5. 静かに狂う

 「近頃この界隈で名前を売ってるってのは、あんたらのことかい?」

「そうだけど、それがなに?」


 このカーマダートゥに身を置き、一年が経とうとしていた。

 その間に裏世界の人脈を着々と築き、反対勢力への破壊と工作活動の末、この街の店舗の半数を手中に納めることができた。

 巷ではその手法を恐れる者も数多くいたが、彼の支配下に置かれた地域に属する店舗の売り上げは軒並み改善し、治安の悪化による損害を防ぐために自警団を設立したことで集客率も向上した。

 その成果を目にしたものからすれば、マルスは肥溜めのなかに現れた救世主メシアのように見えたことだろう。

 マルスからしたら、効率よく金を稼ぐ為にしたまでのことなのだが――


 己の壮大な計画を実行に移していくためには、一にも二にも金と信用が必要だった。

 暴力だけではすぐに行き詰まってしまう。そこで、街全体の利権を根こそぎ奪おうと計画をたてたのが、新たに仲間に加わった団員のシャンドラである。

 場末の飲み屋で無線飲食の罪で捕まったオヤジなのだが、その経歴を調べると、驚くほど金を稼ぐに特化した人生で、各国から懸賞金を掛けられるまでの大詐欺師ということがわかった。

 これは使えると踏んだマルスは、無罪放免を約束する代わりに金庫番を命じた。

 以来金策に関しては予想以上の成果をあげ、残り半分を今日手に入れようとしていた。

 マルスの横に座る貧相な歯抜けのオヤジが、まさか金に関しては天賦の才を持ってるなど、誰も思わないだろう。



「旦那ぁ。紹介しますぜ。こいつはこの街ののシノギを預かっているミネルヴァの頭領ドンのイーシャンです。こんな成りですが、この街の半分を取りまとめるだけのカリスマ性と残虐性を持ってますぜ」

「ミネルヴァ……話は聴いてますよ。手段を選ばずに地獄の果てまで金を取り立て、金のない女性子供は、足の健を切って逃げ出さないようにしてから風俗に落とす――冷酷非道な極道組織だとね」

 シャンドラの紹介で少しは優位な立場になれるかと期待したイーシャンだったが、目の前に座る華奢な少年は、よりな事実を自ら語っているにも関わらずその無垢な表情を変えることはなかった。

 修羅場を潜り抜けてきた……というだけでは説明がつかない。

 その子供らしい表情とは裏腹に、その両の眼には暗い深淵が何処までも広がっていた。

まるで、常に死を享受しているかのような、そんな色を湛えていたのだ。


「お褒めに与り恐悦至極でございます……ってか。今やカーマダートゥで一番の昇り竜と唱われている革命団の頭領ドンが、現状に飽きたらずさらに勢力を拡大させようって訳かい?ああ!?」

 会談の出だしで主導権を渡してなるものかと、渾身の睨みを利かせたというのに、放った威圧は少年を透過したように肩透かしに終わってしまった。

(……ちっ、まるで亡霊を相手にしてるみたいだぜ)

 イーシャンは今でこそ組織のトップに君臨しているが、過去には夥しい数の修羅場を経験してきた。

 切った張ったの仁義の世界で、なかには命知らずな鉄砲玉捨て駒もいたにはいたが、そいつらは蛮勇なだけであって、たいして恐ろしさを感じることはなかった――

 だが、目の前の少年からは、まるで暗闇と対峙しているような、得体の知れない薄気味悪さを感じていた。

(素手喧嘩ステゴロなら、まだ勝機はありそうだっていうのに……いくら武器を持とうが、小僧に傷一つ負わす自信がねえ……)

 本能が、目の前の子供にたいして最大限の警戒をを怠るなと、煩くがなりたてている。

 さすがに敵対するのは不味いと察知したことが、イーシャンの分岐点となったことを知る術はなかった。


「僕からの提案は一つ。この街の利権を全て譲って頂きたい」

「おい……ちょっと待てよ。俺達になんのメリットがあるんだ?」

「ああ、怒らないでおくれよ。言っておくけど、利権の譲渡は期間限定でいいんだ」

「はぁ?どういうつもりだ」

「僕には目的がある。そのためにお金が必要なだけであって、一生この地で利権にすがって生きようなんて思ってないんだ。あくまで限定……そうだね、二年で構わない。その間に稼がせてもらえればいいからさ。その二年の間に、このカーマダートゥをさらに発展させて、熨斗のしをつけてお返ししようじゃないか。悪くない話だろ?」

「……それが本当の話ならな。約束が果たされなかったら、どうするつもりだよ」

「うん。そのときは僕の首も団員の首も好きなだけ持ってくがいいさ」

「……はっ、聴いてた以上にぶっ飛んだガキだな!仲良く出来そうだぜ小僧」


 勢力圏が脅かされていたことに、会談前までは怒り心頭だったリーシャンだったが、マルスの提案通りなら二年は野に下ることになるが、それ以降はさらに発展が約束され、左団扇で暮らしていけるというおまけ付きで街が返還される……。

 もし不履行なら罰を負ってもらい、代わりに街の利権を根こそぎ奪える――

 どちらにしろ二年後には儲かる――そう打算を働かせたイーシャンは、機嫌を良くし、つい口を滑らせてしまった――二度目の分岐点はどうやら誤ってしまったようだ。



「――――はれっ?」

 イーシャンの眼に写るのは、逆さまになったマルスの姿――その手には、血がベットリと付着した大型のナイフが握られていた。

(……なんで?どこで、しくじっ……た……)


 ドサッ――


 深紅のカーペットに、生首が一つ、間抜けな顔をさせ転がり落ちた。


「ちょっと……これ処理するの誰だと思ってるのよ」

「ごめんよリャナ。ついキレちゃって」

「ごめんで済んだら軍隊なんて要らないわよ。……あぁ、事後処理どうしよう」

「やっちゃったもんは仕方ないよ。前を向かないとね」

「うるさい!!……はぁ」


 その後、ミネルヴァは頭領ドンが抹殺された結果、統率が乱れた状態のまま革命団に飲み込まれていった。

 なお、最後まで反抗していた気骨のあるものから、命令を受けたジャックに嬉々として切り刻まれていったのは後世の史実として語り継がれていくことになる。


「さて、目の上のたんこぶ、もとい猩猩蝿しょうじょうばえは綺麗さっぱりなくなった。これで計画はさらに進むことになる。シャンドラ、お前には資金面でさらに知恵を借りたいんだけど、何かいいアイデアはある?」

「そうですねぇ……それなら、手っ取り早いのは奴隷オークションですかね」

「おいっ!シャンドラ!マルスの前でなんてこというんだ!」

「へへ、今日はずいぶんと人が死ぬねぇ」

「……はぁ」

 三人は、マルスが奴隷を嫌っていることを知っていた。それなのに奴隷オークションで金を稼ごうなど提案したシャンドラが、五体満足でこの場を切り抜けられるとは思わなかった。

 少なくとも、首は飛ぶ。と予想したのだが――


「話は聞いていたけど、それってそんなに稼げるものなの?商船を使ってまで輸送しても、あっさり疫病にかかって死んじゃうじゃないか。それに維持費も馬鹿にならない。儲けは出るんだろうね」

「え、マルス?あなた奴隷は反対の立場じゃ……」

「ん?ああ、もちろん犯罪奴隷だけだから安心して、リャナみたいな境遇の子を作りたくないしね」

 平然と世間話をするように語るマルスを見て、三人はマルスの変化におののいた。


「そう……そこまで狂っちゃったのね」

「どうしたのリャナ?顔色悪いよ?」

「ううん……なんでもないよ。先に休んでるわね」

「おやすみ。リャナ」

「さて、話に戻って構わないですかい?」

「悪かったね。リャナは真面目だからさ――」



 <なぁ……マルスのヤロー、ここ最近イカれ具合が増してないか?>

 <もう現実と虚構の境目が無くなってきているのだろう>

 普段対立し合うライデンとジャックですら、お互いの意見に同調した。

 日に日にマルスの精神面は悪化している。

 どこか幼さも残しながら、その身の内には、純真無垢な天使と、誰も押さえることができない強大な悪魔を宿し、時おり悪魔が顔を覗かせると、辺り一帯は血の海と化す――

 マルスを唯一抑えられるのは、リャナと慕っているメイヴのみで、彼女の言うことは大抵素直に受け入れる。

 もしメイヴがいなければ、ライデンもジャックも、何が原因で消されるかわかったものではなかった。

 ただ、それでも後をついていくのは、彼自身に備わる魅力的な才能に、無意識のうちに惹かれていたからに違いなかった――

 どんなに正義を語る清廉潔白な僧侶ですら、切っても切り離すことのできない『悪』の心を刺激し、導き先導する力――先天性カリスマの能力を天から授けられた少年は、今日も笑顔で命のやり取りに花を咲かせている――

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