4. きっかけ

 平成○年□月△△日


 悪夢は突然やって来た。

 交通事故で妻は亡くなり、娘と息子は意識不明なんて、そんな馬鹿なことがあるか。

 神よ。

 もしいるのなら、何故私から全てを奪い去っていったのだ。

 教えてくれ。



 平成○○年――□月△△日


 今日も子供達の様子は変わらず、脳波には何の変化も見られない。

 どうしてだ……。

 やれることは全てやっているはずなのに。

 何が足りないというのだ。



 平成○○年――□月△△日


 今日も回復の兆しは見受けられない。

 担当医からはこれ以上延命治療を施しても回復の見込みはないと伝えられた。

 医師が患者を見放してどうするんだ。

 もう医師は頼れない。

 この私がなんとかしなければ――



 平成○○年□□月△日


 私の前に怪しい男が現れた。

 男は理想教ユートピアという宗教団体の教祖である沼津という名の得体の知れない男だった。

 何処で嗅ぎ付けたのか私の子供達の容態を聞きつけてやって来たらしいが、まるで弱った獲物に寄ってくるハイエナのようで吐き気がした。

 もう二度と顔もみたくない。



 平成○○年□□月△△日


 また沼津がやって来た。

何度追い返しても寄ってくるのはゴキブリ並のしぶとさだ。

 あまりのしつこさについ話を聞いてやったが、やはり聞いたことを後悔した。

 いざ口を開けば、まるで妄想の世界のような夢物語や、はたまたSFの世界に耽溺しているような戯言を一方的に話し続けていただけで、ただただ鬱陶しかった。

 沼津曰く――この世界は辛いことで溢れている。それはどうしようもない事実であり逃れられないことわりであって、人はより高次の世界、理想郷ユートピアへと旅立たなければならないらしい。

 教義を静かに聴きながらも、心のなかでは鼻で笑ってやった。

 何が高次の世界だ。理想教だ――そんな寝言は寝て言いやがれ。




 ある夜、子供達の変わらぬ寝顔に手を添えていると果たしていつ目を覚ますのか考えてしまった。

 もしかしたら医師の言う通り、本当に目を覚ますことはもうないのではないか――


 時計を見ると面会時間をとうに越えていた。看護士たちは気を遣ってか声をかけてこなかったようだ。

 ――また明日来よう。

そう思い席を立とうとすると、サイドテーブルに理想教のパンフレットが置いてあることに気づいた。

「なんだ、捨て忘れていたのか」

 適当な作りの、沼津の姿が全面に写し出されたパンフレットを手に取りゴミ箱に捨てようとすると、たまたま開いたページに目が止まった。


「新しい世界――コールドスリープを貴方も体験しませんか?」


 ――凍結睡眠コールドスリープだと?馬鹿な、ただの冷凍マグロになるだけだろう。


 やはりまともな宗教ではなかったなとその手からパンフレットを手放そうとしたとき、男の頭に一つのアイデアが浮かんだ。



 ――まてよ……もし、起きることのない人間の人格をデータ化することが出来たなら……。

 目覚めることがなくてもまさに夢の世界を生きていけるのでは。


 男の手には光輝く一つの希望が握られていた。


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