第2話 出会いと始まり

 月明かりが世界を包む夜、目が覚めると彼は初めに筆を手に取った。

 考えるよりも先にそうしなければいけないという何か使命的な衝動に駆られていた。

 夢の中の紋様、書き殴られた文字の山、まるで何かに取り憑かれたかのような事実を自覚しながらも彼は己の行いを止めることはできなかった。


 夢の出来事を己が身で再現していく。あの時とは違い自らの手で体を動かしている感覚。不思議なことに作業を続けているうちに知らない記憶まで流れ込んでくる。

 その記憶は断片的で全てを理解するには到底足りえないものだがそれで十分。彼は散りばめられた欠片を繋げていき、より完成形へと近い形へと記憶を再編していく。


 彼が気付いたころには夢の最後に見た光景と同じ、書き殴られた文書と紋様、いや、今ならばそれが何なのか分かる。


 神を召喚するための方法と魔法陣。


 その二枚の紙を上に掲げていた。

 夢の中では感じれなかった興奮に浸る熱の余韻と紙の意味。


 神を召喚するという行為は甚だしく愚かなことかもしれない。それでも彼に何かがその魔法陣を発動させろと囁く。第一彼は神に頼る必要があった。


 彼は六年間、魔法の使用を禁じてきた。自身の才能が人を恐怖させるものだと自覚してきたが故の選択。その選択が仇となり、放置された魔力は彼の意志に反して日々増幅。増えすぎた魔力はやがて彼の体を蝕み始めた。


 本来、魔法は身に着け次第、同時に魔力を制御できるように訓練するものなのだが彼はその訓練を行っていない。

 それに加えて彼ほど膨大な魔力を持った人間は未だかつて存在しないが故に魔力が人の身を蝕むなんてことはなかった。


 前例のない事実は混乱を招く。加えてノライトートス王国唯一の王子がそのような状況にあると知られれば更なる混沌が生まれる。彼はこの事実を誰にも話すことができなかった。


 一人で調べ、一人で解決しようとしていた時に見えた一筋の光明。

 きっと神ならば知っている。この希望に彼は縋るしかなかった。


 紙に記したとおりの方法を紙に記したとおりの手順でこなしていく。成功する根拠など何もないが何処からか湧いてくる謎の自信は成功するのだと確信している。


 着々と工程を終え、いよいよ最終段階にまで差し掛かった。

 残された最後の工程、それは単純にして明快、魔法陣に手をかざすこと。彼は乾いた喉を鳴らして手をかざした。


 魔法陣は青い光を放ちだし、その光は徐々に大きくなっていく。視界を覆うほど巨大になった光に思わず目を瞑ると途端に瞼の裏は暗く落ち着きを取り戻していた。


 瞼を開いた彼はまるで時間が止まったかのように動かなくなった。

 視線の先、先ほどまで光輝いた魔法陣は跡形もなく消え去った。それと同時に夢で見たはずの記憶も消失、もう二度とあの魔法陣を書くことはできないのだと感じた。


 しかし、彼が時間が停止したように止まっているのは他に理由があった。


 魔法陣が書かれていたはずの紙、その上に何かがいた。




 紙の上に収まるほどの体躯、頭の先から尾の先まで全身を覆う漆黒の鱗と背中から生えた三対の翼。こちらを見つめる瞳は翡翠色に輝き神秘の力を感じる。


 その姿はまるで伝説上のドラゴンのようだった。



「あなたが神ですか?」



 神とはドラゴンの事なのだろうか。

 翡翠色の瞳はこちらを見つめながらこう言った。



「私は神ではない。むしろその逆の存在。私は堕天使、堕天使ルシウスだ」



 ドラゴンは自らのことを堕天使だといった。

 堕天使とは伝承の中に存在する神に叛逆した天使のこと。

 その事実が突き詰めるのはつまり、彼の魔法陣は失敗したのだ。



「神を呼ぼうとしていたのだ。何か望みがあるのだろう?貴様の望みはなんだ。……いやいい、おおよそ予想はついた。貴様はその制御できない魔力をどうにかしたいのだろう」


「さすが堕天使、一目で見破るとはお見事です。ですが……」



 神でないあなたに頼み事はできない。その言葉を彼はすんでのところで飲み込んだ。

 相手が例え悪の化身だろうと解決方法を知っているのならば縋るしかない。もう彼の体はあと後に引けない状態まで来ていた。



「いえ、やはりお願いします。この魔力を制御するにはどうすればいいのでしょうか?」



 ルシウスは翡翠色の瞳でじっと彼のことを観察した。



「よく見てみれば貴様……いいだろう。私が手伝ってやる」


「ありがとうございます」



 彼は相手が堕天使であろうと頭を下げた。それが自分の命を救ってくれる相手への感謝の意を込めて。



「ではまず手を出してみろ。なに心配するな。少し魔力を吸うだけだ」



 堕天使に魔力を渡しても大丈夫なのだろうか。一抹の不安を抱きながらも手を差し伸べる。



「聞き分けの良いやつだな。その性格私は嫌いではないぞ。では、いただきます」



 ルシウスは彼の指に噛みついた。

 血が滲みだし痛みを感じる。しかし血とは別に何か他のものが流れ出て行くのを感じ、それが魔力だと気づくのにそう時間はかからなかった。

 やがてルシウスは魔力を吸い終えると、彼の体を蝕んでいた魔力は綺麗に消えていた。



「貴様の魔力の暴走は一重に制御する鍛錬を怠ったことだ。なぜこのような事態になあるまで放置していた」


「それは……」



 それからはルシウスに彼の過去のことを語った。

 自分の才能が他人を恐怖させてしまうこと、あの時の付き人の表情を忘れられないこと。



「なるほどな。理由は分かった。しかし貴様とて今回のことで学んだだろう。このままじゃ駄目だと。いずれまた同じことを繰り返してしまうと」


「__はい」



 ルシウスの言う通り、今回は魔力を吸い取ってもらうことでどうにか事態を収めたが。既に制御できる段階を越えてしまった魔力はまた暴走を繰り返してしまわないとも言えない。



「貴様はこれからどうするつもりだ」


「魔力の制御ができるように訓練を……」


「それは無理だ。同じことの繰り返しとなるぞ」


「ですがそれ以外に方法は……」



 それ以外の方法が見つけられない彼にルシウスは長い溜息をこぼした。



「これからも私が手伝ってやる」


「え……、いやしかしあなたは堕天使なのでは?なぜそこまで私に親切に、は!もしかして何か代償を要求するのですか?」


「貴様な、確かにその反応は間違ってないが、私とて堕ちた身だが元は天使。困っているものを放ってはおけない。それに代償という点でなら貴様の魔力で事足りる」


「しかし……」



 ルシウスは再び長い溜息をこぼした。



「貴様とて死にたくなかろう。ここは素直になれ、その方が賢明だぞ」



 しばらく考えたのち、彼は首を縦に振った。



「私は聞き分けの良いやつは好きだぞ。では改めて、私の名はルシウス。堕天使ルシウスだ。気軽にルシウス様と呼べ」


「ではわたくしも僭越ながら。私はノライトートス王国第一王子。ユースフォン・ノライトートスと申します。ルシウス様」


「貴様の名前、ユースフォン・ノライトートスだったか?えらく長いな?もう少し呼びやすくならないのか?」


「ユースフォンとでもノライトートスとでも好きなように呼んでください。ですが、親しい間柄のものは皆私のことをユースと呼びます」


「そうか、では私も貴様のことをユースと呼ばせてもらおう。これから世話してやるぞ、ユースよ」


「こちらこそお世話になります。ルシウス様」



 伝承に記されていた堕天使とは悪逆非道の限りを尽くした天使の末路だと記されていたが、ルシウスからはそういった邪気を感じない。


 不思議なこともあるものだとユースが思っていると、窓辺から日差しが差し込んでいた。

 それから間もなくして扉を開く音が聞こえると、同時に何者かが入ってきた。そのものが積み上げられた紙の山を見てどんな反応をしたのかは言うまでもない。

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