3. タイムリミット

「足りないものを教えてくれと言ったが、お前には足りない部分が多すぎる。先ずはメイド長に従って昼までは雑務に専念しろ」


 王子にそう言われ、これまで通り、昼まではメイド長の元で雑用をこなすことになった。


「アリスいるぅ?」

 間延びするような気の抜けた声で、同僚が所在を確認しにきた。

「どうしたのよ。また別の仕事?」

 一体幾つの部屋を掃除しなきゃいけないのよと愚痴をこぼしたくなる。

「それどころじゃないわよぉ。またメイド長がアリスを探してるわよぉ?」

「げっ、マジで?」

「うん。マジマジぃ」

 私の背中を冷や汗が流れ落ちる。部屋の外からどしどしとこちらに近づいてくる足音が聴こえ、さながら死刑執行のカウントダウンに聴こえたのは、致し方ないと思う。本当に怖いから。


 ドアが勢い良く開けられると、鬼の形相のメイド長が私を見つけるなり怒鳴り付けてきた。

「アリスっ!お前はベッドメイキングもろくに出来ないのかい!」

「申し訳ございません!すぐにやり直します!」

 起こられたときは、大声で謝る。これが私の覚えた謝罪のコツだ。

「もう他にやらせたからいい。それより話があるからおいで!」

(何だろう……あ、昨日割っちゃった花瓶の事かな?ちょっと怒られる原因がありすぎてわからないや)

 私は勉強は好きだし、運動も好きだけど、とにかく家事に当たる作業が大の苦手だった。

 村ではマルスがやってくれてたし、黄昏亭ヴァンジョーヌに下宿しているときは言わずもがな。

 だいたい、苦手なことは他の出来る人に任せれば良いじゃないか、というのがアリスの持論だった。


(とりあえず、メイド長の怒りの嵐が去るまで耐えしのぐか……)


「失礼します」

 私は気持ちを落ち着かせて、メイド長の部屋にやって来た。メイド副長より上の役職は個室が与えられるみたいだけど、室内は広くもなく狭くもないといった広さだった。

 ベッドと机と椅子に、鍵のかかったクローゼット。

「ああ、来たかい。そこに座りな」

 顎で差した椅子に腰かけて、雷が落ちるのを戦々恐々と待ち構えた。


「アリス。お前はメイドの仕事が不満か?」

「え、えっと。不満ではないですけど……」

「本当かい……?」

 歴戦の戦士ですら顔を背けるような視線で、私の発言の真偽を確かめるように、まっすぐ見抜いてきた。

「いいや、お前は常に不満を抱いている。『どうして私がこんな面倒なことを』『他の人間にやらせればいいのに』とね」

 メイド長が指摘したのは、まさに事実だった。だけど私にだって言い分はある。だからなけなしの勇気を振り絞って反論を試みた。

「お言葉ですけど、私が何故メイドにならなきゃいけないんですか?私がやったところで所詮苦手分野ですし、他の方に任せた方が効率だっていいじゃないですか。それよりも私には覚えなくてはならないことが山ほどあるんです」

 そうだ。私には覚えなくてはならないことがたくさんある。こんな家事手伝いみたいなことを覚えたところで――

 そう自分の考えを正当化しようとしたとき、メイド長が口を開いた。


「お前は、ただ面倒事から逃げてるだけなんだよ」

「逃げてなんかいません!」

「いいや逃げている。誓って言えるよ。お前はな、やりたいことだけやって、やりたくないことは理屈をこねて逃げ出すタイプだ。『これは何の為に?』『これをするメリットは?』と与えられた仕事をまともにこなせない」

「……だったら、それこそ他の人に任せれば良いじゃないですか!」

「はぁ……まだわからないかい。聞いてたよりも頑固でバカなんだね。やりたいことがあるのは構わないよ。向上心があるってことだからね」

「それなら」

「だけどね、与えられた仕事すら完璧にこなせない人間に、大きな仕事がこなせると思うかい?思ってるとしたらそれはバカの極みだよ。偉業を達成する人間というのは、どんな環境だろうが地道な仕事でもコツコツと積み重ねていくもんだ。私が知っている男はそうだった。それに引き換えアリス、あんたのそのザマはなんなんだい。それじゃあ理想を実現するどころか、何をしても中途半端な人間になるのが落ちだよ」

 そう完膚なきまでに私をき下ろすと、乾いた喉を潤すように水を一口飲んだ。


「もう一度よく考えてごらん。今日は暇をやるから、三番街でも見てきなよ。皆必死で働いているのがわかるから」


(くそっ!どうして私がここまで言われないといけないんだよ!)

 メイド長の部屋を出てから、私は怒り心頭だった。顔は真っ赤だろうし、頭からは湯気だって出てる気がする。




 メイド長室

「ずいぶんと可愛がったじゃないか」

「あら、エルヴィン様ではありませんか。このような下々の場所まで立ち入らなくとも」

「何を言っておる。俺に唯一上から物申す婆が」

「オホホ。そうでしたかしら?」

「惚けんでもよい。それよりアリスはどうだ?」

「あれは難しいですね。いくらあの血筋を引いてるとはいえ、性根を変えぬことには……」

「その点は問題ない。あいつの好きにさせる」

「それではいずれ歪んでしまう恐れが」

「それも構わぬ。そうなったらそれまでの価値しかなかったということだ。それよりも今は時間が惜しいからな」

「やはり……帝国との衝突は避けられませんか……」

「ああ、それが目的だしな。それまでにあいつが持ち帰る情報とアリスのを上手くコントロールすれば……俺がこの国を手中に納めることも夢ではなくなる」

「私はいつまでも坊っちゃんのお側におりますゆえ、なんなりとお申し付けくださいませ」

「ああ。お前だけは頼りにしているからな」


 アリスは二人の思惑に気づくことは遂になかった。

 現在いま未来これからも。



 ダルタロス帝国玉座の間

 そこは無駄な装飾を一切排した大広間。歴々の帝王のみが腰掛けることを許された大理石の玉座に鎮座するのは、帝国第三十四代目帝王カエサル・フォン・ヴェルナドット。

 そしてその正面には一人の男が膝をつきこうべを垂れている。


「長旅ご苦労だったな」

「有り難きお言葉です」

おもてを上げよ。お主がその様にかしこまる姿を、余は見たくはない」

「はっ……これでよろしいでしょうか」

 男は言われた通り顔を上げた。その顔は無表情に見えて、何かを覚悟した者の特有の表情かおをしている。

 彼にそのような顔をさせてしまった皇帝自身も、責任を感じずにはいられなかった。

(思えば苦労のかけっぱなしだった。だがこの計画が成功すれば、その鎖から解放してやるからな)

 ヴェルナドットと男は、幼き頃から仲が良かった。立場は違えど、志は共に同じだと認識していた。

 その二人は数年前からある作戦を秘密裏に計画していた。万が一にも外部に漏れることを恐れ、内容を知るのは二人以外には軍務局トップと財務局トップの二人しかいない。

 そして、彼から持たされた情報を得た今、計画は新たな段階フェーズに入った。


「ここまで、長かったな」

「……ええ。ですが、それも終わりを迎えるでしょう」

「最後に聞く……。もしそなたがどんな返答をしようが、我は何も言わぬ。この作戦でそなたの故郷が亡びることになるが……よいのじゃな?」

「今さら何を言ってるんですか。あの日誓ったその時から、私の意志は何も揺らいでいませんよ」

 男の目は、その発言同様、微塵も揺らぎはしなかった。

「そうか、それならよい。そなたの身が護れれば、我も後顧の憂いはないからの」

 正面の男の正体は、二重ダブルスパイ。そう仕立てあげたのはヴェルナドット本人であった。彼の人生をねじ曲げた張本人の一人。

「エリュシオン現国王が亡くなれば、あの天童とうたわれたエルランドが国王に即位してしまう。そうなる前に、国王の余命僅かというタイミングは帝国軍にとって付け入る好機チャンスに違いない」

「第二王子が裏工作を始めていますが、いかがなさいますか」

「あんな小物捨て置け。所詮は十把一絡げの男だ。しかしあの男も不憫なものだな。身内に越えられはしない傑物がいるのだから」

「そうですね……。兄の掌の上で踊らされていることも気づかないのですから」

「話を戻そう。一年後エリュシオン王国を討つ。よいな」

「はっ。わが命に換えても作戦を遂行致します」


 

 戦争開始まで、あと『一年』



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