第10話 異世界の人

「つまりあれだね、これは俗にいう……」



 左手を腰に当てながらユースの意識を集中させやすいように右手の人差し指をぴんと立て、



「異世界転生ってやつなんだろうね」



 ドヤァと言ったげたぞ的な雰囲気を出すイグルにユースは驚くわけでも戸惑うわけでもなく、ただぽかんと口を開けた。



「あれ?ピンとこない?こっちじゃやっぱりそういったことってないのかな?」



 頭を抱えるイグル、きっとユースのためにもわかりやすい説明を考えているのだろう、しばらく考え抜いた末、閃いた顔をすると、



「堕天使さんなら説明できるんじゃない?」



 丸ごと役目を投げつけた。

 さっきの一件以来ルシウスはどうもイグルのことを気に入っていると見える。「背負うがない奴め」と言いながらすんなり回答権がルシウスに譲渡された。



「私も元はこことは違う世界の住民だ。それを貴様がこの世界に召喚した。彼奴も私のように誰かにこの世界に呼ばれたということだろう」


「なるほど」



 ルシウスの説明で納得がいく。自分の知らないうちに間接的にとはいえイグルと同じ体験をしていたことに若干驚いた。

 しかしそう考えればルシウスは堕天使、イグルも召喚されたのならば、一つの可能性に辿り着く。



「イグルって、もしかして神様とか堕天使だったりするの?」


「え?あはは!そんなはずないよ、僕はただの人間。君と同じ」



 取り敢えず安堵。もしイグルが神様とか伝説の存在だったらため口はとても失礼だと思ったが杞憂で終わってくれた。



「じゃあ、誰に召喚されたの?」


「あれは召喚になるのかな?異世界転生、よく考えたらこれも違うかな、しっくりくるのだと、この世界に迷い込んだ、的な感じかな。こっちの世界で目が覚めた時、多分今の君ぐらいの年齢だったと思う。全然知らない森にいたんだ、一人でね。だからなんで僕はこの世界にいるのか、君の言うように誰かに召喚されていたとしても、その誰かは分からないんだ」



 現実味のない要領を掴みにくい話だが、彼が大変だったということは分かる。こことは違う世界の住民という言葉を信じるにしても、ルシウスとは全く違う始まりを迎え、知らない世界にただ一人ぽつんと置いていかれる。

 孤独、恐怖、ユースには想像を絶する話だった。



「でも元の世界とは違う姿をしてたからここは異世界だってことは分かった。そこからはただ途方に暮れて森の中を彷徨ってたんだけど、そしたら出会っちゃったんだよね」


「な、何と?」


「熊の魔獣を背負った熊」



 魔獣は魔力を持った獣のことで普通の獣よりも何倍も強い。十二歳そこらの人間には到底倒せるような存在じゃない。しかもイグルがその時出会ったのはその魔獣を背負った熊……あれ?



「普通の熊が魔獣に勝てるの?」


「ん?ああごめん間違えた。正確には熊の魔獣を背負った熊みたいな人間だった」


「ああ人間……それも結構すごくない?」



 魔獣は一人前の騎士三人がかりでようやく倒せるとされているほど強い。そのため体が大きいものが多く熊はその中でも一際は大きい部類に入る。

 それを抱えることができるということはかなりの実力者なのだろう。



「確かに強いらしいよ。国王とも剣術でならやりあえるらしい。まあ、騎士学校の学校長だけど」


「学校長!」



 騎士学校の学校長は一度だけあったことがある。なんでも国王とは旧知の仲らしく、ユースの騎士学校進学が決まった際には直接王宮に訪れて祝ってくれた。

 その時の姿を思い出せば、確かに熊の面影はある。

 彼はとても奔放な性格らしく、入学式の時学校長は狩りのため不在ということであいさつが割愛されていた。熊を背負っていたのが彼ということならば納得は行く。



「話は戻るけどね、その時の僕は言葉が全然わからなかったんだ。だから熊が何を言ってるのかも分からなくてあたふたしてたんだけど、熊が勝手に僕を自分の家まで連れ帰ったの」



 学校長ならやりかねないと思ったが、それよりも普段から熊呼びのことの方が気になった。



「あいつ、熊のくせに優しかったんだよね」


「いや、人間だけどね」


「でも優しかったのは最初だけ、いつの間にかスパルタ教育になってたし、やっと言葉を理解し始めてきたと思ったら世界を知るためだ!とか言って言葉もまだまだ理解できてないのに無理矢理騎士学校に入学させられて、おかげさまで七回留年、あいつは熊の皮を被った悪魔だね」


「いや人間だけどね、というより留年にはそんな理由があったんだね」



 いつの間にか学園長の愚痴が始まっている。

 しかし、イグルは言葉がわからないから留年していると言っているがかなり流暢に喋っている。



「言葉を理解していないって割に結構スムースに喋ってるな」


「ああこれはね、熊がこっちの言葉に慣れるために沢山喋れって言うからそうしているうちにこうなった。まあ喋ることばっかで全然文字の読み書きはできないんだけどね、多分赤子ぐらい」



 赤子は言いすぎだと思ったが、心の内はなぜかそれを否定しようとしていなかった。


 それからは日が暮れるまで喋り続けた。

 内容的にはほとんどイグルが話している時間が多かったようだがユースにとって人の話を聞くのも人と話をするのもどちらも楽しかった。


 特にイグルの元の世界での話は新鮮なものばかり、時間という概念を忘れて熱中した。

 これだけ長い間友達と呼べる存在と話したのは生まれて初めてで満ち足りた幸福感を得た。


 ___友達ってすごい。

 自分の知らないこともたくさん知っていて、たくさんの驚きを与えてくれて、何より楽しい時間を共に作ってくれて感謝してもしきれない。

 これから、また知らない人たちと出会ってその度に知らないことを知らない驚きを知らない世界を教えてくれると思うだけで興奮が止まらない。


 帰宅の時間になり、正門でイグルを見送る。



「ほんとに家まで送らなくていいの?」


「大丈夫、そこまで手間をかけなくてもいいよ」



 本当はもっと一緒にいてほしいと思っている。でもそれは単なる我儘だ。彼には彼の生活があって決まりがある。それを自分の都合だけで捻じ曲げてしまうのは友達とは呼べない。

 だから、今は別れを惜しむだけでイグルの背中を見届けるだけにした。



「さ、マリー。僕たちも帰ろう」


「はい坊ちゃま」



 イグルの背中が見えなくなるとユースは踵を返した。


 マリーはその背中にちょっぴり哀しみがあること理解していた。

 何で連れてくるならもっと小さな男の子じゃなかったんですかとか、私も代表挨拶で緊張している坊ちゃまを見たかったですと言いたいことはたくさんあるが、まだ小さいその背中を一生懸命大きく見せようとしている王子に、生まれた時からお世話をしている我が子のような子供に言うべきことは分かっている。


 マリーはそっと微笑んで……



「楽しかったですか?坊ちゃま」



 振り返り、夕日に照らされるユースの顔には、



「うん!」



 笑顔があった。











 その後、マリーの顔がだらしなくなったのは言わなくても分かったかな?

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