2. 後戻り出来ない一歩

 奴隷国家ポルポト――地下オークション開場

 少し見ない間に一回りは肥ったであろうか、でっぷりと脂肪と富を溜め込んだ男が、高級な葡萄酒ワインをグラスへなみなみと注ぎながら、今日のオークションの売り上げについて饒舌に語り始めた。


「旦那、聞いて驚かねぇでくだせぇ……。なんと今回のオークションの売り上げは、我が革命軍の過去最高額ですぜ。旦那の持ち込みは全て上質なものばかりですから、当たり前といっちゃあ当たり前なんですが……特に今回はあの、」


「黙れ――」


 放っておけば、いつまでも聴くに耐えない言葉を垂れ流す。

 正面に座るのは、見知らぬ者から見ればまだ成長期途中といった年齢の少年だった。

 奴隷国家ですら認められていない闇オークションの主催者と酒宴を共にするなど、明らかに場違いだし常軌を逸してると誰もが口を揃えて言いたくなるだろう。

 だが、それを口にしたら最後、その命は無くなることを少年の部下達は骨の髄まで見に染みている。

 子供扱いをされることが、少年はなにより許せなかった――無力だったせいで大事な人を救えなかった過去が、彼の精神に強く影響を与えてしまった。


 そして、許せないことがもう一つ少年にはあった――約束を破るもの。

 今もグラスを傾ける目の前の醜く肥えた男のことも、少年は許せないでいた。

 革命軍創設当初、資金難に直面していた自分達を、様々なアイデアを出してくれたり闇オークションを運営することで財政面から支えてきたのだから、ある程度の感謝はしていた。

 功績にはみあった報奨も与えてきたつもりだった。

 それなのに、信賞必罰を矜恃としていた少年の期待を、いつからか裏切る真似をしていたのだから。

 男は侮っていた。団員のなかでも古参に位置し、しかも金庫番を任されている自分が罰を受けることなどないと――


「ふん……どうでもいいさ。俺は金さえ手に入ればとうでもいいんだからね」

「そんなツレねぇ態度とらねぇでくださいよ。誰がこの闇オークションを取り仕切ってると思ってるんですかい?」

「……それもそうだな。確かにお前にはこれまで助けてもらったよ。僕には政府の目から隠れてまで闇オークションを経営するノウハウも、つてもなかったからな」

「そうでしょうそうでしょう。戦うしかない能がない連中とは違って、僭越せんえつながら旦那の右腕と自負してますからねぇ。それと、ものは相談なんですが……今後の私の取り分をほんの少し増やし……えっ……?」

 酒の力もあって饒舌に語っていた男は、胸部に熱い衝撃を感じ、なんだと確認した――すると、ちょうどシャツの胸元に赤い染みが拡がり、同時に痛みと恐怖が全身に拡がっていった。


 <な、なぜ、ワシが撃たれたんだ!?……わたしは幹部だろうが……!!>

 呼吸が荒くなり、意識が朦朧もうろうとする男の目の前に移動した少年は、一枚の銅貨を投げ捨てた。

「駄賃をやるよ。あの世までの渡り賃だ。ありがたく受けとれ」

 自分を何の感情もなく見下ろす少年の眼を見て、男は猛烈に後悔をした。手懐けていたと思っていた少年が、まさか予想を遥かに上回る怪物に成長していたのだと。


「そ、そんなぁ……おれは、どんだけあんたに……」

「時間のようだ。それじゃあね」

「あっ――――」


 パン。


「わざわざお前が手を出さなくてもよかったのによ。俺がやっても良かったんだぜ?」

 部屋から出てきた主に、ヒッヒと嗤いかける男は、ただ殺しをしたかっただけのイカれた殺人鬼シリアルキラーだったが、訳あって少年と共に行動をしていた。

 建前では少年の願望を叶えてやるという約束だったが、それがどう転ぼうがどうでも良かった。

 叶えばいいし、叶わなくても構わない――ただ、この少年の近くに居れば、死は自ずと近付いてくると予感し、こうして側にいるだけだった。


「お前のような単細胞に好き勝手動いてもらっても困るのはこっちだからな。そのイカれた性癖を発揮してもらうのはこちらのタイミングで決める。そういう約束だろ?」

「わかってるよ。アイアイサー」

 こうして臆面もなく自分に付き合う少年に興味がないと言えば嘘になる。

 やはり、あのときに手を差し出して良かったと、薄ら笑いをする男であった――





「マルスの体調はどうなんだ?」

「……申し訳ないが、ここでできることは限られている。傷は治せても、心までは癒せないんだ」

「じゃあ……マルスはどうなっちゃうんだよ」

「時間が、彼の心を慰めてくれるのを待つしかないかと……」

「そんな……」


 マルスはバカな貴族が起こした事故により、右目を失った。しかし、彼の心を深く傷つけたのは眼の怪我のせいではなく、マルスが恋したリャナンシーの死だった。

 事故に巻き込まれそうだったマルスを庇い、彼の目の前で車輪に巻き込まれた彼女の遺体は、とても正視に耐えうるものではなく、その特徴的な赤髪だけが、リャナンシーと判別できる証拠だった。

 彼女と対面を果たしたマルスは、その日以降口を閉ざしてしまった。もうこの世には希望などないとでもいうように――


 <……リャナ……僕は君の後を追おうと思うよ……>

 幸い右目の経過は良かったが、心はどうしようもなかった。むしろ日に日にリャナとの大事な記憶が、音を立てて崩れていく。

 死ぬなら、早めに死のう……。

 一人自殺を決意すると、真面目な性格のマルスは死ぬ前の最後の仕事にと、奴隷達に食事を与えに行った。

 そして、あの男の手を取ることになる――




 いつもの面子メンツがその場に揃っていた。

 ジャン、ティーチ、ドレーク。いずれもマルスがお世話になった者ばかりだ。

 そしてその場にもう一人――「俺はジャックだ」

 あの日手を取った相手であるジャックと僕が、三人の正面に立ち自らの決意を伝えた。


「なに言ってるんだよマルス!ドレークさんの恩を裏切るって言うのかよ!」

「だから言ってるじゃないか……。申し訳ありませんって」

「この馬鹿マルスがっ!!」

 ジャンは殴りかかろうとしたが、すんででドレークがその拳を止める。

 正直殴られてもしょうがないと、必要な儀式だと受け入れていたマルスは拍子抜けした。

「師匠、止めないでください。ジャンには殴る権利がありますし、僕には殴られるだけな責任があります」

 マルスの発言に、口下手なドレークは黙るのみだった。


「マルスよ」そこで代わりにティーチが続ける。

「お前がどこへ行こうが、それはお前の自由だし、引き留める権利は俺達にはねぇよ。俺もドレークも似たような経験をしてきてるしな」

「それなら、僕が僕の理想のために組織を結成するのも異論はないですよね?」

 マルスはいつの頃からか心のどこかで肥大化していた疑問が、リャナの死によって決定的となり、

 この腐敗しきった世界を変革することを決意した。全てのしがらみを破壊し尽くすと――


「だがな、そんな自殺紛いな馬鹿な真似を許すと思うか?俺はお前達の親みたいなもんなんだよ。親が息子の暴挙を見過ごすわけにはいかねぇだろうが」

「――だったら」

「あん?」

「止めてください」

「おい、その眼……」

「僕を止めたいんでしょ?殺さない限り、僕は止まりませんよ?」

「……マルス。お前、そこまで思い詰めてたのか」


 それまで一部始終を見ていたドレークが口を開く

「マルス。お前は何処へなりと行ってしまえ」

「おいっ!ドレークなに言ってんだ!」

「師匠!?マルスが勝手にいなくなるなんて許しませんよ!」

 ジャンとティーチは慌ててドレークを止めていたが、マルスにはどうでもよかった。認めてくれるのなら、それに越したことはない。

「だがな、一つ約束してくれ」

「なんですか?ものによりますけど」

「死ぬな。何があっても生き延びろ」

 それだけ言い残すと、重い扉を開いて何処かへと去っていった。

 それが口下手なドレークとの今生の別れだった――



「……それじゃあ、僕もそろそろ行きますね」

 立ちすくむ二人に簡単に別れを告げ、マルスもその場を離れた。

 去り際に何やら罵詈雑言が投げ掛けられたが、その程度では少年の心は動かないほど、無感情となっていた。


「待てよマルス」

 今度は誰だと声が聴こえる方に目をやると、ライデンが立ちふさがっていた。これは面倒そうだとジャックに相手をしてもらおうとすると、ライデンは思いがけないことを言ってのけた。

「俺もマルスについていくぞ」

「……なに言ってるんですか?せっかく自由の身になれたんですから、余生でも楽しめばいいじゃないですか」

「俺の力が必要だって言ったじゃねえか。世界を変えるためには、どんなことだってしてやるさ」

「……もう後戻りは出来なくなりますよ?」

「いいさ、最初はなから袋小路の人生だったんだ。それなら壁をぶち壊すしかねぇだろ」

「……わかりました。ライデンさんは言い出したら聞かないですもんね。せいぜい役に立ってもらいますよ」

「ああ、よろしくな」


 こうして、マルス、ジャック、ライデンの三人は、修羅の道へと出航したのだった。



 誰もいなくなった倉庫で、ドレークは普段飲まない酒を一人飲んでいた。

 この日が来るべくして来たかと、複雑な心境を慣れないアルコールで誤魔化すしかできなかったドレークは、今は何処にいるかもわからない友を想う。


「ナオト……お前との約束を守れなかった。すまん……」


 床には滴が数滴落ち、その痕はすぐ乾いていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る