6. あの日の約束

 今日も私は一介のメイドとして王のお側に仕えている。

 ここ数日はベッドから身を起こす動作一つ取っても、かなり億劫おっくうそうに見える。

 王室の専属医からは、体の中に悪性の腫瘍が存在しそれが体中に散らばっていて手の施しようがないと言われているらしい。らしいというのは、王から直接聞いた話だからだ。

 食欲もめっきり失せ、私が食欲増進に効果のある香草ハーブを使った香草茶ハーブティーを淹れても、さほど効果は示さなかった。

 頬は徐々にけ、窓から差し込む光が顔の窪みに深い陰影を落とし、実年齢よりさらに老け込んだように見せていた。

 それでも意思ははっきりとしていて事あるごとに私をよびだす。


「おーいアリス」

「はい。何でしょうか」

「よせよせ。普段のように話してくれて構わん」

「はぁ。それじゃあ何か用かしら?」

「あの件に関してじゃが、決めてくれたかの?」

「だから無理ですって。普通に考えてこんな小娘に頼むなんてとうとう呆けたかって思われるのがオチですよ?」

「至ってマトモなんじゃがの……。老い先短い私の後生の頼みだと思って、な?」

「な?じゃありませんよ。ほらさっさと起きてください!」

(これじゃあただの介護じゃないの。誰がこんな王の姿を想像できるかしらね……)

 アリスに心を許したのか、王は二人きりの時はまるでおじいちゃんのように話しかけてくるようになったのだ。

 第二王子からは事前に密命を下されていた。しかし現在は酷く迷っている。

(このままいけば戦争は始まり、その戦争責任を王が……)

 こんなことなら、あの時命令に逆らっておくべきだったとアリスは遅まきながら後悔した。



「アリス。これより親父の元で情報を収集してもらう」

「はい?それってスパイのことですよね?そんな真似出来るわけないじゃないですか!」

「阿呆か、お前のようなわかりやすい人間にそんな高度な真似務まるか。別に本格的なスパイ活動をしろとは言っておらん。ただ身の回りの世話をしながら、一挙手一投足に目を配り、些末なことでも俺に報告を上げればそれでいい」

 それをスパイというのでは?と内心つっこみたかったが、命が惜しいので自重した。

「なぜそのようなことを?」

「それは、親父にの罪がかけられているからだ。王は己の野心で無謀にも帝国に戦争をしかけようとしている。機密情報も何者かの手によって向こうに流れているようなのだ。戦争の流れを何としても止めるべく、少しでも情報を得たいのだ」

「せ、戦争ですって!?暢気のんきにメイドやってる場合じゃないじゃない!国民には知らせないの!?」

「そんなことを伝えたところでどうなる?恐らく信じるものは少ないだろうし、戦争が起こったところで王国が勝つと根拠なく信じてるものもいるのに、か?」

「だからって……」

「今はとにかく情報が欲しい。猫の手も借りたいくらいにな。お前なら猫以上には働いてくれるだろうよ。あいつの為にもな」



 王の居室から出ると、曲がり角でミラさんと鉢合わせた。

 相変わらず私が直視できないような扇情的な服装をしていた。

「あら、久しぶりねアリス。お仕事の方は順調かしら?」

「え、ええ……ミラさんはフリード様に何か御用ですか?」

 この先は王の居室以外に立ち寄るような部屋はなく、かといって王の居室には誰でも好き勝手に入れる部屋ではないので訊ねてみると、あっけらかんに「私は王の愛妾あいしょうなの。それだけいえば子供でもわかるでしょ?」と真顔で答えた。

(あ、愛妾!?そりゃ王に妾が一人や二人いたっておかしくはないけど……こんな真っ昼間から?)

 エルヴィンから貰った懐中時計は、いつも肌身離さず持ち歩いている。その針を確認するとまだ正午にも届いていなかった。

 そんな二人に呆れに似た感情を抱くと同時に、ふと思い浮かんだ可能性をミラさんにぶつけた。


「まさかですけど、メイドではなくて第二王子からの命令を受けた諜報人スパイですか?」

 私の質問に対して、決して答えず彼女の瞳はすぅっと細くなり――

「うっ!!」

 目に止まらぬ速さで私の首根っこを掴むと、壁に勢いよく叩きつけてきた。

 一瞬何が起こったのか理解できず、私の首を締め付ける腕を見たときに始めてミラさんから暴力によって押さえ込まれていることを把握した。

(こ、この人……絶対まともな人じゃない!)

 最初はメイドなんて言ってたけど、こんな冷徹に暴力を行使できるメイドがいてなるものか。


「アリス。あんたはいちいちさかしすぎるのよ。世の中知らなくても良いことと踏み込んではならない世界があることを知りなさい。……と言ってもあんたにはここで消えてもらおうかね。エルヴィンの寵愛ちょうあいを受けるのは一人で良いんだよ」

 彼女は片手だけで確実に私の命を奪おうとしている。

(くそっ、なんでこんなときに限ってメイドが誰一人来ないの……)

 自らが虎の尾を踏んでしまったことに今更ながら後悔をし、酸素が届かない脳にこれまで関わってきた人達が浮かんできた。


(マルス……お姉ちゃんここまでみたい……トーマスさん……もう泊まりに行けそうにないや……ルーシー……買い物に行く約束……守れなくてごめん……ナージャ……もっと仲良くなりたかった……エルヴィン……)

 思い描いた夢を、何も為せなかった事が酷く悔しく、瞳からは細い一本の涙がこぼれ落ちた。

「あんた一人いなくなったところでなんとでもなるからね。安心して天国に逝きなよ」


 苦しさを通り越し、閉じかけたまぶたの向こうには光に満ちた世界がアリスには見えた。

(あれ……が…………理想郷ユートピア……かしら……)

 手を伸ばせば届きそうな位置にその世界はあった。

 夢にまで見た世界に触れようとアリスは手を伸ばしかけた――

 その瞬間にミラさんの手がアリスの首から離れた。

 酸素が一気に頭に流れ込み、急速に意識を回復していくが、あまりの苦しさにその場から動けなかった。

(なんで……はぁ……急に手を離したの?)

 未だボヤけている視界には、右手から血を流して距離とっているミラさんと、輪郭がボヤけて定かではなあけど、男性らしき人物が私を背に彼女と相対していた。

 その何処かで会ったことのあるような安心感を感じさせる背中に、アリスは再び涙した。


「あんた……このタイミングで邪魔してくるってことは……わかってるわよね」

 男はそれに答えることなく、こちらを向かずに話しかけてきた。

「その時計持っててくれたんだね。僕は嬉しいよ」


(ああ……その声を忘れるわけない。会いたかったよ)


「ミラ、悪いけど場所を変えるよ。この場所じゃお互い面倒だろ?」

 答えることなく微動だにしなかった彼女は、ドアを突き破って外に脱出した。その後を追うように男もまた脱出を図った。


 自らの最大の危機に現れてくれた男。

「何があっても守るから」と約束をした男。

 その約束を守ってくれた男。


「……エルヴィン」


 何事かと集まってきたメイドや王の事など意識の外にあっても、アリスの頭には彼の優しい笑顔が鮮明に浮かんでいた。



 一方、突如現れたエルヴィンに追われているミラはというと、脱兎のごとく一番街を駆け抜け、二番街、三番街へと逃げていった。

 屋根をつたい、追っ手の猛攻をギリギリのところで防いでいる。

「ちぃっ!なんであんたが邪魔してくるのよっ!!」

 逃げるだけでは後手を踏むと考えたミラは、少しでも攻勢を変えようと、エルヴィンに質問をすることで足止めを試みようと作戦を変更した。

 すると彼が懐に手を伸ばしたので、ミラは暗器の類いかと思い警戒する。

(仕込み矢?煙玉か?バカが……なんにせよ隠してこその暗器だろうが)

 立ち止まった彼に打つ手がないと判断したのか、ミラに余裕が戻り自然と口調も強くなる。

「あんた!私にこんなことしてどうなるかわかってんだろうねぇ。エルヴィンの実の弟だからと言って極刑は免れないよ!」

 彼は何も答えない。

(よし。流れは変わった!)

 自らの言葉に自ら酔ってしまったのが、ミラの最大の敗因だろう。あらゆる可能性を検討すれば、生き延びる可能性もなくはなかったのだ。だがそれも後の祭り――


 彼が懐から出したそれは、暗殺を得意とするミラからしても全く見たことがない代物だった。

(あれは……鉄で出来ている?だけどあんな小型の鉄製の武器って……)


 ――パン――


 ミラが手遅れながら考えを巡らせていたそのとき、渇いた音と腹部への重い衝撃を感じた。途端に焼けるような暑さも加わる。

(うっ、な、なにこれ……)

 腹部を抑えた手には、真っ赤な血がベッタリと付着していた。たった一発のそのは、彼女の命を速やかに奪っていく。

 自らの身に起きた惨状に、痛みとショックのあまり人生で初めて前のめりに倒れたミラ。

エルヴィンはゆっくり、一歩一歩近づいていく。


「こ、こんなとこで、し、しんで、なるもんですか……」

 もうすぐ訪れるであろう死から必死に逃れるように、這いつくばってもその場を離れようとするミラに、最後の手向けとして彼女の後頭部に照準を合わせる。


「さて……手間取ったけど、君は一足先に向こうで待っててくれ。君の想い人もすぐに送るからさ」

 話を終えると引き金を引く。

 二発目はミラの後頭部に見事な風穴を開け、彼女は絶命した。

 最後の最後に彼をここに足留めする目的はここに成功を納めた。

 自らの命を代償にしてだが――


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