第107話【パパ、再会。そして】
俺がある程度語り終えた頃、カルーンはなんだか嬉しそうに頷いていた。
「ふふ、そうか、ニーナは地上ではそんなことを……小さなあの子にとっては、とてつもない大冒険だっただろうね」
カルーンは目を伏せて、何かを考えている。ニーナが過ごした地上の景色を想像しているのだろうか。
そしてこちらを再び見ると、にこりと笑って感謝の意を述べた。
「様々な出会いをして、様々な経験を積んで……私がしてあげられなかったことを、沢山させてあげてくれて、本当にありがとう」
「そんな、お礼を言われるほどのことはやってない。彼女が危険な目にあったこともあったし……」
「だけどきっと、私にはさせてあげられなかった経験だろう。彼女にとって楽しい時間だったに違いない……本当に、本当にありがとう」
そういうカルーンは、何度目か分からないが深々と頭を下げた。
彼がこうするのもきっと、この後自分の娘に待ち受けていることを考えてのことなのかもしれない。
「カルーン、俺も聞きたいことがあるんだ」
「ああ、もちろん。なんだい?」
「……やはりニーナは、人柱になるしかないのか?」
単刀直入に聞くと、カルーンは言葉を詰まらせる。
そして至極残念そうに、重い口を開くのだ。
「パンドラを救うには、その方法しかないのは事実だよ。すでに私の身体は呪いに蝕まれ、今も徐々に魂すら浸食されている状態……私の死は、刻一刻と迫ってきているんだ」
「そう、か……」
「……正直に言うとね、私の命などどうでもいいんだ。ニーナさえ生きてくれれば、この身が滅んでもいいとすら思っている。だが、私がこのまま死ねば──」
「ニーナどころか、パンドラ中の生命が厄災によって死に絶える」
「その通りだ、ジム。彼女に重荷を背負わせたくないが、そうせざるを得ないこの状況が……とても、とても、悔しいよ」
やりきれないといった様子で目を伏せるカルーンからは、悲痛な気持ちが伝わってきた。
せっかく娘との再会を果たしたというのに、その娘を人柱として利用しなくてはならないという事実。
実の父である彼にとって、それはとても……苦しいものだろう。
「……このまま君にニーナを託して、世界の終わりまで楽しい思い出を作ってもらうのもいいかもしれない、なんて考えもしたよ。だけど私には、この世界を……全ての生命を見殺しにするなんて、とてもできない。私はパンドラの管理者なのだから、救う方法がそれしかないのなら……決断をしないといけない」
「カルーン……」
「ふふ……情けないだろう? 娘に重荷を背負わせるしかできないなんて……私は神としても、親としても失格だ」
そう言うとカルーンは、俺に真剣な眼差しを向ける。
「ジム、君はニーナを助けに来たんだろう? 彼女を箱庭の主にさせないために」
その顔は何か決意をしているかのような、そんな顔だった。
カルーンはこの世界を壊させない為に全力を尽くす覚悟をしている。
俺がそうだと答えれば、きっとその身体に鞭を打って抵抗するつもりなのだろう。
だが、俺の目的は──。
「……本音を言うと、彼女を助けたい気持ちでいっぱいだ。またニーナと一緒に過ごしたい気持ちだって、もちろんある。だがそれは、この世界を見殺しにするということは、同時に彼女の未来を潰すことになると思ったんだ」
「では君は……?」
「ああ、俺は……あの子にお別れを言いに来たんだ」
そう、ニーナに別れを告げに来た。今までありがとう、と伝えに来たのだ。
それは彼女にとっても辛いものだろう。だが……そうするしか、パンドラに未来はないのだ。
カルーンは複雑そうな表情をして俯いてしまった。
「……その選択をするのは、非常に辛いものだろうに」
「カルーン、俺もきっと貴方と同じ気持ちだ。二度とニーナに会えない事よりも、ニーナを失う方が怖いんだ。どんなに時間が掛かっても、あの子が生きて、再び目覚めた時に未来を歩んでくれるなら……それでいいんだよ」
彼女が死ぬわけではないのなら、未来につながる選択を俺はしたい。
あの子は酷く悲しむかもしれないけれど……それでも、俺は全て滅びるよりはいいと思ったのだ。
……酷い選択しか出来ずに不甲斐ないな、本当。
「ジム……すまない、本当に……」
「……いいさ、それよりも時間が無いんだろう」
「ああ、そうだね……ニーナを起こしに行こう」
そういうとカルーンは立ち上がり、家の壁に向かって歩いていく。
彼が壁に手をかざすと、まるで引き戸のようにゆっくりと開いたのだ。
そして、その壁の先にある部屋には──ニーナが居た。
「さあ、こっちだ」
俺はカルーンに招かれるまま、白い家の中へと入っていく。
ニーナは真っ白なベッドの上ですうすうと寝息を立てていた。
俺は思わずニーナに近寄り、彼女の無事を安堵する。
「ウィアナの術はもうすぐ解けるだろう、ニーナを安心させてあげてほしい」
カルーンは一歩下がったところで様子を見ている。
彼女との再会を邪魔しないようにと見守ってくれているのだ。
俺はそれに深く感謝すると、ベッドの横でしゃがみ込み、ニーナに優しく声をかけた。
「ニーナ」
声をかけると、彼女はううんと小さく唸り、ゆっくりと目を開けてこちらを見る。
「……パ、パ?」
「ああ、おはよう」
「……っ!」
そして、ニーナは俺に咄嗟に抱きついてきた。
その身体は震え、俺が無事なのを安堵している様子だった。
彼女が覚えているのはウィアナに眠らされた時までの事。こうなるのも無理はない。
「パパぁ……っ」
ぎゅっと力強く抱きしめてくる彼女を撫でて、優しくあやす。
彼女が泣いた時はよくこうしていたっけか。
こうするのも最後かと思うと、少し寂しさを覚えた。
「ニーナ、起きたばっかりで状況がよく理解できていないと思うが、会わせたい人が居るんだ」
「ぐすっ……会わせたい、人?」
そういうと俺は、カルーンの方を向いた。
カルーンはその間に入っていいのか少し迷った様子だったが、ゆっくりと近づいてくる。
そして、俺と同様にしゃがみ込んで、ニーナと視線を合わせるのだ。
「ニーナ、私が分かるかい?」
カルーンが優しく声をかけると、ニーナは少し驚いた様子。
困惑した様子で俺から離れ、ベッドから立ち上がると。
「えっと……わかんない、けど……とってもなつかしいかんじがするの」
と、カルーンへと向いて小さく答えるのだ。
彼女はまだ実の父親を思い出せていない様子だったが、その答えにカルーンは残念がることはなく。
「ああ、懐かしい、か。そうだね、こうして話すのはとても……とても久々だから」
そう言うと、カルーンはニーナを優しく抱きしめて。
「おかえり、ニーナ」
と、何万年振りかの再会を喜んだ。
ニーナは困惑していた様子だったが、それを嫌がることはなく。
「……えへへ、ただいま」
なんだか恥ずかしいような、嬉しいような返しをするのだった。
俺は親子の再会を邪魔しないよう、ただ静かに見守っていた。
少しの間だけ彼女のパパだったし、このままパパで居たい気持ちもあったが……本物の親には叶わない。
やはり彼女は、実の父親と一緒に居るべきなのだと強く実感した。
「ニーナ、大事な話があるんだ」
しばらくした後、カルーンがそう切り出す。
ニーナはその真剣な表情を見てこくりと頷き、これからの事を静かに聞いていた。
カルーンは手短に全てを話した。パンドラの事、自分の身体の事、そしてニーナが長い長い眠りにつかなければならない事。
ニーナはその事実を聞き、ショックを受けていた。
「……本当にすまない、ニーナ」
カルーンは俯いてニーナに謝罪する。
人柱を強いるという事、今まで会った人とさよならをしなくてはならない事。
小さな少女にのしかかるには、余りにも辛い運命を、深く、深く謝罪した。
ニーナは狼狽えながら、俺の方を見る。どうすればいいのか分からないといった様子だった。
それもそうだろう。今までお世話になった人たちや、せっかくできた友達に、もう二度と会えないなんて……同じ状況だったら、俺もどうすればいいのか分からない。
だけど──。
「ニーナ」
「パパ……わたし、わたし……」
「……なあニーナ、きっと今、君は不安でいっぱいだと思う。次目が覚めたら、世界はがらりと変わっているだろうし、地上に知り合いはもう居ない。小さな君にはとても辛い事だろう」
俺はニーナの頭を撫でながら、彼女の不安を少しでも軽くしてやりたい一心で語った。
「でもな、この世界が続く限り、君の物語は終わらない。俺はもちろん、みんなも君が生き続けて、君自身の物語を紡いでくれる事を願っているんだ」
「でもわたし、パパやみんながいないなんて……やだよ……」
「……ニーナ、一つ約束しよう。君が寂しくならないように、俺たちは世界に足跡を残すよ」
「足あと……?」
「ああ、俺たちが生きた証を必ず残す。それはどんな形になるか分からないけど、何千年、何万年も残るような証を、君が見つけ出してくれるように残すよ」
少なくとも、俺に──俺たちに出来ることは、それしかない。
もう会えない彼女に残せるメッセージを、協力して後世に伝えることが、俺たちにできる事だ。
それは石碑かもしれないし、何かの建物かもしれない。
だけど、彼女が目を覚ました時に、安心出来るものを作らないといけない……俺はそう感じていた。
「ニーナ、君にはとても辛い役目を背負わせてしまうけれど……頼む、みんなを救ってくれないか」
「パパ……」
俺は彼女に向かって頭を下げる。
結局、最後に決めるのは彼女だ、強制はできない。
彼女が嫌だと言えば……きっと世界はそれまでだろう。最後の時を共に過ごすか、実の父親と過ごすか、どちらかだ。
ニーナは俯いて少し考えた後、決心した様子で俺の顔を見た。
「……あのね、あのねパパ。わたしね、やっぱりパパやみんなと、おわかれしたくないの。でもね、でも……みんなが死んじゃうのは、もっといやなんだ」
「ニーナ、じゃあ……」
「わたし、カルーンさまの……"お父さん"のあとをつぐ! ずっとねむるのは、ちょっと怖いけど……でも──」
そこまで言うとニーナはにこりと笑って。
「でもね、おきたらすぐにみんなの足あとをさがすの! なんだか宝さがしみたいで、たのしそうっ!」
「ニーナ……」
「それに、それにね? 目がさめたら大人になってるかもしれないし、大人になったらやりたいこと、たくさんあるから! だから、さみしくなんかないよ! だからねパパ、そんなかなしいかおしないで……ね?」
そう言って、俺の頭を撫で返してきた。
おそらく顔にも出ていたのだろう。自分に言い聞かせるように言う彼女を見ていたら、とても胸が苦しい気持ちになったのだ。
彼女にとって非常に辛い決断にもかかわらず、ニーナはにこりと笑って見せた。
ああ、まったく。この子は本当に強い子だ。
「……いいんだね? ニーナ」
その様子を見ていたカルーンがニーナに話しかける。
ニーナはカルーンの方を見て強く頷いた。
「うん、お父さん。それでみんなが助かるんだよね?」
「ああ、もちろんだとも……ありがとうニーナ、決断してくれて」
カルーンは彼女の笑顔に応えようと、にこりと笑い返す。
本当は、一番泣きたいのは彼だろうに。
ニーナはその笑顔を嬉しそうに見つめた後、
「パパっ」
こちらを見て、満面の笑みで、
「いままでありがとう、とっても楽しかったよ!」
と、感謝の意を述べた。
俺の方こそ、と言うべきだっただろうか。
笑って返してあげるべきだっただろうか。
しかし、俺は──。
「ニーナ……っ!」
ぎゅっと、彼女を抱きしめる事しか出来なかった。
涙をこらえていたが、大人げなく涙を流し、彼女を強く抱きしめたのだ。
「あぅ……えへへ、パパ、くるしいよ」
苦しいと言いつつも、ニーナは俺を抱きしめ返してきた。
ああ、なんとも大人げない。情けない。
だけど、彼女と話せるのはこれで最後だという事実は……とても、とても辛かった。
「……ッ! ゴホッ! ゴホッ!」
だが、時は待ってくれない。
カルーンが激しくせき込み始め、地面に手をついたのだ。
「お父さん!?」
俺が手を離すと、ニーナは慌ててカルーンに駆け寄る。
「うぐっ……ああ、ニーナ……すまないね、時間が迫って来ているようだ」
胸を押さえながらゆっくりと立ち上がると、カルーンは壁に手を当てる。
すると家全体がゆっくりと消え、残されたのは庭と草原だけとなった。
「もっと語らいたいが……今すぐ"継承の儀"を行わなければ……」
そう言うと、よろよろと歩き出すカルーン。
ニーナを箱庭の主にするための儀式を始めようと言うのだ。
俺はカルーンのそばに寄り、よろめく彼の支えになる。
「……手を貸すよ、カルーン」
「ああ、すまないジム……急ごう、こっちだ……」
震える手でカルーンが指さす方向には、俺達が入ってきた扉とは別の、変わった装飾が施された扉が一つ。
彼はゆっくりとその方向へと歩みを進めて行き、俺とニーナもそれに同伴する。
あの扉の先で、きっとニーナは箱庭の主になるのだろう。
……だが、なぜかは分からないのだが。
この先に進んではいけないような、"何か嫌な予感"を、この時俺は感じていたのである。
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