10. アリスの歩む道
「ねぇエルランド。こんな無駄に豪華な部屋なんていらないでしょう……」
「そう言うな。まさか他国の官僚共を粗末な部屋に通すわけにもいかぬだろう」
「それはそうだけだどさ。こうもキラキラしすぎてると、視力が落ちちゃいそうで困るのよ」
遥か高い天井には、天国を想起させるような、幾人もの裸体が描かれた精緻な絵画が一面に飾られ、そこから吊り下げられた巨大なシャンデリアが、真下の私たちを煌々と照らしている。
そして現在、この広間には二カ国の元首と、その閣僚達が首を揃え相対している。
エリュシオン王国とダルタロス帝国。
当初想定された『戦』は、一人の戦死者も出さずに終結した。いや、始まる前に終わったというべきか。
あっけなく、女帝ヴェルナドットの死によって幕は閉ざされた――
どこまでも長いテーブルなんだと、つっこみたくなるような大理石のテーブルに、向かい合うように席につく。
「それでは調印式を開催いたします。異議がある方は挙手を」
「――ちっ」
「それでは各々署名をお願いします」
「ここね。えっと~条文が長過ぎやしない??」
「おい待て。先程から言ってよいものか迷っておったが、何故王の席に小娘が座っているのだ。そしてなにゆえ署名を行おうとしておる」
なんとなく流れで調印式を終わらせられないかと思ってはいたが、そうは問屋が下ろさなかったらしい。
「何って、そりゃ私が王だからよ。あ、女王になるのかしら」
「「はぁ!?この乳臭い小娘が?」」
あれ?とっくに情報は得ていたのかと思っていたけど、帝国の諜報部隊はその程度なのかしら。それとも、それどころではなかったのかな?。その前に乳臭いって言いぐさ酷くない?
「無礼であるぞ。エリュシオン国王を乳臭いなど……ぷっ」
おい。何故笑う。君主が笑われてるんだぞ。まぁいいけどさ。
「ええ乳臭い小娘の私が王を任されております。ゆえに暴言は慎んでいただきたい」
ここで、王様に教えてもらった奥義、<ふんぞり返る!>
「ままごとにしか見えませんがな」
ちょっと、全然効かないじゃない!
「コホン……それでは調印式を再開致します。各々手元の書類に署名をお書きの上、交換が完了した時点で条約の締結と致します」
「エルランド、これどういう意味?」
帝国が王都に向け進軍を開始する前夜、帝王ヴェルナドットの居室で、何者かに薬を盛られ、既に事切れた彼女の
部屋には毒が仕込まれたと思われる
そして同時に、従者であったエルヴィンの姿も消え失せ、この暗殺への関与が濃厚と判断され足取りを追ったのだが、痕跡一つ見つからず拘束を断念したらしい。
まさかエルヴィンが帝国に潜り込んでいたなんて思ってもいなく、それを知るのはフリード王と、エルランド、それにメイド長のメアリーの三名しかいないと、エルランドは言っていた。
何を考えてるのか、全く想像できないエルヴィンの行動に私はただ困惑するばかりだった。
戦争を止めるために毒殺をしたのなら、王国にとっては英雄と持て囃されるような功績だけど、私個人としては、もうこれ以上辛い思いはしてほしくなかったのだ。
きっと罪を一つ犯すごとに、自分のことも傷つけているはずだから。
「アリス。入るよ」
妄想に耽っていると、いつの間にか執務室にメアリーが入室していた。音もたてないので非常に心臓によろしくない。
「入ってから言わないで下さいよ」
「少しは危機感を持ったらどうだい。そもそも気付かないお前が悪い。実は耳に入れておきたいことがあるんだが」
「なんですか?」
「一番街で密かにクーデターを計画してる
「はぁ?クーデターですって?せっかく世直しを図ってるってときに何してくれるのかしらね。まぁ国の治安を守るからにはそんな連中放っておけないし、速やかに摘発してください」
「は、アリス女王の仰せのままに」
小馬鹿にするように出ていくメアリーを見送ると、小さい体躯には不釣り合いの革張りの椅子に体重を預け、一人呟く。
「はぁ……勉強は山のようにあるわ、汚職は一掃しないといけないわ、公共工事は待ったなしだわ、外交は問題ばっかだわ、王様は寝る間もないわね」
夜中までペンを走らせ、寝る間も惜しんで理想の国のために出来る限りの可能性を模索するアリス。
フリード王の生前遺言という奥の手を使ってまで王の地位を得て、混乱の最中、初の女王となったアリスは、牢獄へと幽閉されたメイド長のメアリーとエルランドを
使える臣下はそのまま重用し、少しでも反旗を翻す恐れがある臣下は、文字通り切って棄てた。
功績には報酬を。罪には罰を。
最初こそ抵抗はあったものの、国の未来の為と割りきって粛々と改革を続けていくうちに、それが正しいことだと思い始めていた。
次は自分の番ではないかと怯えた者は、闇夜に乗じて亡命を試みるが、それすらも死神の鎌から逃げ切ることは許されない。
真の平和とはこれほどまでに手にするのが難しいのかと、今日も決済の書類に署名を行う。あの幼い夢を大声で掲げていた頃は、現実が見えていなかった。
自らの歩む道が、国の歩む道だと悟った頃、あれほど美しかった
そして、アリスは知らなかった。
あどけない容姿で、少女らしさを残す笑顔をたたえながら、粛々と執務をこなしていく己が、巷では畏怖を込められなんと呼ばれているかを――
「アリス。貴様は本当に王になれるとでも思っているのか?たかが平民の分際で、卑しくも王の玉座に手を伸ばし、そこから見下ろすは地獄への一本道だ。それでもなお王になると?」
「私は王なんて柄じゃないけど、それでもこの国を変えるためには、
「ふん。既に王位を剥奪された我に手を貸せと……。その図太さは買ってやろう。お前がどう転がり落ちていくか、それを隣で眺めるのもまた一興だろう」
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