ネットニュースで世界が良くなるわけがない 〜配属先にいたのは、芸能人の不倫が大好物な人たちでした〜
持崎湯葉
第1章 求めているのは知識じゃない、エモーションだ
第1話 今日も今日とて不倫に感謝
それはまるで失恋をした翌日のよう。
目を覚ますと真っ先に、思い出したくない記憶が脳を支配する。そんな朝がもう2週間も続いている。
『ネットニュースで、世界を良くすることはできない』
ズンとお腹に響く低い声が、耳の奥にこびりついている。
朝、スマホのアラームを止めてホーム画面に戻る。
格子状に並ぶアイコンの隙間から、袴姿の私が顔を出している。卒業式の時の写真だ。
そろそろこの集合写真も古く感じてきた。
それにしてもこの写真、私だけが草履で何だか寂しいな。
もしも時間を戻せるなら、私に言いたい。
「
もっと戻せるのなら、就活中の私にもこう言いたい。
「その会社は、やめておいた方がいいぞ」
遊びのないベーシックなオフィスカジュアルに身を包み、今日もひとり家を出る。
駅のホームは早朝特有のひんやりとした空気が流れていた。
まだ女性専用車両も設定されない時間帯のため、電車内は数時間後に控える大混雑と比べて快適な代わりに、疲弊感が蔓延している。
最近の通勤時間の日課は、転職サイトの閲覧になっていた。
この世には仕事があふれていると、そんな当たり前の事実を再確認するだけで、心は少しだけ軽くなるのだ。
卒業式の集合写真の中にいるあの頃の私は、まさか入社2週間でこんなルーティンを形成しているとは夢にも思わなかっただろう。いかにも希望に満ちあふれた顔をしている。
「(就活、やり直したいなぁ……)」
子どもの頃から常に、家の中でさえ劣等感を抱き続けてきた私は、社会人になる上でひとつの決意をした。
社会のため、人のためになる仕事をしよう。
誇りを持って取り組める職場で働こう。
転職サイトのキャッチフレーズのようなこの目標を、私は本気で掲げて生きてきたのだ。
『ネットニュースで、世界を良くすることはできない』
だからこそ入社したその日に告げられたこの言葉で、出鼻は根元からくじかれた。
それが私の配属されたネットニュースチーム、その編集長の台詞なのだから、救いようもないだろう。
****
「週刊マイノリティーから姫宮麗花の不倫報道がキタぞーーーッ!」
ポケットニュース編集部に響く、編集長・
そして沸き立つ部署内。
「マジですか!? すぐトップに掲載します!」
「SNSもすぐ投稿! それとネットの反応、芸能人の反応も逃すなよ!」
「清純派女優で売ってましたからねっ、これは熱いですよ!」
「清純派なんて芸能界にいるわけねえだろアホ! しかし久々に活きの良いネタがきたな!」
「歌舞伎俳優の諸星三太郎がコンビニ店員と口論、ってクソネタ以来のスクープですね!」
今日も今日とてポケニューは、人様のプライベートで大盛り上がり。
芸能人からは嫌われ、ネットの住民からは揶揄されるネットニュース。その主要メディアのひとつがポケットニュース、通称ポケニューだ。
ITベンチャー・FLOW株式会社が運営するポータルサイト「ポケット」のニュース部門。検索エンジンの下にズラリと並べられているトピックニュースの編集を担当しているのが、私たちだ。
「蒼井さん、調子はどう?」
姫宮麗花の不倫報道対応がひと通り済んだ頃、声をかけてきたのは上司で教育係の
中村さんは私に、サイトの運用を一から教えてくれている。
教育係など通常業務の邪魔でしかない余計な肩書きだろう。それでも、私の質問には必ず手を止めて対応する。
怪物のような編集長と違い、すべての言動や行動、白シャツにベージュのニットベストというコーデにさえ、人柄の良さが滲み出ていた。
「すみません……なかなかPV数取れなくて」
「大丈夫、大丈夫。まずはユーザーが興味を持つ話題が何なのか、自分で見つけることが大事だからね。いろいろな記事を試してみてよ」
ポケニューは新聞社やWebメディアが発信したニュース記事を、契約のもと流用し配信する、いわゆる二次メディアである。
つまり私たちが記事を執筆しているわけではない。
では何をしているか。
ポケニュー編集部の仕事は、大きく分けてふたつある。
ひとつは記事の取捨選択。
新聞社やWebメディアなど、契約している一次メディアから提供される記事は1日数百本にも及ぶ。
つまり膨大な記事の中から、いかにユーザーが食いつくネタを見つけ出せるかがカギになる。
そしてもうひとつは、記事のリタイトル。
掲載の際にはサイトの仕様上、見出しは16文字以内でなければならない。
記事内容を完全に理解した上で、クリックを誘うタイトルを16文字で考える必要があるのだ。たった1文字の違いでも、クリック数は大きく変わることがある。
そうしてクリックした先のページに掲載されている広告によって、ポケニューは収益を得ている。ページが開かれた回数(PV数)が、売り上げに直結するのだ。
1日の総PV数は、平均で800万回。
それだけの人がポケニューを見ている。
この手で投じた一石の記事が世界へ波及すると言っても過言でない。
だからこそ私は、社会をより良くするため、ネットニュースで少しでも世界を変える為に、ここで働こうと奮起しているのだ。
「蒼井くん」
不自然なほど落ち着いた声が聞こえたのは、退勤時刻を1時間前に控えた夕刻。
編集長の玉木さんだ。無地白Tシャツ姿の、無精髭を生やした34歳。胸ポケットはタバコとライターで膨らんでいる。
彼は私のデスクを人差し指でコツコツ叩くと、こう呟いた。
「面談、しよっか?」
女優の不倫報道であどけなく笑っていた頃が懐かしい。
氷のような微笑みがそこにある。
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