第四章 少年の覚醒

1. 王の独り言

 煌々と灯りが灯る王城の一室――静寂が包む執務室には、今宵もペンを走らせる音が響いていた。

 この城で働いている者は、皆知っている。一日の最後に灯りが消えるのはその部屋だと。


 アリスはペンの音が好きだった。適度な筆圧で、淀み無く紙面に書かれていくときのあの心地よい音色が。

 指揮者が振るう指揮棒タクトさながら、己が産み出す旋律もじの一つ一つが、後の政策を実現していくためのいしずえとなり、歴史となる。


 旧態依然の新国王反対派だった王侯貴族は、既にあらかた処分され、もはや息をしているかもわからない反対勢力すら、主要会派へと鞍替えを余儀なくされた今、国王の地位を磐石としたアリスは、その日も心置きなく夜遅くまで机に向かっていた。


「ふー。やっと半分の書類が片付いたところね……」

 山のように積まれていた書類が、目線の高さ程度まで減ったところで、こめかみを指でほぐした。

 あの衝撃的な国王の任命から二年が経過し、国王に変革をもたらした新王とはいえ、まだ若干十七歳の少女の身には、苛酷すぎる二年であったことに間違いなかった。

 本来なら享受するはずの青春など、皆無の二年――

 それをアリスは後悔したことはない。大変なことは無かったといえば嘘になるし、何度この地位を放り投げたいと思ったことか。

 だが、己の夢、野望ともいえる壮大な計画の実現のためと割りきって考えていたからこそ、大変だと思っても、辛いと思ったことはなかったと言い切れる。

 逆に、夢がなければここまで続けられなかったということだ。


 アリスは確信していた――確実に王国は強大化しているし、それは国民の所得をみれば明らかだ。封建的な体制を撤廃したことで、自由も生れ、身分に関係なく職も選択できるようになった。

 領土の拡大も進み、近代化への革命も起きつつあるし、あれほど国力の差が開いていた帝国の背中も、やっと見えつつある。


 にも関わらず、一部の民衆の間では、ここ最近不満が高まっているらしい。

 自由が認められ、己の才覚で人生を切り開けるような時代が訪れたというのに、やれ格差が拡がった、職を失った、前国王が良かったなど、好き勝手わめくやからが、徒党を組んでは三番街で、小火ボヤ程度のデモを行っているらしい。

 昼間に働くわけでもなく、与えられた自由の意味を履き違え、迷惑という二文字を撒き散らす公害ども。

 支配層にあった者達は、それが無くなった途端不安になったんだ。自分で泳いでいかなければならない大海原に出ることも敵わず、海岸から不満だけ垂れているというのは、つまりはそういうことだ。


「ほんとうに救えない人達ばかりね。この世の不利益は当人の力不足が原因なのに――」


 国王になってしみじみ思う。

 どんなに制度を拡充したところで、どんなに立派な国にしたところで、適当な理由をつけて不満を口にする国民の割合は変わらないと――

 変わらないなら、いっそ、そのを無かったことにしよう。そう決めたのだ。

 おかげで政策は短時間で可決され、口だけの民主派は何も出来ない。


 もちろん旧体制では認められていなかったデモも、今では権利として認められている行為だが、容認するかどうかは別の話だ――顕然たる王国の基盤を揺るがすような無知蒙昧な輩が煽動しているのだとすれば、それは早めに鎮火しておくに限る。

 それもこの二年間でアリスが学んだことだ。


 三番街について考えていると、ふと、あの少女達を思い出した――

「三番街といえば、あの花売りのトーカはどうなったのか……それにナージャも」

 天と地ほど立場は変わってしまったが、それでもあの二人のことだ。きっと上手くやっていると思いたい。

 だけど、ここ最近海外から流入してきた高利貸しが、幅を利かせていると報告を受けている。

 現に取り返しのつかない負債を抱えてしまう愚か者が増えているようなので、彼女たちも下手に手を出さなければいいけど――

(そうえば、ここ最近は、昔の友人を思い出すことがほとんどなかったな)

 それまで淀み無く走らせていたペンを置くと、城下を見下ろせる窓際の椅子に腰掛け、ぽつぽつと灯る民の暮らしに目を細めた。

 ――少し前は、私はあのなかに埋もれていた一般人だったのに、人生とはどう転がるかわからないものね……。あの一つ一つの灯りが、守るべき民の命。もし、私があそこに立っていたら――

(考えちゃダメだ……。前を向いて邁進するのみ。勝手にレールを降りることは許されない)

 しかし、わかっていても頭に浮かんでしまう人がいる。


「エルヴィン……貴方は一体何処に行ってしまったの?」

 信頼を寄せる、ごく一部の限られた部下を捜査に当たらせているけど、彼の情報は全く入ってこない。

 わかったことは、エルヴィンが恐ろしく腕の立つ諜報人スパイだったという事実だけ。私も知らなかったけど、恐らく彼がいなければ、数年前には地図から王国が消えていたと予想される。

 それと、弟のマルスのことがもっとも気にかかる……。

 しばらく連絡を取っていなかったマルスの動向が気になり、現在の状況を調べさせると、過去に大罪を犯した前科者と接触を図ったうえに、行動を共にしているという信じがたい情報が入ってきたのだ。

 信憑性は決して高くない話だし、捨て置けばいい程度の噂話なはずだ。そう自分を納得させればいいだけなのだが、万が一、実弟が犯罪者と手を組んでいたりなどすれば……。

 この椅子が一撃で吹き飛ばされるほどの威力である。その真偽を探るために全力で逆十字ハングドマンに捜査を依頼している。

 他国の諜報機関を真似て組織した逆十字ハングドマンは、国家に仇なす存在を調査、捕獲、時として拷問まで行う組織であり、神でさえその対象とするという徹底した思想のもとに作られた秘密組織である。

 砂粒のような事実を積み上げ、淡々と捜査する優秀な彼等に期待はしているが、未だ有力な情報が届くわけでもなく、マルス本人の足取りも追えていない。

 捜査員は捜査員で、結果を出さなければ文字通り首が飛ぶので、死に物狂いとなって捜査に当たっているが、結果は芳しくはない。



 行商人の弟子として、一足先に世界に飛び出した弟が、何を考え、何をしているのか、それが理解できない姉としては心配であったが、王となり個人的な感情に揺さぶられるわけにはいかなくなった。

 それに――数多あまたの命を散らした真っ赤に汚れた両手を見ると、身内すら心配する権利もないなと苦笑いをするしかなかった。



 ホーホーと、どこかでふくろうが鳴いている。

 アリスは、ほんの一瞬目蓋まぶたを閉じると、再び執務に戻っていった。

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