9. 女帝ヴェルナドット
「王国は揺れに揺れておるようだな。まさか第二王子が暗殺されるとは夢にも思っていなかっただろう。あの平和呆けした馬鹿貴族どもは」
「そのうえフリード国王の命も風前の灯ですので、エルランドが指揮系統を掌握しようと躍起になっています」
「ハハ。相変わらずの冷徹ぶりだなぁエルランドは。弟すらも駒の一つであるか」
「あの御方は、そもそもエルヴィンを弟とは認識していなかったのでしょう。いつかは処分が決まっていた人間。それまで生かされていたに過ぎません」
「お主から見たら、愚兄は最後まで愚兄であったか?」
そう言うと、彼女のつぶらな蒼い瞳は己が最も信頼を向ける従者に注がれる。いや、従者というには些か親しすぎる密着度合いで、彼の隣にピタリと寄り添う。
誰もいないこの部屋では、帝王といえども一人の年若い女性の一面を見せていた。
帝国第三十四代目帝王カエサル・フォン・ヴェルナドット。齢にして二十歳。
建国史上初の女帝は、十五歳で帝王の地位に就き、その持って生れた才覚をいかんなく発揮し、ダルタロス帝国の発展に大きく貢献を果たした。
既に歴史に名を残したとまで言わせしめる偉業を果たしたヴェルナドットであるが、その彼女を持ってしても、未だ果たせていない野望が残る。
それが、エリュシオン王国の瓦解である。
ヴェルナドットは思い出す。ある約束を目の前の男と交わしたあの頃を――
「余が、余が王の座についた暁には、この世界を争いのない世界にするのじゃ!」
「はい?お子様が何を仰ってるのですか。それよりも語学のお勉強の時間をとうに過ぎてますよ」
「こらっ!脇を掴むな!離せと言うておるのに!ちょ……お願いだからおろしてぇ」
まだ十にも満たなかった私は、当時私の従事者として使えていたエルヴィンと、楽しい毎日を過ごしていた。
出時は詳しく語らないものの、その有能さを聞き付けた父上が、周囲の諫言も聞かずに無理矢理私の専任執事として、身の回りの世話を任せたのだ。
いつも仏頂面というかなんというか、なんだか波に身を任せるようにここにたどり着いたような、そんな意思が弱そうな男にしか当時は見えなかった。
だけど、ある日を境に彼の評価は一変した。母娘で水入らずのお忍び旅行に行きましょうとお母様に誘われ、日帰りの旅行に出掛けた際に、盗賊に襲撃されてしまったのだ。
今考えれば、領地内だから安全だと見立てが甘かったお母様に非があるのだが、世間というものを知らずに育ったお母様にそのような危機感などあるはずもなく、襲撃されたときも、ただただ慌てふためいていただけであった。
外の様子を伺うと、
強盗とはいえ、あまりにも貧相な出立ちではないか?と疑問に思ったが、かくいう私も生まれてこのかた、帝都の外の事は知らずに育ち、目の前の男達が正直人に似たナニかかと思ったりもした。
その中の一人が、目を血走らせてこちらに訴えている。
「おい!お前ら王族だろうが!金目のもん置いていきやがれ!」
「お前らのせいで家族全員餓死しちまったんだよ!」
「降りてこい!じゃねえと引きずり降ろして犯してやんぞ!」
私たちを囲んで一斉に騒ぎ始め、抵抗むなしく、母と二人地面に叩き落とされてしまった。
お忍びの旅行ゆえ、御者に数少ない付き人しか連れ来ておらず、戦闘力など皆無だった。
その数少ない使用人達には、用がなかったらしく、既に血を流し事切れている。
母は気が狂ったように「この下民どもが!尊き血族にこのような仕打ちをして、万死に値すると思え!」と、見たこともない形相で、取り囲んでいる強盗達に聞くに堪えない罵詈雑言で罵っている。
初めて母の本性を垣間見た気がした。
「どうせ近いうちに死んでいく身だ!その前にお前らを殺してその首を城の前に晒してやるよ!」
「これはお前たちの罪に対する罰だ!死ね!」
「やめなさいっ!ぎゃっ」
母の啖呵は火に油を注いだらしく、私の目の前で錆びた
未だ怒りが収まらない強盗達は、次の標的を私に切り替え、じりじりと近づいてくる。
――あぁ。私もう死んじゃうんだ。まだ何もしてないのに……
降りかかる死から、せめて目を逸らそうと
とうしたの?と、恐る恐る目を開けると、そこには血溜りの中事切れているのがわかる強盗達と、ここにいるはずのないエルヴィンが、ナイフ片手に立ち尽くしていた。
「え??どうしてここにいるの?」
パン。
「それはこちらの
いつもは抑揚もなく無表情に語るエルヴィンが、その時初めて怒りをあらわにして、私の頬を強く叩いた。乾いた音が辺りに響く。
すると、訳もわからず涙が溢れ、そこからはせきを切ったように恐怖やら悲しみやら色々な感情が涙となって溢れてきた。
エルヴィンはそんな私を不器用に抱きしめると、優しく頭を撫でてくれた。
「あなたは私が守ります。母君様は……救えず申し訳ありませんでした」
お忍びの旅行先で后を殺害されたと聞かされた王はしばらくはベッドから起き上がることが出来ないほど衰弱し、それからは塞ぎがちになってしまった。
主治医からは心の病と言われ、簡単には治らないと宣告された。
当時は帝国議会が真っ二つに分かれていて、権力闘争が激化していた。その割りを食ったのが平民層、さらにその下の下民と呼ばれていた国民とも見なされていなかった身分の者達であった。
税は日増しに重くなり、食うに困った者は、我が子を売り払い、それも難しくなれば、命を絶つ。
そのような光景が当たり前のようになり、生き残った者は、強盗にでもなって糊口をしのぐしか道はないような悲惨な状況に陥っていた。
そんな愚かな政争を幾年も続け、気がつけば国力はみるみる低下し、いつの間にか近隣諸国最大の奴隷産出国となっていた。
時同じく、鬱に悩んでいた父上が自殺をするという最悪の展開を迎え、これを期にと反帝国主義を掲げた一派が台頭する事を恐れた老獪どもは、まだ十五の私を無理矢理帝王の座に就かせたのだ。
これでしばらくは自分達の身の安全は保証されたと安堵していた自己保身の塊の連中は、すぐに思い知ることになる。
自らが祭り上げた少女が、帝王として生まれてきた生粋の麒麟児だということを。
「エルヴィン。今日もまた汚職が見つかったわ」
「本当にこの国は腐ってますね。トップがどんな人間か見てみたいものですよ」
「それを妾の目の前で言うそなたも、なかなかの痴れ者だと思うがの」
帝国史上初の女帝として君臨した私は、真っ先に汚職で私腹を肥やす愚かどもを処分することに決めた。
すると出るわ出るわ、これまで溜まりに溜まった負の歴史が、国民の犠牲を代償に得た富が。
おかげで議員の半分は処分することになったのだが、これにより議会の意思決定は速やかに行われ、様々な政策が実行されるようになり、国民の富も、生活の室も、全てが短時間で向上することになった。
そして、外に目を向けると、未だに腐った国が蔓延っていることに、ヴェルナドットの怒りは収まらなかった。
その頃にはエルヴィンがエリュシオン王国のスパイだったことは知っており、それでも彼には隣にいて欲しく、エリュシオン王国を倒したらその不自由な鎖ごと妾に寄越せ、と、訳のわからぬプロポーズ紛いの事を伝えてしまったのは、今思い出しても恥ずかしい。
エルヴィンがいなければここまで計画を進めるのは難しかっただろう。
しかしこの度の戦が終われば、今度こそ楽にしてやれるはずだ。横にいるエルヴィンの凛凛しい顔を見て、彼女は一人戦争への決意を固めた。
「王国の強権的な支配層は全て根絶やしにした上で、我ら二人で楽園を築き上げようじゃないか。誰も実現できなかった
愚か者は全て消えればいい。
ワイングラスをそっと渡された。
「勝利の前の一杯といたしましょう」
「そうね」
二人だけの夜は更けていった。
〈あなたと私の未来に乾杯〉
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