3.思い上がり
「はてさて、あの御方は何を考えておられるのか」
「申し訳ありません……まさかあのタイミングで現れるとは思ってもいなく」
「まぁ今更ぼやいたところで栓なきことでしょう。ですが、あの平民を使って何か企んでるのは確実です。引き続きマリアテレス先生には監視をお願いします」
「……畏まりました」
「おお!制服姿は様になってるな」
登校初日、トーマスさんとエルヴィンに私の制服姿を披露した。
「でしょ。制服なんて初めて着るから手間取ったけど、慣れれば大したことないわね」
「そうそう。世の中慣れだよ慣れ。嬢ちゃんなら心配要らねぇと思うが、学校はさっさと慣れた方が楽だぞ」
んー慣れた方が楽かー。慣れるのはいいと思うけど、馴れ合いはしたくないなー。
「おめでとうアリスちゃん。晴れて今日から学園の仲間入りだね」
「うん!エルヴィンにも手伝ってもらって悪かったわね」
エルヴィンは朝一で
それだけでなく、「これ僕からの入学祝いだよ。受け取ってちょうだい」そう言って小さなリボン付きの箱を、私にプレゼントしてくれたのだ。
まさかの入学祝に、柄にもなく焦ってしまった。
(わわっ!男からプレゼントなんて初めてだよ。エルヴィンって本当にこういうの手慣れてそうだな。やっぱ信用ならない)
せっかくプレゼントをあげたというのに、エルヴィンの評価は下がってしまった。
「これ開けていい?」
「もちのろんだよ」
慣れない包装に四苦八苦して開けると、中には銀色に輝く懐中時計が入っていた。
……値段を聞くのが恐ろしい。
「学園の生徒の大半は、貴族やそれに準ずる位の親を持つ
いや、それ聞いてどう反応しろと。別に貴族の子供と張り合うつもりもないんだけど。
「アリスちゃん言ってなかったかい?平民も貴族も関係ないって」
「それは言ったけども」
「貴族はまず平民の相手などしない。でも話をするにも下に見られてはいけない。まず対等な目線で話が出来ないといけない。お金をかけてまですることかと思うかもしれないけど、そういうやり方もあるってことを覚えておくといよ。その懐中時計は先行投資ってわけさ」
「はぁ先行投資ね」エルヴィン……私に貴族とのパイプを繋いどけと言っているのかな?いや、それは邪推しすぎか。
でもこんな高価なプレゼント贈るメリットもないしな。
「君にとっては邪魔にならないものだから安心して、それに困ったときは役に立つから」そう言うと、用があるからと
「嬢ちゃん良かったな。あいつが誰かにプレゼンするなんて初めて見たぞ」
えっそうなの?もっといろんな女に貢いでるようなイメージだけど、意外と堅物なのかな?
「「マリー先生おはようございます!」」
「はい。おはようございます。マリアテレス先生とお呼びくださいね」
「はーいマリー先生」
この学園に勤めてもうすぐ八年か……。気づけば女性職員で一番の古株になってしまったわね。
みんなせっかく教師になっても、すぐ寿退社してしまうんだもの。
結婚で得る幸せなど幻想もいいとこでしょうに……。
「マリー先生おはようございます」
さっそく顔を現したわね。
「どうかなされたんですか? 顔色が悪いですよ?」
「気のせいよ。私のことは正しくマリアテレス先生とお呼びなさい。それよりアリスさん。私のことを心配するより、ちゃんと授業についてこれるかご自分の心配なさい。聞くところによると、まともに教育を受けてこなかったみたいじゃないですか」
「あはは。確かに立派な学校で習ってたわけじゃないですけど、そこは田舎仕込みのガッツがあるんで」
「ガッツと
「げっ。失敗した」
なにが「げっ」よ。こんな田舎丸出しの小娘に、どうしてアイツが肩を持つのよ。――はっ!まさか――
またも自ら預かり知らぬところで評価を落とす羽目になったエルヴィンなのであった。
「それでは自己紹介をお願いします」
「えー初めまして。私はアリスと申します。以上です」
「以上ってあなた、他に紹介することないのかしら」
「だって面白くもない話してもしょうがないじゃないですか。それより早く授業を進めましょう」
「おい田舎もん!平民は虫食うってほんとかよ」
「うぇ~気持ち割りぃ」
「虫なんて恐ろしいですわ」
おうおう好き勝手言ってくれるわね。ここで芋引いたら調子に乗らせるだけだし、対等になるには対等にやり合わないと。
「ええ。虫も食べますよ。むしろ普段食べている芋よりも、格段に栄養価が高いので、ご馳走として客人に振る舞われるくらいです。こうぷちっとした食感にドロドロの体液が濃厚で病み付きになること間違いないですよ。よろしければ今度持ってきて差し上げましょう。あ、たまに口の中を噛んでくるのが玉に傷ですがね」
「ヒィ!ぷちっと」
「口の中にドロドロ……うぇ~」
「噛んできますの!?」
ふふん。思った以上にカウンターが効いたわね。まずは先制パンチは成功かしら。
「コ、コホン!それでは自己紹介はこれくらいにして、授業を始めましょう」
一時限目は算学であった。夢の学園での最初の授業だし、多少は緊張したものの、正直肩透かしにもほどがあった。知識はなくても、その場で答を導き出せるレベルだった。
エルヴィンに家庭教師の真似事をしてもらって事前に予習はしてきたけど、無意味だったかも……。
「それではアリスさん。余所見している暇があるなら答えてもらいましょうか」
「ふん。平民にわかりっこありませんわ」
妙に上から目線だなこの女は。
「えーと。時速50キロメートルになります。が、実際にそんな速度で長時間の移動が可能とは思えないので、問題に不備があると思います」
私の答がおかしかったのか、教室内で笑いを噛み殺しているクラスメイトが何人かいる。そんなおかしなこと言ったかな?
マリー先生は顔を赤くして「聞かれた事だけ答えなさい」と注意してきたけど、「だって、どう考えてもおかしいものを、そのままにするのは思考の放棄じゃないですか?」と、さも当たり前のように答えた。
「今は算学の授業です。そのような問答は、哲学の時間にしてください」
「わかりました。話が通じないので結構です」これ以上話しても無駄だろうと悟ったアリスは自ら折れることにした。
(この小娘がー!こんな聞き分けのない生徒は初めてよ!貴族の面倒臭さを遥かに越えてくるわ)
あんなのを監視しないといけないなんて、割りに合わなすぎよ……。
マリアテレスは上司から与えられた指令の難易度に、心の内でさめざめ泣くのだった
二時限目の外国語は、さすがにアリスの不得意分野であったが、それも未知への好奇心から何度も質問を繰り返し、その度に授業が止まることになり外国語教師も両手を上げたのだった。
まさにお手上げポーズだ。
たった二時間だが、アリスのその姿を見た一部のクラスメイトは、自分とのあまりにも違う勉強に対する姿勢に戸惑うばかりで、平民がこれほど頑張っているのに私達ががそれ以上に頑張らないでどうする。
そう良い影響を受けた生徒が数人いたのは後に知ることになる。
お昼になると、自己紹介の時に絡んできたバカが私の正面にやって来た。
「よお。朝はよくも笑いもんにしてくれたなぁ」
「はあ?良かったじゃない。笑われて人気者に慣れて良かったわね」
「良いわけねぇだろ!俺様の事知らねぇのかよ」
「知らないわよ。言ったでしょ田舎から来たって。それともそんなに有名人なのかしら?ニキビ面君」
「ニ、ニキビ面だとっ?俺様を誰だと思っ――」
「だから知らないって言ってるじゃない。耳が塞がってるの?それとも理解出来ないの?頭の中に綿でも詰まってるのかしら。あ、ごめんなさーい。平民ごときに教える必要ないわよね。私も知りたくないしどうでもいいわ。さぞ大層な名前ぶら下げて吠えてなさいよ」
「……ぅ、ぅ、ぅ、うわぁーーん!」
「ちょっと待ってよダリル!」
「お、置いていかないでよー!」
これがきっかけで、少年ダリルは生まれて初めて自分を泣かしたアリスの事を気にするようになったのだが、それは別のお話――
(どっかで見たことあるようなバカ三人衆だなぁ。まだあっちの方が変わったぶんマシか)
「あ、あの……」
面倒な連中を追い払ったら、今度はずいぶんと可愛らしい女の子が話しかけてきた。
「なあに?」
「ぇ、えっと、凄いね。あのダリル達を追い払っちゃうなんて……」
「あんなのどうってことないよ」確かにどうでもいい連中だった。
親のカネで当たり前のように学校に通えて、当たり前のように時間を無駄にしていくような連中なんて、心底どうでもいい。
「私、ルーシーって言うの……。良かったらお友達になってくれないかな?」
「別に良いわよ。あなたはバカではなさそうだしね」
こうして学園初のお友達が出来たのだ。
午後の授業も、担当の教師をバッタバッタとなぎ倒し、知識が増えていくことに生まれて初めて充足感を得た一日だった。
「お帰り嬢ちゃん。嬢ちゃんにお客さんが来ているぞ。食堂でお待ちかねだ」
「え、お客さん?」
「やぁアリス。元気でやっているか?」
そこにいたのは村長だった。
「なんで村長がここにいるの!」あまりに突然の来訪だったので、大声で叫んでしまったではないか。恥ずかしい。
「無事に到着したか手紙も寄越さんからな。ちと様子を見に来たんじゃよ」
あ……すっかり手紙書き忘れてたわ。それは申し訳ないことをしたな。
「でもよくこの宿がわかったね」
「それは私が教えて差し上げたからだよ」
「エルヴィンが?」
「困っていたら声をかけるのは鉄則だろ?そしたらアリスちゃんを探していると仰るから案内したまでだよ」
なんかいつもより猫被ってる気がする。
「本当に親切な御仁じゃったよ。お前も見習わんとな」
ぐぬぬ。まさか村長にそんなこと言われるなんて。腹に得たいの知れないもの抱えてるような男なんだぞ。
「それに今日が初めての学校じゃったんだろ?どうだったか?」
「うーん面白い授業もあるよ。聞けば聞くだけ教えてくれるし。だけどバカなクラスメイトもいるし、聞く耳持たない先生もいるし、そう言う人達は関わらないように決めたの」
一日通して気付いたのは、時間の価値を全く知らないガキが多すぎると言うことだ。
私よりも多くの時間を自由に使えていたにも関わらず、学力はさして高くはない。私にとって有益にならない存在だ。
しばらく大人しく聞いていた村長は、静かに語り始めた。
「よいか。それはとても危険な考え方だ。確かにお前は優れている。あの村でよくぞそこまで育ってくれたと自慢できる」
じゃあなんでと訊ねる前に言った。
「自分より劣っているから関わらない。役に立たない。それ以前に平民だから劣っていると考える思想そのものが、お前が受けた差別なのではないか?」
――そうだった。なんでそんな根本的なところに気付かなかったんだろう。
いつから自分は人を見下せる立場になったんだ。
「……ごめんなさい」謝るのが精一杯で、泣くのを堪えるのに必死だった。
「わかってくれればいいんだよ。間違いは正せばいい。それは全ての者に言えることだ」
旅に疲れたと言って、村長は早めに部屋に戻っていった。
「良いこと言ってくれたじゃないか。村長さんの言うことは正しいよ。選民意識なんて恐ろしいものはこの世に必要ないんだよ。君が望む世界にもね」
そう言って頭を撫でてくれたエルヴィンは、しばらく泣きじゃくる私についててくれたのだ。
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