7. 騒乱

 私がミラさんに襲われてから、王城内では事態の把握と収拾でてんやわんやとなっていた。

 それもそうだろう――まさか王場内の、それも王の居室のすぐ近くで殺人未遂事件が起きたのだから。

 ガラスの割れる音を聴いて駆けつけたメイド達に介抱され簡単な治療を受けたけど、私の様子を伺いに来たメイド長に何があったかを一部始終説明すると、彼女は「それは誰にも言うんじゃないよ」と厳しい顔で私に釘を刺してきた。

 その鬼気迫る表情に気圧され、誰に何を聞かれてもよく覚えていないと押し通すしかなかった。

 何故黙ってないといけないのかと不審に思ったけど、第二王子から召集を受けさらに事情を聞かれることになり事態の深刻さを知ることになった。


「アリスです。ただ今参りました」

 握ったドアノブから中の重々しい雰囲気が伝わってくるようで、本心ではこの場を去りたかったけどそうもいかないのが一介のメイドの悲しいところだ。

 部屋に入ると、正面の椅子に座っていた第二王子が私の姿を確認するなり開口一番訊ねてきた。

「アリス。お前がミラに襲われたというのは間違いないのか?」

 目の前の王子は、事態の把握に全力を図っているせいかその顔にはいつものような余裕は見えず憔悴しょうすいしているようにも見えた。

 それも無理はない。王の居室のすぐ傍で殺人未遂を起こしたのが自らの側近であり、事件が起きたのが王の寝室のすぐ近くであったこと、それは即ち王にも被害が及ぶ可能性があったとも言える非常事態だったのだ。


「はい。王の寝室から退出した私にミラさんは話しかけてきました……その時私は訊ねたのです。『あなたは諜報人スパイなのですか?』と。それが彼女の逆鱗に触れたようで殺されかけました」

 私の話を聞いた王子は苦虫を噛んだように顔をしかめ、「ちっ!面倒なことをしてくれたな……見つけ次第処分してやる」

 王子は怒りが頂点に達しているのか、私の前で見せたことのないような姿を晒している。

「それで、あいつがお前を助けたというのも本当なのだな?」

 どちらかというとそちらの質問が本題だったようで目付きが変わった。

「はい。エルヴィンを見間違えることはありません。私を助けた彼はミラさんの後を追って三番街に向かいました」

「そうか……あいつやってくれたな」

「エルヴィンとミラさんはどうなったんですか?」


 私はエルヴィンが今どうしてるのか知りたかった。あの時言えなかった感謝を直接伝えたかったから。

「あいつが何処にいるかなどわからんよ。なんせ姿を眩ませているのだからな。それにミラも同じく姿を消している」

「え?どうして姿を消す必要があるんですか?」

「どうだろうな……。安易に口には出来ぬが、恐らく俺を裏切ったのかもしれんな」

「エルヴィンが……裏切った?」

 王子の庇護ひごのもとで安全を保証されているエルヴィンが、まさか自分の身を危険にさらしてまで裏切る必要があるのだろうか?

 それに裏切ると言っても、誰の指示で動いてるのか。

(エルヴィン……何を考えてるの?)


「あいつには帝国へ諜報活動を命じていた。そしてミラにはエルヴィンの監視を命じていた。ミラは俺に伝えたいことがあると言っていたが、俺は公務で時間が割けなかった。そしてそのミラがあいつとともに姿を消した」

 そう語ると王子は口をつぐんだ。エルヴィンの行動が想像出来なかったのか、それ以上語ることはなかった。

「アリス。お前があいつと通じてる可能性も排除できない今、身柄を自由にさせておくわけにもいかない。よって自室で謹慎してもらおう」

 


 自室に戻った私は一人溜め息をつく。

「はぁ……。エルヴィンあんた何考えてるのよ……」

 姿なきエルヴィンに愚痴を漏らすが、それ以上に彼の身を案ずる気持ちの方が大きかった。

 あの時颯爽と駆けつけれてくれた彼は、まるで私を迎えに来た白馬の王子様のように見え、そんな風に思ってしまった自分に一人ベッドでもだえるアリスだった。

(あ~~!なんで私がエルヴィンをカッコいいなんて思わなくちゃならないのよ!)

 アリスはまだ恋を知らない。

同僚が勤務中に恋話で盛り上がっているのを何度も見かけていたが、自分にはそんな経験もなく、そんな機会も訪れるとは思えなかった。

 それが今、エルヴィンのことを考えるとどうしても胸が苦しくなる。彼が何をしようとしているのかわからない今、その苦しさは増すばかりで、感情がコントロール出来ない自分にアリスはただ戸惑うばかりだった。



「坊ちゃん……これは非常に由々しき事態だと思います」

「ああ。あいつが俺の命令通りに動いていないのは間違い。だがその目的と黒幕がわからぬ」

「坊ちゃん……私に命じてください。速やかに脅威を排除いたします」

 エルヴィンはすぐには返答しなかった。その胸中を推し量ることは出来ないが、実の弟に対する何らかの思いはあったのだろうか――

「……頼めるか?メアリー」

 エルヴィンは唯一信頼をおいている部下に命じた。

 その名はメアリー。長年王城にてメイド長を勤めている壮年の女性――裏の顔はエルヴィン第二王子の侍従として、数えきれない任務をこなしてきた伝説の暗殺者アサシーノだった。

 メアリーが動けば事態は収束する。計画の柱を失うということは、己の計画が根本から破綻してしまうことに繋がるが、このままでは騒動を起こしたミラの責任を追わなくてはならなくなってしまう。

 そうなれば自らの立場が危うくなると考えたエルヴィンは、短い時間で様々な可能性を検討しメアリーに命じた。


「弟を捕らえ黒幕を吐かせた後、殺せ」


 命じられたメアリーは、即任務に向かった。命じたエルヴィンは椅子の背もたれに全体重をかけるように座ると、目を閉じ眉間にシワを寄せ弟のことを思った。

(素直に言うことを聞いていれば良いものを……。愚かの極みだ)

 決して愛情など持ち合わせてはいないが、少なくとも価値のある駒だとは思っていた。

その強力な駒を一つ失うことにエルヴィンは深い喪失感を感じた。

 てのひらからこぼれ落ち、盤上から落ちた駒は再び拾うことは敵わず、今ある手駒で対応しなくてはならない。

 しかし弟が何者かに寝返ったとしたらこれほど恐ろしいことはないと感じる。これまでその実力を好きなだけ使ってきたからこそわかる――任務は絶対にしくじらないあいつの恐ろしさを。


 幼い頃から自らの立場に満足できなかった第二王子は、ある日を境に自らが表舞台を牛耳ろうと計画を準備してきた。

 それが数ヵ月後に帝国と王国を衝突させ、国王に戦争の責任を取らせ、エルランド第一王子に罪を擦り付ける――壮大な計画だったが、大幅な見直しが必要とされるとなるとこれまでの心労が全てのし掛かってきたかのようにエルヴィンは項垂うなだれた。


「くくっ。この俺が敗北するというのか」

「そう。そしてこれから幕を閉じるのだ」


 自分以外いないはずの部屋から声が聴こえた。何者だと警戒したが後頭部に重い衝撃を感じると、一瞬にして意識が遠退いていった――



「ふわぁ……よく寝た……」

 気付いたら眠りに落ち、時計を見ると三時間も経過していた。外がなにやら騒がしく、ドタバタと何者かが走り回る音が聴こえてくる。

(何かあったの?城内を走るなんて行儀がなってないんじゃない)

 アリスは外を確認するために扉を開くと、タイミングよくナージャがこちらにやって来ていた。

「あ、アリスゥ大変よぉ」

 大変そうには思えない口調で話しかけてきたナージャだけど、次に発せられた言葉に私は言葉を失った。

「第二王子のぉエルヴィン様がぁ何者かに殺されたわぁ」

「お、王子が殺されたって?」

「ええ。それと帝国とぉ戦争になるってぇ王都内でぇ騒ぎになってるのぉ」

「聴きたいことは山ほどあるけど……王様はどうしてるかわかる?」

「それがねぇ……ショックのあまりぃ寝込んでるってぇ。同僚のメイドはぁみんな急いで辞めてってるわよぉ」

 私が寝てる間に、事態は最悪の方向に向かっているらしい。

 あの性格のひん曲がった王子は好きではなかったけど、それでもまさか殺されていいとは思ってなかった。

 そして息子を愛しく思っていた王の心労は計り知れなかった。

(すごく嫌な予感がする……何者かにエリュシオン王国が操られているような……)

「ナージャはどうするの?」

「私はぁ妹を連れてぇ何処かに逃げるわぁ。あてはないけどねぇ」

「それなら私の故郷に逃げて。貧しい村だけど、事情を伝えれば面倒見てもらえると思うから」

 そう言って、私は急いで部屋にあった便箋に用件をしたため彼女に手渡した。アルバ村なら王都から離れているし、村長ならきっと受け入れてくれるはず。

 本当ならこんな急なお別れなんてしたくなかったけど、そうも言ってはいられない現状だった。早くしないと王都が戦火に巻き込まれてしまう。

「アリスはぁ逃げないのぉ?」

「私は……まだやることがあるから」

 そう言うと、ナージャは「危なかったら逃げてくるのよぉ?」と寂しそうに言ってその場を去っていった。

(無事に逃げてね……ナージャ)

 私は彼女の背中を見送ると、王の元に向かった。


 戦争まで、あと『二ヶ月』

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