第3話 いつか きっと

―レイ―


 記憶がない。

それが、こんなにも怖いものだなんて、思いもしなかった。

ハッキリと思い出せることは、多くない。


 記憶を探って最初に出てきたのは、幼い男の子と女の子の笑顔。それから、優しい女性の笑顔が思い浮かぶ。

彼らはきっと、親子なのだろう。

みんな同じハチミツみたいな金の髪で、口に入れたら、甘くとろけてしまいそうだ。

一体彼らは、誰なんだろう?

その人達と自分の、関係性がつながらない。


 次に思い浮かぶのは、幼稚舎から通ってる学校の理事長先生と、顔のない誰か――多分、ご高齢の女性の姿。女性の手が、私の頭に伸ばされて優しく髪を梳く。

とても懐かしいその記憶に、慌てて蓋をした。


 このまま思い出していくと、きっと泣く。

泣いたらそばにいる人を、困らせてしまう。記憶の確認作業は一人になって――誰にも涙を見られずに済む状態になってから、だ。


 自分のものだという、記憶にない荷物――どこの山に登る気なのかとツッコミを入れたくなる大きさの、リュックサックの中身を確認する手が止まってしまっていたことに気がついて、改めて手の中のものに視線を落とす。


 記憶にない字に、趣味じゃない下着やパジャマ。

自分っぽくない荷造りの仕方だ。

こんな詰め込み方じゃ、生地が痛むし、型くずれしてしまう。

ただ、こまめではある人物がこれをやったんだろう。

そんな感想を抱く。


 でもきっと、私はこれを用意したやつに、文句を言うつもりだったに違いない。

ソレくらい不快で、大嫌いで、ゴミ同様の扱いをしてた――多分、男。

大事な相手がこれを用意しようとしていたら、一緒になって自分の満足行くように支度をするもの。それに、まるで記憶に引っかからない人物だというのが、その証拠だと見ていいだろう。

そこまで考えて、自分の性格の醜悪さに吐き気がしてきた。

我ながら、最悪。


 アイラさん――さっきからずっと私の様子を眺めてる、私の恋人だったという、男性だ。彼が、ここで目が覚めるまでは、私の同級生=女子高生だったっていうのが驚きなんだけど……


 正直、見た目が好みにどストライク。

あんまりにも好みのど真ん中すぎてびっくりした。

きっと、女の子の時も好みのタイプだったんだと思う。それなのに、彼女の姿までもが記憶にないと言うことが、不安で不満。

記憶の中に、『彼女』の姿だけでも戻って欲しいな。

そうしたら、頭の中でも視覚でもアイラさんの姿を愛でられるのに……


 なにはともあれ、彼が語った『異世界転生』なんていう、創作物のような荒唐無稽なお話は、どうも本当に我が身に起きたことらしい。

ソレに関しては、荷物を確認する間に消えていったプラホや着火具、懐中電灯二種類から”魔法”とやらを習得したっていう声が頭に響いた時に、そういうものなのだと思うことにした。考えても分からないことは、考えない。

ハッキリしてきたのは、自分の願い事のせいで記憶がすっかすかになっているってことだけだ。なんで、『嫌な記憶』を忘れたいと思った結果が『大事なもの』の記憶も失うことに繋がってしまったのか……責任者がいたら問い詰めたい。



「――誰が荷造りしたのか分からないけど、随分とマメな人だと思いませんか?」



 無言で見つめられ続けることに耐えきれなくなって口を開いたものの、話題が思いつかずに、確認中の荷物の感想になってしまった。


――もっと、色気のある話題!

  もしくは可愛げのある話題をひねり出してよ……私のバカバカ!


 知らない字で書かれた自分の名前やら、入れた人の気遣いを感じるだとか、自分が覚えてない相手だなんて、どうでもいよっ!

そして、言葉遣い。初対面だというイメージが抜けないせいで、固い。固すぎる。

いつもの、女の子を口説く時の私、どこにいった!?



「多分、自称婚約者の従兄だって男だと思う。レイちゃんと一緒に暮らしてるって、言ってたから」


「私と?」



 心の中で自分を罵っていると、アイラさんが妙なことを言い出した。反射的に「従兄なんていたんだ」と呟きつつ、頭の中は大混乱だ。


――不愉快な相手であろう従兄とやらと、婚約に同居……?

  ありえない。


 そうせざるを得ない何かがあったのかもしれないけれど、それなら、メリットがあったはず。メリットはなんだろう?

考え込みかけて、アイラさんの様子が妙なことに気がついた。

えっと、困惑に憤り、それから怒り……何に対して?



「ええと――お弁当が出てきたし、お腹も空いたのでひとまずご飯にしませんか?」


「いいけど……お弁当箱? おっきくない?」



 話を逸らそうと、お弁当を持ち出したのは失敗だった。

まさか、三ヶ月もお付き合いをしていたにも関わらず、私、大食いを明かしてなかっただなんて……!

涙目でお弁当を抱え込む私を見て、何故かアイラさんは嬉しそうに頬を緩めた。


――やだ、もう!

  アイラさんが、私を殺しにかかってる……!!


 その笑顔に心臓がバクバクいってて、もう、このまま破裂しちゃいそうです。







 気を取り直して食事をとりながら、記憶にない高等部生活をアイラさんから聞き出すことにしたんだけど、これも失敗だった。

最初のうちはまだ良かった――アイラさんに最初は嫌われてたのかと思って、密かに落ち込んだだけだから。

ただ、聞いているうちにそれが違うっぽいことが分かってくると話が違う。


――アイラさん、どれだけ私のことが好きだったんだろう?


 お弁当の中身に箸を伸ばすどころじゃなくなってきて、箸を置く。

手持ち無沙汰になった手で口元を隠したんだけど、気付いたら空いてた方の手は胸元の生地を握りしめてた。


――もしかして私、今、メチャクチャ口説かれてない……?

 

 すごくすごく、アイラさんは私のことを事細かに観察していたらしく、語り口からその時の自分の心の動きが詳細に分かる。

これって、どんな羞恥プレイだろう?

そして、その中のどの仕草や表情が好きだったかが、少しずつ追加される。

なんてっなんて高等テク……!?

そんな技術抜きでもすぐに落ちるくらいチョロいので、このへんで許してください。


 不意に語る声が止まったのは、そんな私の心情を慮ってのことだろうか?

ありがたい。お陰で少し、頭が働き始めた。



「多分――最初の時から、私、アイラさんに気付いてたと思う……」


「視線が合った記憶は全然ないけど……」


「普段向けられるものと、方向性が違うもの。気づかない訳、ないじゃない」



 そんなの、当たり前。

外面に向けられたものと、内面にまで向けられた視線が同じ訳がない。絶対、その視線には最初から気付いてたはず。どういった意図からのものかを理解したかどうかは別として、だけど。

おかしいのは、私がそれを一年も放置してたってことなんだけど……こっちも、ちょっと予測がつく。アイラさんが好みに合致しすぎてて、傍に近寄ることも出来なかったに違いない。さっきも、「今までみたいに呼び捨てにして欲しい」って言われたけど、無理だから……!

そんなことしたら、心臓が止まってしまうっ!

接触するまでの一年間の間に、自然に見えるように行動するシミュレーションをしてたに違いない。


 でも――



「アイラさん、可哀想」



 自分でも思いも寄らない言葉が、口から飛び出した。

過ぎた出来事として聞いても、こんなに胸が一杯になるほど幸せな気持ちになるのに、そのことに罪悪感を感じるなんて、変だ。

そんな妙な罪悪感を感じつつ、私はアイラさんが自身に好意を向けさせるように振る舞ってきたの?

彼女が逃げ出そうなんて思わないように、周りを囲み、甘い言葉と笑顔で籠絡しようと……?

それって、人を陥れるような、卑怯な行為だ。

私、幸せになんて、なっちゃいけないんだもの。



「……何が可哀想なのかが分からない。なんで? 何に怒ってるの?」


「なんでって……」



 指摘を受けて、我に返る。

気持ちを向けていた相手に好意を向け続けるのも、甘い言葉と笑顔を向けられることにも幸せを感じこそしても不幸なことじゃない。普通なら。

何で私、自分が『幸せになっちゃダメ』だなんて思ったんだろう?


――何か、理由があったはずだ。


 私がそれを思った、その理由は?

……心の中にソレを探しても、見つかるのは空白ばかりでなにもない。



「理由は、あったはずなのに。見つからない」



 やっと返した言葉が、頼りなく震えてて涙が出そうになる。

懐かしさを感じるのに、顔のない人達の姿が次々と浮かんでは消えていく。



「まるで……地面が失くなったみたいだ」



 名前も、顔も浮かばない。

最初に浮かんだ三人の顔も分からなくなってきたことに恐怖心が募る。

大事な人達なんだろうと、そのことだけは分かるのに。零すまいと伸ばした手の上を、それらはみんなこぼれ落ちていく。


 口元に当てていた手を突然引かれ、次の瞬間にはアイラさんの胸の中に抱き込まれてた。顔を上げると、心配そうな、彼の顔。

反射的に、大丈夫だと笑いかけようとしたら、頬を冷たいものが流れ落ちた。


――泣いちゃダメだ。


 要らないと思っていたものが失くなっただけ。

巻き込まれたものは、最初からなかったものだ。

だったら、大丈夫。

ないものを失っても、悲しくなんて、ない。

悲しくないんだもの、笑おう。

いつも通りにすればいい。



「ほら、もう大丈夫」


「いや、全然ダメ。その表情カオで笑うな」



 割と頑張って笑顔を作ったのに、彼は怒った顔で私の肩を掴んで揺さぶる。

ギャン泣き――それって、どうやるものなんだろう。

自分のために泣いたりなんて、しない。

それは、私の役目じゃないもの。

戸惑ううちに、アイラさんの目から涙が溢れたときには心底、ホッとした。


――これなら、平気。


 やることは、一つだけ。

手を伸ばして、泣いてる相手を胸に抱く。

この瞬間が、とても大事で、すごく、好き。



「泣かせて、ゴメン。大丈夫、私、平気だよ、大丈夫」



 流れるように、いつも通りの言葉がでたけれど、腕を振りほどいて顔を上げたアイラさんに怒られてまた、胸の中に抱き込まれる。

その直前に、思い切り引っ張られたほっぺが、すごく痛い。


――それに、抱きしめられる度に心臓が暴走気味で、ちょっと、苦しいよ。



「そんなこともあったっけって反応してないで、取り繕わずに泣け。笑顔で取り繕われる方が、オレは、悲しい」


「……女の子っぽい喋り方より、ソッチの方が似合ってるね」



 返した言葉はおふざけが過ぎるかもしれないけど、ほぼ本気。随分と上手に取り繕ってたけど、アイラさんの素はこっちの方なんだろう。この喋り方の方が、しっくり来るもの。


――さて。


 取り繕わずに泣けって言われても、どうすればいいんだろう。

記憶はすっぽ抜けてしまったクセに、その中で身につけた習慣は残ったらしい。

きっと私、『人前で泣くこと』をずっと自分に禁じてきてたんだ。

そうしろと言われるのは、すごく、変な感じ。

でも――その言葉が、あったかくて、くすぐったくて、とっても幸せな気持ち。

アイラさんは、今の私にとってはまだ知らない人だけど、『私』が惹かれた理由は納得できる。彼の胸に体を預けて目を閉じると、ポロリと涙が溢れた。


――ごめんね、アイラさん。


 せっかく慰めようとしてくれたのに。

今、溢れた涙は悲しくて溢れたものじゃない。

そうしてくれる、あなたの気持ちが嬉しくて溢れた喜びの涙だ。


――ごめんなさい、忘れてしまった大事な人達。

  私、少しずつ、あなた達を探していきたいと思います。

  完全に消えてしまった訳ではないもの。

  いつかきっと、思い出せる。

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