第109話【パパ、最後の戦い】
「────聞こえ、ますか」
……なんだ、この声は?
俺は……そうだ、確かツァルがあの光の玉に触れて……。
意識が混濁しているのだろうか? 景色が真っ白で、何も見えない。
「ジム、さん──聞こえ、ますか──」
この声は……知らない声だ。女性の声だが……。
なんとなくニーナの声と似ている、気がする。
「……ああ、聞こえる」
その声に、俺は返事を返してみた。
声は安堵した様子で、言葉を紡いだ。
「ああ良かっ、た、時間がありま、せん。貴方に、伝えた、いのです」
途切れ途切れだが、切羽詰まった様子で語り掛けるその言葉。
俺は彼女が伝えたい事を聞き逃さぬように耳を傾けた。
「耐え、てくださ、い。クィスル、の角笛で、身を守、り、その時、が来る、まで」
声は次第に遠くなっていく。僅かな時間しかないのは確かなようだ。
「おね、がいしま、す。あの人、と、ニーナ、を、守っ、て──」
そう言うと、声は光と共に掻き消えてしまった。
あの声は、もしかしたら……いや、今はいい。それよりも──。
――――――
――――
――
光が掻き消えると、俺達は檻から解放されている事に気が付いた。
カルーンはその場で倒れ、ニーナは尻餅をついて眼をぱちくりさせている。
台座から光の玉は消え、ツァルは……ツァルはどこへ行った?
「く……ふ、はは……っ!」
上空から聞こえる、驚きと歓喜に満ちた笑い声。
見上げると──奴がそこにいた。
「これが主神の力……ああすごい、すごいぞ! 宙に浮ける! 力がみなぎってくる!」
ツァルは歓喜し、浮遊したままひゅんと扉の外へと飛び出した。
「お父さん!」
ツァルが出て行ったと同時、ニーナがカルーンに駆け寄ってその身体を起こそうとする。
カルーンは非常に苦しそうだ。おそらく呪いが未だ身体を蝕んでいるのだろう。
俺はニーナを手伝い、彼を楽な体勢で寝かせた。
「はあ、はあ……く、ぅ……まさか、ツァルが……」
「カルーン、無理しちゃいけない」
「だけど、ジム……力を、奪われたんだ……私の、妻の仇に……ッ、ゴホッ! ゴホッ!」
「何とかしてみせる、だから少し休んでてくれ」
カルーンは今にも死んでしまいそうな状態だ、無理に動かすわけにはいかない。
「お父さん死なないで……ぐすっ、死んじゃ、やだよぉ、うぅ……っ」
ニーナは涙をぽろぽろ流しながらカルーンを見ている。
せっかく肉親と再会できたのに、絶対的な別れが迫ってきているのは彼女も感じているのだろう。
ツァルを一刻も早く止めて、ウィアナ達を連れてこなくては。
「ニーナ、パパが何とかしてやるから、ちょっと待っててくれ」
「パパおねがい、お父さんをたすけて……!」
「ああ、任せとけ」
俺はニーナの頭をぽんぽんと撫でると、ツァルの後を追って扉の外へと出た。
◇
「アハハハハハッ!」
扉の外ではツァルが好き放題に魔法を放っていた。
平原はあちこちに穴が開き、カルーンが居た庭もめちゃくちゃにされている。
俺は奴が破壊活動をしている所に飛び込んでいった。
「ツァル!」
「おやぁ? 誰かと思えばちっぽけな侵入者じゃないか!」
宙でケラケラと笑いながら俺を見るツァル。
まるでソファに座るような体制で足を組み、腕を組んで俺を見下ろしている。
「ツァル、カルーンの力を返せ!」
「やだね、返せと言われて返す馬鹿が何処にいるんだい? それにさぁ、今とってもいい気分なんだよ!」
そう言うとツァルは手を地面に向け、無詠唱で光弾を発射。
光弾は勢いよく地面に激突し、その場に大きな穴を作った。
「力が溢れてしょうがないのさ! 最高の気分だよ、ハハハハッ!」
「その力はお前が無理矢理奪ったものだろ! 強くなった気になるな!」
「うるさいなぁお前は……今のボクならお前なんか一瞬で消し炭にできるんだぞ?」
ツァルは地面に向けていた手をこちらに向けてにやりと笑う。
俺はその脅しに屈せず、クィスルの角笛を取り出して奴を煽った。
「ならやってみろよ、他人の力で良い気になってる最低野郎!」
「いちいちムカつく奴だなぁ……そんなに死にたいならそうしてやるさ!」
そのまま彼は光弾を何発も発射。無数の光弾が俺へと向かってくる。
咄嗟に俺は角笛を掲げ、光弾を防ごうと試みた。
クィスルの角笛は"神の力を消す"能力がある、ならばこの光弾も──!
光弾の一つがまさに接触せんとした直後、俺の周りにマジック・シールドのような結界が張られた感じがした。
刹那、無数の光弾が俺に着弾する寸前で掻き消え、俺は無傷でその場に立っていた。
「……チッ、ああそうか、お前にはクィスルの力が宿ったアイテムがあったんだったな」
苛立つように吐き捨てると、ツァルは体勢を変えて両手を地面に向け、ゆっくりと持ち上げるような素振りを見せる。
「じゃあ、ボク自身の力ですり潰してやるよ!」
その言葉と同時に、地面がまるで荒くうねる海原のように変異し始める。
すると左右の地面が巨大な波のように大きく盛り上がり、俺を押しつぶさんと迫ってきたのだ。
これはツァル自身の持つ力。偽物も使っていたが、本物の方がやはり威力も範囲も桁違いだ。
おそらくクィスルの角笛を掲げてもそれは防げないだろう。
神の力は今までの経験上、おそらく魔法的で非物質的な物だ。
実際に存在している物質を防ぐ事は出来ないと推測できる。先ほどの檻から抜け出せなかったのが何よりの証拠だ。
なれば、こちらも"自分の力"で対抗するしかないな。
俺は『逃げ足』を発動し、迫る地面の間をすり抜けようと走り出す。
途中地面が盛り上がって障害物と化し、進行を邪魔しようとしたが……むしろ好都合。
地面のうねりが盛り上がったタイミングでジャンプし、その障害物に飛び乗った。
「チィッ、ちょこまかと!」
飛び石のように障害物を飛び移る俺を狙って、いくつもの石礫が飛んでくる。
次の着地と同時に着弾する可能性があるな……ならこうするか?
俺は次の障害物に着地せず、両側に迫ってきていた地面の波へと向けて大ジャンプ。
波は壁のように固く、多少蹴っても問題はない。なればこそ──。
「なっ……!」
俺は『逃げ足』で強化された脚力を駆使し、"壁走りのように波の横っ腹を走った"。
持続は長い事できないが、幸いにも出口はすぐに見える。
重力に耐え、何とか走り続け──波の間を脱出。刹那、波同士が激突。
俺はくるりと宙で回転して地面に着地した。
「……めんどくさいなぁ!」
着地と同時、苛立つように光弾を発射するツァル。
しかし俺はすぐさまクィスルの角笛を掲げ、それを無効化した。
「あーほんと、打てば消されて潰そうと思えば逃げて……うざったい、うざったい、ほんっとぉぉぉにうざったいッッ!」
宙で地団駄を踏むツァル、苛立ちは最高潮に達しているようだ。
俺は息を切らしながらも立ち上がり、奴を見上げた。
今のところは奴の攻撃を"防げて"はいる。だが、奴の力に限りは無いようにも思える。
あの女性の声は"その時が来るまで耐えて"と言っていたが、本当にその時が来るのだろうか?
今のツァルの力は絶大だ……無限にも近い神の力が尽きるのを、俺は耐え続ける事が出来るのだろうか?
「……あ、そうだ」
俺が考えていると、ツァルは何か思いついたように手をかざす。
そして光弾を数発発射するのだ。その先は──ニーナ達の居る扉!
「ッ!」
俺は咄嗟に走り出し光弾を追い、扉の中へクィスルの角笛を投げた。
クィスルの角笛は地面を転がり、ニーナ達の元へ。
「きゃあっ!?」
光弾はニーナ達に着弾しようとするが、クィスルの角笛によって弾かれた。
俺は何とか守れた事に安堵する……も、束の間。
突然の衝撃が俺の後方を襲う。
何かが炸裂する音、身体が吹き飛ぶ感覚。
いくらかの距離を吹き飛んだあと、俺は地面に激突し、少し転がって静止した。
「パパぁっ!」
ニーナの悲痛な叫びが聞こえてくる。
同時に、ツァルの見下すような笑い声も。
「アハハハハッ! ばーかッ! ざまあみろッ!」
腹を抱えて笑っているツァルを見上げながら、俺はよろよろと地面に手をついて立ち上がる。
痛い……幸いにも骨は折れていないが、痛みでどうにかなりそうだ。
俺が吹き飛んだ場所を見る限り、直撃は免れたようだが……直撃したらひとたまりもないだろう。
「ぐっ……」
くそっ……痛みで、身体が思うように動かない。
そんな状態をツァルは見下したような目で見つめ、手をこちらへと向けた。
「次は避けられるかなぁ? そのご自慢の"逃げ足"でさぁ!」
ケラケラと笑いながらゆっくりと手を光らせるツァル。今度こそ仕留める気だ。
奴の言う通り、あの一撃を避けられるだろうか? 避けなければ……確実に死ぬ。
俺は覚悟を決め、身構えた──のだが。
「じゃあ死ね──あ、れ?」
その時、異変が起きた。
ツァルの光弾が徐々にドス黒い色に染まり、彼の手を這って彼の身体にまとわり付き始めたのだ。
「なんだ、よ? この、声? この感じ? う、ぐ……あああああっ!?」
頭を抱え、もだえ苦しみながら地面へと落ちていくツァル。
一体どういうことだ? あれが……"その時"なのか?
「ぐ、うう……っ!」
扉の方からカルーンのうめく声が聞こえてくる。
見ると、カルーンがニーナに支えられながら外へと出てきていた。
彼の手にはクィスルの角笛が。俺はよろよろとカルーンの元へと歩いて行く。
「カルーン、無理しちゃだめだろ……!」
「まだ……まだ、大丈夫だ、ジム。それより……!」
カルーンはツァルの方を指さした。
ツァルは何か真っ黒な瘴気に纏われ、頭を抱えて苦しんでいる。
「うるさいうるさいうるさいうるさいッ! ボクの頭から出ていけ! 出ていケ……ッ! やメ、ろぉぉぉッ!」
何かに乗っ取られようとしているのか、しきりに頭を抱え、地面を叩きながら叫んでいるのだ。
カルーンは哀れに思うような眼差しでツァルを見ていた。
「厄災による浸食が始まったんだ……ツァルはこのままだと呪いに呑まれてしまう」
「……ああ、そうか! 奴はカルーンの力と得たと共に"箱庭の主"になったのか!」
「その通りだ、ジム……ゴホッ! 急いで彼を何とかしないと、このままでは世界も危ない」
そう言うとカルーンはクィスルの角笛を握りしめ、何かを唱え始めた。
すると角笛は形を変え──小さなナイフへと変貌したのだ。
それを終えたカルーンは、苦しさを一層増したようにはあはあと息を切らしながら、俺にナイフを手渡してきた。
「ぐ、ぅ……っ、ジム、お願いだ、そのナイフでツァルを封印してくれ」
「封印だって?」
「クィスルの力は"神の力を打ち消す"ことだけじゃない、"神を封印する"こともできる……つまり、私たちを倒すために授けられた力なんだ……ゴホッ!」
「授けられたって、まさかクィスルは?」
「そう、彼はパンドラの外の神によって力を与えられた、エルピスの一味だった……でも、彼は途中で思い直してくれたんだよ……ぐ、うう……っ」
そう言うと俺の手を弱弱しく握りしめて、カルーンは必死に語った。
「クィスルの力が備わったそのナイフをツァルに突き立てれば、きっと私の力と共に、彼は封印されるはずだ……! 頼む、ジム……彼を、止めてくれッ!」
そういうと、カルーンはよろりと崩れ落ちた。
「お父さんっ! お父さん、しっかりしてっ!」
ニーナがカルーンを何とか起き上がらせようとするが、もはや息も絶え絶えの状態だ。
俺は彼に心の中で感謝すると、ナイフを握りしめてツァルの方へと駆けた。
もはや時間は残されていない。世界の終わりも、カルーンの死も迫ってきている。
次で……次で、確実に終わらせなければ──!
「ググ、ウ……ウウウウ……ッ!」
ツァルは既に半身を黒く染め上げられ、身体の自由が利かない様子だった。
息を切らし、地面に拳を叩きつけてこちらを見上げると。
「水晶の、ナイフゥ……? あァ、そうカ……ボクヲ、クィスルの力デ、封印すル気なんダナァ……ググッ」
ツァルは俺の持っているそれを見て即座に理解し、動かなくなった片腕を押さえながら、よろよろと立ち上がった。
そして、狂ったように笑いだし──。
「カハ、ハハハハハァッ! ああイいさ! 封印できルもんナラ、してみろヨ! どうせシぬならァ、おまえラも、他ノ神ドモも、地上ノ人間モ、ミンナ、ミィィィィィィィンナ、道連れダアァァッッ!」
そう言うと、無事な片腕を勢いよく上にあげる。
すると地面が盛り上がり、ツァルの周囲を囲うようにいくつもの壁が生成された。
「時間稼ぎする気か、こいつッ!」
俺は思い切り壁を蹴り上げた──が、びくともしない。
頑丈な壁に囲われて、ツァルの所までたどり着くことができない。
万事休すか……と思った、次の瞬間。
「ていっ!」
俺の横を、小さな光弾が通り過ぎる。
先ほど見たものよりも小さなそれは、壁に激突すると、ボンッと爆発し、壁にヒビを入れたのだ。
俺が振り向くとそこには、ニーナが手を壁に向けて立っていた。
「ニーナ!?」
「パパっ! わたしもたたかうっ!」
覚悟を決めた表情でそういう彼女は、もう一度小さな光弾を発射。
勢いはツァルの物と比較しても遅いが、その威力は折り紙付き。
ヒビの入った壁に激突し炸裂すると、壁を見事に粉砕した。
がしかし、そこにツァルの姿は無く、あったのは大人がなんとか入れるくらいの穴だった。
近づいてみるとそれは階段になっていて、ツァルはこの中に入っていったようだ。
流石は技術の神か、何でも作れるという肩書は嘘ではないらしい。
……それはさておいて。
「ニーナお前……魔法が使えたのか?」
「えっとね、お父さんに今おしえてもらったの」
そう言うと、カルーンの方を見るニーナ。
カルーンは半端に開かれた扉にもたれかかりながら、こちらを見ていた。
もうすでに意識を保っているだけでも辛いだろうに……。
「あのね、お父さんが言ってたの、これでパパをたすけてあげなさいって」
ニーナは再びこちらを見て、真剣な表情で訴えた。
「だからねパパ、わたしもつれてって! わたしもみんなをたすけたいの!」
ああ、まだ小さな子供なのに、なんと立派なことか。
俺はその勇ましい言葉に強く頷いた。
「もちろんだ、行こうニーナ。一緒にみんなを……いや、世界を救おう!」
「うんっ!」
そう言うと俺とニーナは、ツァルの作った階段へと向かう。
階段を下りる前、ちらりとカルーンの方を見て、ニーナを連れて行かせてくれた事を深く感謝した。
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