4. 親の思い

 エリュシオン王国は厳しい冬を乗り越え、新しい年を迎えた。雪が溶け始めると、人の行き来も次第に増えてくる。

 ダルタロスに仕込ませた工作員が帰還した事で、帝国が本気で戦争を仕掛けて来ることが判明した。

 帝国との大戦に向け、急ピッチで準備を進める王国軍であったが、一つ最大の懸念があった――それは軍事力の差である。


 無知な平民ならともかく、貴族や政治家連中の中には、「帝国軍いかなるものぞ!」と唾を飛ばしてわめ無知蒙昧むちもうまいな連中がいる始末だ。

 百年前の戦闘中ですら礼儀を重んじた時代ならいざ知らず、現在両軍の兵力は雲泥の差と言ってもいいくらいにかけ離れている。

 そしてそれを正しく理解している人間がどれ程存在するのかと、余りに平和ボケしている国内に、現エリュシオン国王フリードは自室のベッドで頭を悩ませていた。


「はぁ……。帝国と相対せねばならないとは、私もついていないな」

 いつもなら、窓にめ込まれた高級硝子ガラスから差し込む朝陽の陽光に気持ちよく起こされるはずだが、ここ最近は吸血鬼になったとでもいうように疎ましく感じる。

 しかし、思わず愚痴をこぼすのも無理はなかった。何故なら在位中に帝国軍と程度の衝突はあったものの、正面きっての戦争は皆無だったからだ。

 彼の国の保有する人的戦力だけでもこちらの倍は有し、それに加え未知の兵器も導入しているという情報まで入ってきている現状は、一国の王といえども頭を痛めるには十分な悩みの種であった。


 そばに立っていたメイドが淹れた紅茶を口にし、朝の目覚めの一杯とする。フリードの決まったルーティーンだが、この一杯は特別なものであり、メイドなら誰が淹れても構わないというわけではなかった。

 ごく稀に泥水でも飲まされたのかと激怒してしまうほどのミスを犯す者もいたが、今のメイドが淹れた香草茶ハーブティーを口にしてからは毎日傍に置いている。


「アリス。今日も美味しいよ」

「ありがたきお言葉です」

 品良く頭を下げるのは、落ち着いた佇まいが身に付いた若い少女だった。フリードはこの若いメイドが淹れる紅茶が大のお気に入りでその日一日の活力としている。

 特段彼に少女趣味ロリコンの気があるわけではないが、毎日お伴に年端もいかない少女を置いて愛でていると王場内でも格好の噂話になっていた。

 もちろんバレた場合は不敬罪で処罰されるが。


「アリスよ。一つ聞くがよいか」

 王が一介のメイドに私的な会話を持ちかけるなど、フリード支持派の貴族に知られようものなら何を言われるかわからない。

 だが、この部屋には現在フリードとアリスの二人だけ――もしかしたら二人の姿を監視している者がいるかもしれないが、その者すらこの部屋の会話は極秘中の極秘となる。

 香草茶ハーブティーを半分ほど飲むと、その効果のせいか王の凝り固まった心身を溶かしフリードの長年の膿を吐かせた。まるで旧知の仲とでもいうように。


「私はな、まだお前くらいの頃は父上に憧れていたんだ。前王は国王として凄まじい才覚を持ち、人望もあり、腐敗していた政治を一掃し、一度は縮小を続けた領土をみるみる拡大していった。私もいずれは跡を継ぎ、立派にエリュシオン王国を繁栄させると息巻いていた……。だがな、ある日父上は何者かに毒殺されたんだ。疑われていたメイドが自殺をしたことで迷宮入りとなってしまったがな。当時の私はまだ二十歳そこそこの若輩者であったし、王としての器もなく、他国から舐められぬようずいぶんと無茶なこともしでかした。その結果が……アリスならわかるじゃろ」

 そう語り終えると、フリードは疲れたようにベッドに倒れた。アリスは慌てて駆け寄る。


「私には……よくわかりません。ですが、フリード様が噂のような冷徹なお人だとは思えません」

「下手な演技をせんでも良い。エルヴィンからの命令で私に近付いてきていたのはわかっておる」

 まさか演技がバレていたと思わず、アリスはほんの少しだが目を開いた。


「思えば、私のやってきたことは間違いばかりであった。腐敗を一掃した父上とは真逆に、国内に腐敗を拡げてしまった……。それを間近で見ていた息子が、まともに育つわけがない。特にエルヴィンは、物心つく前から当たり前のようにその光景を目にしておったからな……。親をしいして王位を簒奪さんだつしようと企んだとしても、それは私が被るべき罪であり罰なのだ」


 この半年の間、王の側で仕えていたがそんな事を思っていたとはアリスでも見抜くことは出来なかった。それ以上に驚いたのは、第二王子の計画を見抜いたうえで、それをと言ったことだ。


「私の余命僅かなのは極秘中の極秘であった。エルヴィンはなんらかの手段で知った上で帝国に情報を売ったのだろう。そして帝国が戦争をしかけ王国は敗北し、その後自らが支配者の椅子に座れるよう裏で取引を持ちかけた……そんなところだろう」

「私のようなメイドにはフリード様のお考えなど想像することも敵いません。ですが、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」

「話してみなさい」

「あなたは、後悔していますか?」


 私の酷く無礼でかつ短い質問に、フリードは一刻の間虚空を眺めて考えた。

 その間に一体何を思い出しているのか、何を悔やんでいるのか、その胸中を察することは出来ないが、表情からは何十年も積もりに積もった苦労が顔を覗かせた。


「後悔か……。死の間際になって振り替えると、いかに己が悪行を積み重ねてきたかわかってしまうものだ。後悔などいくらしたところで足りはしないが……敢えてしないと言っておこう。でなければ、これまでに失ってしまった命が全て無駄となってしまう。私は確かに道を大きく誤ってしまった。地獄で永遠に責め苦を味わい続けるだろう。だからこそこの国の為に、最後まで血でまみれで傲慢でいようと思う」


 王の本音を聴いたアリスは、それまでの第二王子から聞いていた人間像との違いに、本当に指示通り動いて良いのだろうかと戸惑った。

「それでは次の王はどなたを指名されるのですか?」

 そう訊ねると、それまでの威厳が嘘のように空気が抜けたような声で呟いた。

「それなんじゃよ問題は……。どれ程の愚息でも、我が子は可愛いと思えてしまうんだ。私とは違い心を入れ換えてくれるのではとかすかでも期待してしまうんだ……」

「では、第二王子が御即位されてもいいと仰るのですか?」

「それはまた別の話だ。王となるにはエルヴィンではまだまだ未熟だ。かといってエルランドもまた違う形で歪んでおる……正直申すと、この国を正しく導ける跡継ぎがおらんのだ」


これほど人間臭さを見せる王の姿をアリスは初めて見たし、このように子供のことで頭を悩ます父親然とした顔が出来るなんて夢にも思わなかった。

 噂では『冷酷非道』『悪逆無道』『悪鬼羅刹』と、負のイメージの塊のような人物と聞いていたが、メッキが剥がれれば何てことはない、どこにでもいそうな好々爺こうこうやであった。

 立場は人を作るというが、目の前の老人もまた、自分ではどうしようもない時代の波に呑まれた一人なのかもしれないとアリスは少し同情した。



「そうだ、アリスよ。こっちに来てくれないか?」

(ま、まさか年甲斐もなく私に変なことする気?少女趣味ロリコンって噂は本当だったの!?)と勝手に警戒をしたけど、王の言葉を拒否するわけにもいかず側に腰掛けた。

「実はな――――」

 腰掛けた私の耳元で、王はとてもじゃないけど笑えない冗談を言った。一瞬耳がおかしくなったかと思ったが、王は至って真面目な顔でこちらを見ていた。


「フリード様。お食事が御用意出来ました」

「わかった。それではアリスよ、よく考えておくれ」


(よく考えておくれって言われても……そもそも王の頼みを断っても不敬罪にならないわよね?)

 今しがた言われたことをどうしようかと悩みながら、自らの部屋にアリスは持ち帰った。



「待っていたぞアリス」

 私の部屋に勝手に第二王子が不法侵入していた。いや、王族だから法には反しないのか……ちくしょー。

「何かご用ですか?」

「ふん。だいぶメイド姿も板についたではないか」

「用件を仰ってください」

「父上殿は何か仰っていたか?」

「いえ、いつものように無口でしたよ」

 私は王の言った通り第二王子の密命を受けメイドとして接近していた。王の動向を調査し、逐一上司に報告を上げていたのだ。

「そうか。親父殿もなかなか口を割らないものだな」

 私は思った事を訊ねた。

「あなたは本当にお父さんの事を理解してるの?自分勝手な理由で計画を進めようとしていない?」

「お前が親父を語るな。何を言われたか知らんが、俺は幼き頃から全ての所業を見てきたのだ。どんな人間性かは理解している」

 そう言い残すと、ドアを勢いよく閉め去っていった。


 本当にこのまま計画に加担していいのか……。

 いくらエルヴィンを助けるためとはいえ、国王を討つ事が正しいのか。私はどうすればいいかわからなかった。


 戦争まで、あと『半年』

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