する。


「中村、きょうの蒼井くんのリタイトル、いくつか言ってみて」


 リタイトルとは、記事をサイトに掲載する際の見出しである。

 記事を読んだ上で、ユーザーの興味を引く16文字以内のタイトルを考えるのが、私たちの仕事のひとつなのだ。


 同席する教育係の中村さんが、申し訳なさそうな視線を私に送りつつ読み上げる。


 タイから上野へカバ派遣 3年後

「いやどうでもいい。どうでもいい上に3年後て」


 剣道家の花田と柔術家の茂木が結婚

「誰なんだよ。誰と誰なんだコレ」


 パンダのスンスン 前転を覚える

「平和かよ。めちゃくちゃ平和なのか日本は」


 玉木さんはことごとくツッコミを入れていく。

 真剣に考えた記事の見出しが、次々ネタ扱いされていく。漫才の台本を作ったわけではないのだ、私は。


 現在私が担当しているのは国内ページ。

 国内の最新情報、社会問題を取り扱っている。


 ポケニューにはサイトトップの主要ページの他に芸能やスポーツ、経済など様々なジャンルのページがある。

 サイトの顔となるトップのPV数は段違いで、それゆえ責任も重大。なので特に優秀な人だけが運用を任されている。中村さんがそれにあたる。


 トップ以外のページは、私のような研修中の社員が担当することも珍しくない。


 コンビニに強盗入る 店員は無事

「これもなぁ。記事のチョイスはいいけど、タイトルが弱いよ。店員が無事かどうか16文字に入れる必要あるかよ」

「玉木さん。若干パウ入ってますよ」


 中村さんの耳打ちに、玉木さんは「おっとまずいまずい」と口に手を当てる。

 パウ(POW)がパワー、つまりパワハラの隠語だと気づいたのは、ここ最近のことである。


 玉木さんの口調はわざとらしく柔らかくなる。

 が、目は笑っていない。


「蒼井くんねぇ、客観的に見て、ユーザーがこの見出しでクリックするぅ?」

「する……と思います」

「するのぉ? カバ派遣クリックするのぉ?」


 柔らかくなったせいで、余計に腹立たしい。


「でもほらっ、今はまだどんな記事が伸びるかって嗅覚を育てている段階ですし……蒼井さんも少しずつ良くなっていると思いますよ」


 中村さんが割って入ると、玉木さんはむうと口をつぐむ。

 こうして見ると部下の中村さんがうまくコントロールしているようだ。まるで性格の違う2人だが、お互い信頼し合っている空気感は、そこはかとなく伝わってくる。


「蒼井くん、君はどんな気持ちでこの4本の記事を掲載したの?」


 玉木さんのこの質問には、ここまでの会話にはなかった重さが孕んでいる。表情からもわざとらしい柔和な印象は消えていた。

 私はありのまま、答える。


「きょうのトップページは心が痛むニュースばかりだったので、少しでもユーザーの心が和らげばと思い、癒される話題やおめでたい記事を優先して選びました。強盗の記事も、必要以上にユーザーの不安を煽らないよう心がけて見出しを考えました」


 きょうは朝から会社員の自殺事件、子どもへの虐待、そして不倫した女優の謝罪会見など気持ちの良くないニュースがトップページを占めていた。

 もちろん、それらを掲載することが悪いなどとは思わない。女優の不倫はどうでもいいけれど。


 それでも、暗い話題ばかりが世間を賑わせれば、人々の心も荒んでいくような気がする。その悪循環を形成する一端として働くのは、嫌だ。

 私は社会の為になる発信がしたいのだ。


 しかしこの回答は、玉木さんのお眼鏡にはかなわないようだ。


「蒼井くん、入社した日に言ったこと、覚えてる?」


 ネットニュースで、世界を良くすることはできない。

 忘れるわけがない。「ここから世界をより良くしたい」という私の意見に対して、玉木さんが真っ向から吐いた台詞だ。


 玉木さんは見定めるような目を私に向けると、小さくため息をつく。


「まあいいや。とりあえず強盗の記事はチョイスとしては及第点だから、こういう記事を優先して掲載してな」

「はい……」

「ただし、リタイトルの意識は変えてくれ。犯行時のセリフとか凶器の種類とか店員の証言とか、ユーザーに恐怖が伝わるような生々しい表現でよろしく」

「でもそれじゃ……」

「ひとつ言っておくよ」


 私の言葉を遮ると、玉木さんは一方的に告げ、返事も待たず席を立った。


「ユーザーが求めているのは知識じゃない、エモーションだ。これを頭に入れて、来週からも頑張ってくれ」


 脳が沸騰するような感覚に襲われたせいで、心配そうな中村さんによるおそらく励ましの言葉さえも、私の耳には届かなかった。


 ****


「エモーションって……横文字使えばカッコいいと思ってんのか!」


 情けない私の叫びが、ジョッキに入ったビールを揺らす。


 目の前にいるのは2〜3週間前、ともに大学を卒業した同級生たち。その顔を見ただけで、身体中を縛っていた糸がほろほろとほどけていくようだった。


 アルコールに理性をほぐされたこともあり、自然発生的に愚痴が湧いて出る。


「あーわかる。なんかIT企業ってそういうイメージだわ」

「プライオリティとか、当たり前のように言いそうだよね」

「うちにはフォトショも分からない上司いるけど?」


 同級生らはそんな軽口を交えつつ、それぞれ職場の悪口を言い合う。

「ウチらも社会人だし、港区女子になろうや」との謎のお題目で集合した渋谷区のオシャレなダイニング、その一角が新卒女子たちの悪言に支配されていく。


 しかし私にはそのどれも、自身の現況よりはマシに聞こえた。


「そういや昼にポケニュー見てたけどさ、姫宮麗花が不倫したんだって?」

「あーそれびっくりしたね。うちの職場でも話題になってた」

「いやー何かやると思ってたよ、私は。姫宮って泥棒猫みたいな目してるじゃん」

「見た目かよ」

「絶対嘘だわ」


 いつの間にか話題は姫宮麗花の不倫へと変わっていた。

 大学時代と変わらない、下世話な芸能ゴシップ話で盛り上がる同級生たち。安心する一方で、玉木さんら編集部のはしゃぎっぷりと重なり、胸がざわめく。


「結局ウチら、社会人になっても変わんないじゃん」

「そらそうよ。社会人になっただけで高尚な人間になれるなんて、おこがましいわ」


 同級生のこんな軽口に、みんなが声を上げて笑う。

 私も合わせて笑顔を作っていた。




 帰宅すると、今度は母親から電話がかかってきた。

 私がポケニューで働き始めた日から、毎日ポケニューのサイトをチェックするようになったらしい。


「お姉ちゃんはゴールデンウィークに帰ってくるけど、あんたどうするの?」

「……じゃあ帰らない」

「変わらないねーあんたはホント。ところで姫宮の不倫って本当なの? ヨガ教室のみんなもびっくりしてたわ。あんたが取材したの? 姫宮って美人だった?」


 無邪気に尋ねてくる母に、つい語気が荒くなってしまう。


「だから前も言ったけど、ポケニューは他の会社からもらった記事を掲載しているだけで、私たちが取材したり執筆してるわけじゃないの」

「えーそうなの。じゃああんた何やってるの?」

「サイトにあげる記事選んだりとか、タイトル考えたりとか」

「へー。今日はどんな記事あげたの?」

「パンダのスンスンが前転を覚えたのとか……」

「……そんなのあったっけ?」

「もう切るよ! じゃあね!」


 プライベートな時間でさえ、胸にまとわりつく靄は晴れてくれない。

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