2. 影の役目

 また地獄のような慌ただしい一日が始まった――

「アリス!掃除は終わったのかしら」

「すみません!まだ大食堂が手付かずです!」

「ならさっさと終わらせないかい!もうすぐ朝食の時間になっちまうよ!」

「は、はいー!」

 王城に呼ばれて以来、二週間経つけど、私はただひたすらメイドの一員としてこき使われていた。

 何の目的があって私にこんなことをさせているのかもわからないが、とにかく目の前の仕事をこなすのに必死な毎日だった。初日なんて――


 休憩後、ミラさんに連れていかれたのは厨房だった。(まさか料理を作れとでも言うの?自慢じゃないけど、私目玉焼きも作れないわよ?)

「なんで私がこんなところまで来ないといけないのよ……。これもあんたの子守りのせいだからねっ!」

 突然ミラさんは私に怒鳴り付けてきた。そんな八つ当たりをされても困るんですけど。

「ああ、やっと見つけたわ。メイド長!こいつがアリスよ」

 忙しそうな厨房では、部下に鼓膜が破れそうなほどの声量で指示を出している女性がいた。

 女性にも関わらず熊のような体躯で、どこかサフィールのおっさんのような迫力を感じさせる人だった。

 ミラさんの呼掛けに気付くと、こちらにのしのしとやってやって来る。上から下までじっくりと観察され、ものすごく居心地が悪い……。


「あんたがアリスかい」

「は、はい」

「シャキっと返事をしないかい!」

 まはか初対面の人に怒られるとは思わなかった。

「は、はいっ!申し訳ございません!」

「いいかい、先に言っておくよ。あんたが何処の誰で、どうして一介のメイド見習いが来賓室を貸し与えられてるかなんて私にゃ一切興味はないよ。だが一度私の部下になると決まったのなら、例え王子が反対しても徹底的に仕込むからね。わかったら返事しな!」

 私の顔にくっつくくらいにその大きな顔を寄せてそう脅迫してきた。もちろん拒否する余地はないだろう。

「はいっ!」

 こうして、初対面からすっかり恐怖心を植え付けられてしまった私でした。


 お昼まで殺人的なスケジュールの雑務をこなすと、今度は第二王子の元で執務の手伝いという新たな地獄が始まる。

「アリス……また計算の誤りがあったぞ。同じ失敗を二度も繰り返すなと言っただろうが」

「すみません……」

「いい。それより紅茶を淹れてくれ。アッサムな」

 ここに来てから、ろくに寝れていないのもあって、全てにおいて集中力が無くなっている。

 気づけば簡単な計算すら間違えて叱られる始末だ。

 いや、忙しいだけが理由でないのはわかっている。エルヴィンの姿がどこにも見当たらないからだ……。

 少し前まで、当たり前のように顔を見せていたあいつがいなくなると、こんなにも無気力になるんだ私……。

 そんなことを考えながら紅茶を淹れていると、湯気と一緒に溜め息までついてしまった。


「ふん。随分メイド長に可愛がられているようだな。見事な隈が出来上がっているぞ」

 第二王子は悪魔のような笑みを浮かべて皮肉ってくる。でもこの男が冗談っぽく言うときはまだ機嫌が良いサインというのはわかっている。

 あれはここに来て三日目だったか、地方の役人が王子に謁見しにきたときに、会話の最中に王子の機嫌が悪くなって、たった一言『もう用はない』と言ったが最後、あの役人は何処かに連れていかれてしまったのだ。

 この男はとても計算高い、エルヴィン以上に。さらに使えないと判断したものは、容赦なく切り捨てる非情さを兼ね備えている。

「いや、そうではないか。あの男のことでも懸想しておるのだろう?違うか?」

(は、はぁ?け、懸想?なに言ってんのよこの男は!どうして私がエルヴィンのことを――)

「お前は自分が思っている以上に内面が表情に出てるからな。俺のような傑物の前では全てが丸裸だと思え」

「は、はぁ。ではお聞きしますけど、エルヴィンって何処にいるんですか?」

「まだその名で呼ぶか。……まぁ許そう。それを話す前にお前はどの程度やつのことを知っている」

「……いえ、正直ここに来るまで、私の知っていたことなんて何もありません。私はあまりにもエルヴィンのことを知ろうとしなさすぎていました」

「あいつにとっては、それがベストな選択だったのだよ。あいつはな、この世に生まれ落ちた瞬間に私のスペア、いや影でしか生きられない存在だった――」

 第二王子は、紅茶で口を湿らすと、エルヴィンのこれまでを語り始めた。



 現国王のフリードと先代皇后の間に、ある日御子を授かったことが判明した。

 もちろん二人は喜んだ。だが当然浮上してくる問題は、世継ぎが男か女かどちらであるか、だ。

 お前に説明したが、男なら健康に問題がなければ徹底的に帝王学を学び、経済学、外国語を修め、後の国王候補として国宝のように大事に育てられる。だが、もし生まれてきたのが女なら、他国への政略結婚のみつぎものとなる運命さだめであることは覚えているな。


「……はい」


 当時の父上と母上は、たいそう心配なさったろう。

 二分の一の確率で、この国の将来が決まってしまうのだからな。

 必死の願いが通じたのか、生まれてきた子は確かに『男』だった。だが、新たな問題が浮上した。生まれてきた子供はだったのだ。

 そうなるとどのような問題があるか、わかるか。


「えっと、どちらが王位の継承権を持つか、でしょうか」


 そうだ。エリュシオン王国が建国して以来、双子が生まれた際の規定などありはしなかったからな。それに一般的に双子は不吉とされている。我は迷信など論じるに値せぬものだと考えているが、当時の王族、貴族の連中は大いに動揺したらしい。この御子達をどう扱えばよいか、とな。


 結果、後に生まれたあいつが、双子の特長、すなわち瓜二つな顔を利用した影武者として育てられたのだ。

 本来なら、生まれた直後にいられたはずの存在が、気まぐれに生かされ、見事に操り人形として育てられたのだよ。

 表向きは、俺の振りをしランスター学園に通わせ、反乱分子となりうる貴族どもの情報を入手させていた。平民の間では現体制への不満や現国王の支持率がどの程度かも調べさせていた。その間、俺は留学をしていたがな。

 それにあいつはスパイとしても優秀な奴でな。様々な国に潜入しては機密情報を奪取する作戦にも、幾度となく参加し成功を治めている。

 仮に失敗に終わったとしても、王族に被害はない。


 王国の光と影。どちらも上手く利用できる駒だが、刃向かえば処刑される身だ。

 もちろん名前など与えられてもいない。エルヴィンと名乗っているのは、あくまで便宜上必要だからだ。

 他国に潜入する際は、また別の名前を使う。


 いいか、あいつはな。最初から存在なんだよ 。

 あいつは何も持っていない。全てこの俺の為に作り上げて虚像に過ぎないんだよ。


「……なんて酷いことを……」


 それはお前の感情論だろう。現にあいつの功績のお陰で、回避できた争いなど幾らでもある。

 光だけでは世界は成り立たない。かたわらには、寄り添うように影が必要となるのだ。

 それも強烈な光が欲しければ、光も呑み込むほどの闇もまた必要となる 。全てはバランスなのだ。

 わが弟はその役目を担っているのだよ。


「それは、エルヴィンじゃないとダメなんですか?」


 弟以上に影の役目が似合う者もおらんよ。己を殺して、大義を全うする。言うは易しだが、実行できる者などそうはいない。

 だが、隣で支えることは出来るやもしれんな。


「……今の私に、足りないことを教えてください」


 お前が望むなら、応えるのもやぶさかではないが、甘ったるい理想論は捨てられるのか?


「いえ、捨てません。捨てたらきっとエルヴィンは悲しみますから。誰になんと言われても捨てずに貫き通します。影なんか必要としない理想郷ユートピアを、エルヴィンの為にも作り上げますよ」


 ふん。この俺に啖呵を切る奴は、よっぽどの狂人か変人かと決まってるのだが、お前はどちらでもない。ぶっちぎりのお人好しだな。

 それなら覚悟しろよ。間違いなく一年後に時代が変わる。俺から振り落とされないよう、精々ついてくるんだな。


「はい!」



 物音がしない深夜の王城一室。

 ミラは葡萄酒ワインを片手にエルヴィンに近寄る。

「良かったわね。第二段階達成おめでとう。祝杯でも挙げましょうか?」

「まだ気を抜くな。あいつが帝国から情報を持ち帰らなければ、目標達成は難しくなる」

「はいはい。それにしてもあのお嬢ちゃんのどこがそんなに気に入ってるのよ。どう見ても私の方が魅力的でしょう?」

 ミラの女としてのプライドが、そのような愚かな質問をさせた。

(ちっ、いい加減耳障りだな。あといちいちその無断な脂肪の塊を押し付けてくるな。貴様などに興味があるわけなかろう)

 ミラはアリスが絡むと、どうにも感情的になる。

 どうやら思ったほど頭の回転も良くないし、たいした仕事もしないというのがエルヴィンのミラに対する評価だった

(一段落ついたら、頃合いを見て処分するとしよう)


 墨で固められたような外を見ると、小雪がちらついているのが見えた。

 これから厳しい冬を迎え、春になれば計画は動きだす。


「さて……俺の野望の為に踊ってくれよ。アリス」

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