第108話【パパ、継承の儀】
その大扉は、表面に複雑な魔術回路が敷かれた古めかしい石の扉だった。
まるで地面からそのまま生えてきたかのように草原にたたずむそれの前に、俺たちは居る。
カルーンの容態はどんどん悪くなっていく一方。もう俺の手を借りなければ歩けないほどだった。
今までも我慢していたが、最愛の娘と出会って気が緩んでしまったのだろうか。
厄災の呪いは、彼の身体を確実に蝕んでいた。
「はあ、はあ……ついたよ。この扉の奥で継承の儀が行えるんだ」
「お父さん、大丈夫……?」
「はは、まだまだこれくらい平気さ、ニーナ……っぐう……!」
娘の前で気丈に振舞おうとしているカルーンだったが、傍から見ても猶予は残されていないようだった。
「無理はするな、カルーン」
「ありがとう、ジム……じゃあ今、扉を開けるね」
彼は扉に手を当てると、目を閉じ何かを念じた。
すると、彼の触れている場所からゆっくりと魔術回路が光り始めたのである。
その光は徐々に扉全体に広がっていく。開くには少し時間が掛かりそうな予感だった。
「……?」
ニーナはその様子が珍しいのか、じいっと見つめていた。
ここまで立派なのはそう無いが、こういったものは古代の遺跡や古い城の宝物庫の扉によく敷かれている。
扉に敷かれた魔術回路は、主に特定の魔力しか受け付けない、いわば鍵みたいなものなのだ。
魔力の質は人によって違うため、普通に鍵をかけるよりも強固なセキュリティを発揮するのである。
「ニーナ、珍しいのか?」
その様子を見ていて、つい俺は声をかけてしまう。
事態は一刻を争うというのに、我ながらなんとも呑気なものだ。
「……なんだかふしぎなの」
「不思議?」
しかし、ニーナは少し不安そうな表情を浮かべていた。
俺が聞き返したのに頷くと、彼女は胸の内を明ける。
「えっとね、こうやのめいきゅーの時にきこえた声が、とびらからきこえてくるの」
「ニーナにしか聞こえない声か……なんて言ってるんだ?」
「……"きちゃだめ"って言ってる」
来ちゃ駄目……? どういうことだ?
ニーナの不思議な力は神の血筋由来の力だろうが……つまり、危険を感じ取っているという事か?
しかし、神由来の力だとすると、カルーンがそれを感じ取れていないのは不自然だ。
ニーナにしか感じ取れない"何か"……一体何があるというのだろうか?
「ねえパパ、どうしよう……行かなきゃ、だめだよね?」
ニーナは不安そうに俺を見上げている。
彼女が土壇場で嫌になって嘘をついた、なんてのは考えにくい。
しかし、行かないという選択肢はもう無いのも事実だ。
「ニーナ、なにが来ようとも、俺がちゃんと守ってやるから」
「……うん」
彼女もそれを理解しているのだろう、こくりと頷くと再び扉の方を見据えた。
魔術回路の光は扉全体に行き渡り、まるで石壁のようだったその扉はガチリ、と大きな音を立てる。
「……さ、開いたよ」
ふうふうとカルーンは息を切らしながら扉を離れる。もう立っているのも辛そうだ。
カルーンが離れた途端、扉はゆっくりと開き始めた。
扉の奥から青い光が漏れ出す。その先の光景は、実に神秘的なものだった。
深い青を基調とした広間、部屋の隅には水路が築かれ、水が流れている。
中央には台座があり、その上に光る水晶玉のようなものが置かれていた。
……いや、水晶玉というよりも、なんだろう……エネルギーの塊、というのが正しいのだろうか?
一般人の俺でも感じ取れるほどの強い力を秘めたそれが、そこに鎮座していた。
「ニーナ、中央へ」
カルーンがニーナに向かって言うと、彼女はこくりと頷いて中央へと向かう。
カルーンも彼女の後を追うように、俺に支えられながらゆっくりと向かった。
「その光の玉は、私の力全てが詰まっている……いわば"もう一人の私"と言っても過言ではないものだ」
「もう一人のお父さん……?」
「そうだよ、ニーナ。その玉に触れる事で、君の中に私の力が宿る……"箱庭の主"としての力も含めてね」
俺たちは台座を囲むように立つと、光の玉をじっと見つめていた。
「つまり、貴方は自分の力を隔離していたという事か?」
「ああそうだ、ジム。厄災の呪いは私に深く入り込み、私の純粋な力……"神の力"まで侵そうとしていた。それを防ぐために、こうして呪われた身体から隔離していたというわけなんだ」
そういうとカルーンは少し咳き込んで、苦しそうに胸を押さえる。
「ぐっ……すまない、もっと説明する時間があればよかったのだけど……」
「うん、お父さん……えっと、この玉にさわればいいんだよね?」
「ああ、そうだよニーナ。君の中に力が宿った瞬間、君は深い眠りにつく……ジムともお別れになってしまう」
「……うん、だいじょうぶ、もう決めたんだもん」
強く頷くと、ニーナは決心した様子で光の玉を見つめる。
そして、触れる前に──。
「パパ、今までほんとうにありがとう」
「ニーナ……」
「ぜったいパパやみんなの足あと見つけ出すから、やくそくだよ」
「……ああ、約束だ」
にこりと笑って、俺に話しかけてくれた。
彼女の代わりになれたらとどれだけ思ったことか。何もできない自分がとても悔しい。
だが、決心した彼女を邪魔する訳にもいかないだろう。
……これで、これで本当にお別れだ。
「……じゃあ、ね、パパ」
一瞬涙を浮かべそうになったニーナだったが、堪え。
ゆっくりと、恐る恐るその光の玉に手を伸ばし──。
「はい、ざんねぇーん!」
どこかで聞いた事のある声と共に、その手は壁に遮られ。
気が付くと俺達の足元から何本もの細い円柱が生えて、檻を形成していた。
ご丁寧に光の玉に届かないよう、台座は一か所を除いて囲われて。
「な……これは……!?」
全員が戸惑う中、カルーンは扉の外を見る。
そこには小さな人影が、ケラケラと笑いながらこちらを見ていた。
「ツァル……一体どういうつもりなんだい!?」
そう、技神ツァル──彼が壁を作り出して、継承の儀を阻んだのだ。
ツァルは依然笑いながら、ゆっくりと台座へと向かっていった。
「どういうつもり……って、察してくれないかなぁ、カルーン様? 貴方の力はそんなちびっ子よりも相応しい相手に継承されるべきさ……で、相応しい相手というのは"ボク"ってわけ」
ツァルは自分を指さしながら、くつくつと笑っている。
塔の入口で戦っていたはずなのに、なぜこの場に……!?
「お前はニャムと戦っていたはずだろ、なんで居るんだ……!?」
「馬鹿だなぁ侵入者さん、僕が何の神か忘れたの? "技術の神"、何でも作れるんだよ? ……もちろん、
「……!」
あれはツァル自身じゃなかったってことか……!?
ツァルは高笑いすると、何もできない俺達を嘲笑うかのように話し始めた。
「あーしかし、ニーナ様が帰ってきた時はどうなるかと思ったけどさぁ、君たちが戻ってきてくれたおかげで上手く事が運んだよ! 他の連中が居たら殺されちゃうからねぇ」
「ツァル、君はどうしてこんなことを……!」
「だからさぁ、察してくれないかなカルーン様? "ボクの扱いが不当だ"って言いたいわけ」
苛立つように言うと、ツァルはカルーンを睨みつける。
「この街を作ったのはボクだ、迷宮システムを作ったのもこのボクだ、他の神は何をした? スキルとか魔法とか法律作った後は、カルーン様に付きっきり。毎年毎年代わる代わる厄災を封じ込めてたのは、ボクだけじゃないか?」
「彼らは私の呪いを封じ込めるのに精いっぱいだった、それは君も知っているだろう!?」
「ああ、そうだねぇ、他のみんなは神様で、神の力を持っていたから、カルーン様の力を維持するために頑張っていた……でもさぁ、地上を守っていたのは、実質ボクだけだよね?」
彼は憤怒を隠し切れない様子で、カルーンに向かってまくし立てる。
「なのにさ、地上じゃ僕の名を称える人間なんかほんの僅か、みんな口を開けばカルーン様、カルーン様、カルーン様ァ! あー、ほんと……ムカつくったらありゃしないよねぇ!?」
豹変する彼に言葉を無くすカルーン。
まさかこんなことになるとは夢にも思わなかったのだろう。
ツァルはそんなカルーンを見て、またケラケラと笑い。
「はは、まぁいいや、もうお前らは何もできやしないんだ」
と、ゆっくりと光の玉に近づいて行った。
「……! やめろ、ツァル! 君には耐えられない!」
「お父さんの力をとらないで!」
カルーンとニーナが制止しようとするが、檻に閉じ込められていて見ている事しかできない。
ツァルは煩わしい様子で二人を見て。
「うるさいなぁ、まったく……特にニーナ様、せっかく"追い出した"のに戻ってきてさぁ……ほんと腹立つガキだよなぁ」
「……待ってくれ、追い出しただって……? ツァル、君は、まさか……!」
「ああ、カルーン様、今だから言うけれど……ボク、エルピスの奴らと内通してたんだよ。彼らをエルドラドに侵入させたのはボクさ。……まぁ、"ニエレア様"が殺されちゃったのは誤算だったけど」
「……ッ……ツァル……君は……君は……ッッ!」
「あ、怒った? ごめんごめん」
ニエレア……? もしかして、カルーンの奥さん……つまり、ニーナの母親なのか?
こいつまさか……ニーナがこの時代に来てしまったのも、彼女の母親が死んでしまったのも、カルーンが病に伏せる事になったのも……全部こいつのせいなのか!?
「ツァル……お前は最低な奴だよ」
「……へぇ?」
俺はたまらず、思った事を口に出した。
「カルーンがどれだけ苦しんだのか分からないのかよ……! 元々人間だったんだろ! 人を思いやる気持ちくらい──」
「……
ツァルは表情を変えず、そう言ってのけた。
「ボクには神由来の力は無い、せいぜいウィアナの真似事をしてできるようになった魔法で、家や壁を建てたりできるくらいさ……ボクは本当の神の力が欲しかった、それ以上の理由はないだろう?」
「だからって、平気でそんなことを──!」
「できるさ、それが人間だもの。目的のためならどんな犠牲もいとわない……ここまでやってきた自分の行動を見返してみろよ、"人間"」
そういうツァルに、俺は言い返す事が出来なかった。
確かに奴の言う通り、見方によっては俺もニーナに会うという目的のために"仲間を見捨てて"ここまで来たのだ。
……だが、奴のやっている事はもっとおぞましいことだ、それだけは言える。
人を騙し、利用し、そして……人を殺した。そんなこと、許される行為ではない。
「ハハ……まあ無駄話はもうやめだ」
俺が言いかけた時、ツァルは俺に興味を無くしたかのように光の玉へと手を伸ばす。
「ツァル、やめろ!」
「いやだね、カルーン様……いや、カルーン。ボクはこれで──」
カルーンの制止を構わず、ツァルは思い切り光の玉に手を突っ込んだ。
光が彼の手を伝って、どんどんツァルを飲み込んでいく。
「ボクはこれで、真の神になるんだッ! ハハハハハッ!」
ツァルの高笑いが部屋中に響き渡る。
カルーンやニーナが叫ぶが、すでに遅い。
光の玉はカルーンを包み込み──カッとまばゆい光を放った。
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