4. 運命の悪戯 後編

「マルスって、もしかして姉さんの恋人?」

 人混みを避けるために路地裏に入った二人は、マルスの奢りで買った蜥蜴の干物を食べていた。

 ちょっとやそっとのことでは心が動かないと思っていたマルスだったが、その問いには思わずむせてしまった。

「ゴホッ、ゴホ……」

「大丈夫?もしかして変なこと聞いちゃった?」

「いや……恋人なんかじゃなかったよ」

 恋人なんかじゃなかった。

思いすら告げることができなかった半端者だと隣にいるメイヴに伝えたら、彼女と瓜二つのメイヴは何というだろうか――そもそも姉が亡くなったことは知っているのか?


「そうなんだ。ならついてきなよ。いいことしよ」

「ちょ、待ってよ」

 なにがそうなのかわからなかったが、マルスは腕を引っ張られてると見知らぬ建物へと連れ込まれてしまった。



「なんだい、今日はまた客が見つかったんかい?」

「いいでしょ!給金は色付けといてね!」

 玄関の扉を開くと、正面のカウンターに煙草を燻らせてこちらを睨み付ける、三白眼のおばさんが鎮座していた。

「コースはどうすんだい?」

「んー。ねぇマルス、一時間、二時間、三時間、どれがいい?」

「いや、僕はそんなことするつもりなんて……」

「メイヴ。あんたヤル気もない子をつれてきたんかい?」

「い、いやぁ……アハハ。ほらマルス二階に行こ!」

「だから引っ張らないでってば」

 この街は、酒場や賭場、合法非合法の薬、人間の淀んだ欲に絡む店は星の数ほどあるが、そのなかでも圧倒的に多いのは風俗店だ。

 金を払って欲望を満たす側と、金を受け取って体を提供する側の歪んだ関係で成り立つ商売。

 これまでの流れで、メイヴも自らを売っていることは簡単に想像できたが、リャナと瓜二つの妹が売春をしていると考えると、とても虚しくなった。


「さぁ入った入った。風通しは良いけど我慢してね」

「え?」

 いってる意味がわからなかったが、すぐに何を意味するのかわかった。

 なんとその部屋にはが存在しなかったのだ。他の部屋も同様で、扉がなければ当然喘ぎ声やなまめかしい声がこちらにも丸聞こえの有り様。

 その部屋にただ呆然と立ちつくしていると、無防備だった背中を押され、埃っぽい黄ばんだベッドへと押し倒された僕の上に、リリスが馬乗りとなってのし掛かってくる。

「ちょっと待ってよ。僕はなにもするつもりは、」

「ほー黙ってついてきてそんなこと言うのぉー?」

 メイヴの指がミミズのように上半身を這いまわる。

「リャナと同じ顔の君と、そんなこと出来るわけがないじゃないか!」

 これまで幾人と体を重ねてきた彼女からしてみれば、宿まで連れ込んで断られでもしたら、プライドが傷付くことを想定していなかった。

 だから、ムキになったメイヴがあんな提案をしてくるとはマルスには想像もできなかった。


「それじゃあ……特別にヤってあげるよ。どうせ初めてなんでしょ?」

 僕をその気にさせようとして、軽く放っただけのその一言に、マルスは大事な想い出を汚されたような気がした。

「リャナを侮辱するなっ!!」

 あまりの声の大きさに、それまでお楽しみ中だった隣人達が、異変を感じて扉のない入り口から何事かと顔を覗かせている。

 次第にその場の空気が悪くなっていくのをマルスは肌で感じた。


「なんだいあんた達、うるさいのはよがり声だけにしといてくれよ。他のお客様の迷惑だ」

 二階の異変に気付いたオーナーが、様子を窺いにきたらしい。眉間にシワを寄せて静かに怒りを滲ませている。

「ごめんねー。もう大丈夫だからさ」

「次うるさくしたら罰金だからね。まったく……」


「ごめん……つい感情的になっちゃった」

「アタシもごめんね。つい考えなしに口走っちゃって」

 お互い謝った後は、コースの時間を使いきるまで、これまでの生い立ちを打ちあけた。

 リャナと出会ったこと、リャナが亡くなったこと、メイヴに出会うまでの経緯を包み隠さずに全てを――


「それじゃあマルスは、亡くなった姉さんのかたきを取るつもりなの?」

かたきか……。命を奪った貴族はもちろんこの手で始末する。それは絶対にだ。……だけどね、それじゃあ全然足りないんだ。リャナが死んだのに、平然と回るこの世界なんて必要ない。真に平等で自由な世界とは、既存のシステムを全て破壊し尽くした後の、荒廃した絶望の世界のことだと思うんだ。だから、僕はリャナが死ななくてはならなかったこの世界の敵となる。必ず、ゼロにしてやる」

 マルスはメイヴが同意してくれると思った。

 好きで娼婦なんてやってるわけではないだろうし、自らの境遇にもこの世界にも疑問を抱いているはずだ――そう考えていた。


「アタシが……もし姉さんなら、バカなこといってんじゃないわよ!」って一喝するわね。

「え?なんでよ。だって、メイヴだって娼婦なんて仕事を、」

「話してて思ったけどさ、マルスは考え方が偏りすぎてるよ。さっきから娼婦のことも気の毒そうに話してるけどさ、結局それって上から目線で可哀想にって話してるだけでしょ?皆が皆、不幸な訳じゃないんだからね。そりゃ好き好んでやってる人はごく一部だけどさ……中には落ちるとこまで落ちた奴隷以下だった私みたいな女を助けてくれる優しい人だっているんだよ?アタシは姉さんと離ればなれになった時間の方が長いから、亡くなったっていわれても実感はわかないけどさ……マルスは心が引き裂かれるほど辛くなったんでしょ?それなら、姉さんの死を理由に、姉さんが悲しむような真似はしちゃいけないと思うの」

 真剣な目で語ったメイヴは、言ったあとで恥ずかしくなったのか、シーツを被って隠れてしまった。


 ――リャナ……君はなんというだろうか。

 まぶたを閉じて、思い描く彼女の笑顔は、いつもの笑顔ではなく何処か影っていた。

 ――なんでそんな顔をするの?僕がやろうとしていることは間違ってるっていうの?君が死んだのはこの世界のせいなのに?

 いくら考えたところで、彼女の笑顔は戻ることはなかった。

 ――そうか、笑ってくれない君は、リャナではないんだね。


 ようやく落ち着きを取り戻したメイヴは、未だにまぶたを閉じ深く考え事をしているようなマルスを見つめていた。

(この子は、本当に姉さんの事を愛していたのね……少し妬けちゃうな)

 メイヴは恋をした経験がなかった。

 物心つく頃にはこの環境に身を置いていたし、性欲と愛の違いが理解できないでいた。

 にもかかわらず、まだ会って数時間の少年の、良くも悪くも純粋な一面に心惹かれていたメイヴだった。

 これまで性欲の捌け口として扱われることに、我が身を呪ったことは何度もあったが、一度たりとも世界を呪ったことはなかった。

 それは自分に手を差しのべてくれたオーナーに恩義を感じていることもあったが、何より、幼い頃に姉に貰った絵本に書かれている、白馬の王子様に憧れていたからだ。

 ――いつか、私を王子様が迎えに来てくれるはず。

 そんな幼稚ともいえる願いを長年抱いていたからこそ、娼婦を続けてこれたのかもしれない。



「……リャナ」

 ふとマルスが姉の名を漏らした。それを聞いて少しムッとしたメイヴだったが、その閉じられたまぶたの隙間から、一筋の跡が出来ていたのを見て心が苦しくなった。

「マルス……」

 仕事とか抜きでマルスの気が晴れるなら、この身を差し出しても良いとさえ思えた。

「私が姉さんの代わりになれたな……」


 深く息を吐いたマルスはゆっくりと目を開くと、深い深海のような瞳でメイヴを見据え、愛しそうにその名を呼んだ――

「君が……リャナだったんだね……」




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