2.少女との会話

 リャナンシーは、いりくんだ路地を決められたルートを辿るように迷いなく歩いていく。

 ドレークさんとは違って小柄なのに、相手が避けていくほど自信に満ちた足取りだ。

 途中途中で買い物をしつつ、屋台のおっちゃんに気さくに声を掛けられたり、どうやらこの街ではわりかし有名人みたいだ。


「着いたよ。今日の一番の目的地に」

 リャナンシーが指差すと、そこは大量の香辛料が売られていた。見知っているものから見たことのないもの、匂いが強烈なものまで多種多様だった。

「これ全部香辛料なの?」

「そうだよ。見たことない?私はいつも買い物で頼まれるんだ。この真っ赤な唐辛子なんて、一口食べたら火を吹くドラゴンになれるわよ」

 そんな子供だましみたいなことを言ってリャナンシーは一つ買うと、僕に手渡した。これを食えってこと?

 トウガラシと言うものがどう言うものか知らなかったので、これも勉強だと思いエイヤ!と口にまるまる一本放り込んだ――「わぁぁ~!辛い!」

 なんだこの辛さは!火を吹くほど辛い。

 隣を見やると、したり顔のリャナンシー。屋台のおっちゃんはやれやれといった感じで困っている。

(くそー僕が知らないのを良いことに騙したな)

「マルスには良い勉強になったんじゃない?」

「にしてもこんなことしなくても」

「人間体験しないと本当には理解しないものよ。本だけで得られるのは、知識であって知恵にはならない」

 ……唐辛子を食べさせられたのは不本意だけど、彼女が言うことは確かに一理ある。全くもって不本意だけどね。

 現実は実際に体験しないとわからない。


 一通り笑い終えた彼女は、目的の品物を買い終え少しブラブラしようかと僕を誘った。

 横並びに歩いていると、こんな僕に対しても大人達が避けていく。なんだかドラゴンの威を借る兎みたいだけど、この街に認められたような気がしなくもない。


「マルスはさ、なんであの通りをあんな顔して歩いてたの?」

 言おうか言うまいか悩んだけど、アリスに似ている彼女にはなんだか話しやすかった。

「実はさ、今ある行商人のお師匠さんについているんだけど、今日奴隷の面倒を見ろなんて言われたんだよ。そんな道徳的に許されない仕事するわけにいかないから、飛び出してきちゃったんだよ」

「ふーん。それでとぼとぼ歩いてたわけね」

 いちいちとげがある言い方をするけど、的は得ているので反論できなかった。さらに畳み掛けるように彼女は続ける。

「確かに大多数の自らの立場が安泰な人や、ちまたに溢れている正義感を振りかざす人にとってはそう言えるでしょうね」

「リャナンシーは奴隷制度を容認するの?」

 アリスに似た彼女の口から、そんな発言は聞きたくなかった。まるで実の姉がそう言っているようにも聞こえるから。

 どんな事情があるにせよ、人が人を物のように扱うなど、僕には許せない。

「マルスは顔にすぐ出るね。今だって許せるもんかって顔してるもん。ちなみに私も奴隷の一人なんだよ?」

 ――彼女が奴隷?いやいや、着ている服は田舎者の僕でもそれなりに値は張るような服装だとわかるし、こんな街中で自由に買い物に出掛けられて、こんな表情かおして生活できるのか?

 僕の知っている奴隷はこんな暮らしは出来ないはずだ。


「こんな奴隷いるはずないなんて思ってるね?その考えはあってるとも言えるし、間違ってるとも言えるよ」

「どこが間違ってるって言うんだよ」僕はついムキになって聞いた。

「確かに、君が想像するような酷い暮らしを強いられている人達はいるよ。そんな物扱いするような人は許されるべきではない。だけど私は、私を含めた仲間は皆人間らしい生活を保証されている。生きる意味を見いだすことが出来てる。マルスが気づかないだけで、実はこの街には名目上奴隷の人達はたくさんいるんだよ」


 僕が活気に満ちていると思ったこの街は、実は奴隷で溢れていた……その衝撃の事実に僕の常識は大きく揺さぶられた。

「君は……辛くはないのかい?」僕の問いに、彼女はあっけらかんと答える。

「そりゃ元の身分から奴隷落ちになったときは、ショックを通り越して死のうかと思ったわよ。でもね、誰も暗い顔をしていなかった。主人からは信頼され生きる意味を与えられ衣食住にも困らない。はっきり言って昔の暮らしよりも良いと言う者がほとんどよ?」

 彼女の言葉はほとんど原型を留めていない僕の世界じょうしきに止めをさした。

「それは……洗脳されている事に気付いていないとか……」もう何を言っても言い負かされるけど、それでも言い返さずにはいられなかった。

 ここで認めたら何が正義なのかわからなくなってしまう。


「じゃあ聞くけど、その日暮らしで生きるのに必死な平民と、真冬でも暖かい部屋で過ごせる奴隷。少ない賃金で馬車馬ばしゃうまのようにこき使われる平民と貯蓄できるほど賃金を貰える奴隷。真に奴隷なのはどちらだと思う」

「わかった……君がことは認める。でもそれ以外の人達が今のままで良いとは思わないよ」

「運が良かった……か。それは否定しないわ。でもね本当の奴隷にならないよう働きかけてくれる人がいることを忘れないで。私はその人のおかげで今の生活を送れている。いつか自由になりたいけど、ドレークさんがいなかったら今頃死んでるはずよ」


 ――なんでここでドレークさんの名前が出てくるの?あんな物を扱うように僕に仕事を命じた癖に。

 僕はそのドレークさんとやらが、僕の知っているドレークさんと同一人物なのか確かめた。

「それって二メートルくらいある滅多に喋らない大男のこと?」

「あら、マルスったらドレークさんのこと知ってるの?――まさかマルスのお師匠さまってドレークさん!?」


 今日一番驚いたのがそこなのかとちょっとモヤモヤしたけど、どうやらリャナンシーを救ってくれたのはドレークさんらしい。

 彼女いわく、親友が各地で売られている奴隷を買い集め、ドレークさんが顧客にほぼタダ当然で譲っているとのこと。

 主人のもとで社会生活に必要な知識を得た上で、晴れて自由の身となれる仕組みらしい。


「あれほど人間味溢れる殿方はいないわよ。少なくとも誰かさんみたいに不満を言うだけの人間じゃないわね」

 僕は何も知らなかった。自らの正義だけを掲げて行動するわけでもなく、ドレークさんを非難してしまった――

「……僕にもドレークさんみたいにやれるかな」

「マルスがやろうと思えば、なんでも出来るわよ。だって世界はこんなにも広いんだから!」

 リャナンシーは夏の終わりに眩しい笑顔でそう言った。


 そうだね。世界は広い。僕の知らない世界じょうしきは海よりも広く存在するだろう。

 それを知るために旅に出たんじゃないか。

 僕は彼女に「ありがとう」と一言お礼を伝えた。

 それに「どういたしまして」と軽く返事をして

 彼女は去っていった。

 さて――今度は謝りに行かないと。


「師匠っ!先程は大変申し訳ありませんでした。僕に……もう一度チャンスを与えてもらえないでしょうか」

 一度は出ていった倉庫に再び戻り、僕はまだいたドレークさんに謝罪をした。

 許して貰えるとは思っていないけど、せめて謝罪だけは受け取ってほしかったんだ。

「おいマルス」

 ティーチさんの重く響く言葉が僕に突き刺さる。

「お前は与えられた仕事を放り投げた。お前がどんな理想論を持っているかはだいたい察知しがつくがな、目の前の状況を変えようとしない奴ぁ、どこ行ったっておんなじ目に遭うぞ」

 その言葉に何も言い返す資格など僕にはなかった。だってその通りで正論だったから。

 ティーチさんは相変わらず僕を鋭く見据え、長く感じられた沈黙を破るようにドレークさんが口を開いた。

「いい。俺の言葉不足が招いたことだ。マルス、頼めるか」

「は、はい!」


 こうして僕は再び弟子に戻る事が出来たんだ。



「ったくよぉ。マルスは甘過ぎるんだよ。いつかやらかすと俺は思ってたぜ」

「悪かったよジャン。だからこうやってお昼分けてあげてるでしょ」

「かぁ~しけてるなぁ。これぐらい寄越せっての」

「あ!それ残しておいたバラ芋なのに!」

「残しておくのが最善だとは限らないぜ。食べ時はいつだって変わるんだからな」

「うるさいぞ。黙って食え」

「「すみません」」


 ~村長さんへ~


 僕は色々面倒な役を任されこき使われていますが、お師匠様から仕事を一から学んで、日々精進しています。

 それと、世界を知るにはまだまだ子供だと知ることも出来ました。

 これから肌寒くなってきますので、お体にはお気をつけくださいね。


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