第62話 英雄も事件が無ければただの人19


 慌てるように至近距離にあった顔を離した美帆、俺の勘違いで無いのであれば好意を寄せられていると取っても問題無かろうかという所ではあるのだが如何せん寝起きで頭も回らず緊張のせいで今は正常な判断を下せないでいる。


「もうすぐパーティの準備が整いますので!それでは!」

「おう……」


 近所のお姉さんの様な雰囲気を持つあのリーダーがまるで生娘少女のように慌てて部屋から出ていく様は何か分からないが、とても良いものだった。この感情をどう表現すれば正しいのかがわからないのがとても悔しい、ただ似ている表現で例えるのならこうだろう。


「これがギャップ萌えなのか……」


 いつも優しく包容力のあるお姉さん気質な人が不意に魅せる少女のような純真さには破壊力があるという事が俺の中で初めて証明された気がした。



「とりあえず……ちゃんと目を覚ましておかないと折角の御馳走があんまり食べられ無いかもしれないからな!軽くランニングでもしてこようか!うん!そうしよう!ウェアに着替えて……行くぞ!」



 既にお目々はバッチリと開いていたのだが、この昂った感情を発散させる為に自分自身を騙してランニングに出かける。


 玄関に向かう途中で居間を覗き込んでみたが誰も居ない。庭に皆揃っているのだろうと特に気にする事も無く玄関から外へ出る。


「やっぱり庭に居たのか」

 外へ出て庭の方を見やれば怠惰ダンジョンの面々が勢ぞろいしていた。この無駄に広い庭もこれだけ人が増えれば少しだけ手狭に感じてくる。


「はいマスター!<美帆>ってとっても良い名前ですね!意味もきちんと考えられていて!マスターから一字貰って、更に!皆を引っ張っていけるリーダーになって欲しいなんて!凄くすごくすっごく良い名前でベルはとても感動しました!リーダーの日頃の雰囲気や行動からも連想して考えていて、それにマスターの意志を少しでも継いで欲しいというマスターの想いも願いも込められている!本当に素晴らしいです!リーダーも私に泣きながら報告してくれましたしね!とても喜んでいるのが伝わってきましたよ!リーダーの嬉し泣きしている姿はまる聖女が地上に誕生したかのような透明感でその中にも少しだけ混ざる色気と儚さ!もう本当にあのシーンは絵画にして是非飾りたい!いや!写真!いやいや!動画でしょう!という事で私の記憶からいつかあのシーンを映像記録として保管できるようにしようと私は固く決心しました!この先ドワーフ族とインテリジェンスデビルを生成すれば科学と魔法の融合した新しい技術によっていつかは実現出来るとベルは信じています!これであのリーダーのシーンを何度も繰り返し見せる事が可能になるんですよ!嬉しい!ハッピー!そしてこの技術で私の名付けシーンも……繰り返し……くりかえし……何度も……なんども……見せてあげますからね?ますたー?」


「いや怖い恐いコワイ!」

 突如始まったベルのマシンガントークに最初はベルもリーダーの名前に感動して饒舌になってくれていると思って嬉しかったんだが、急に話が逸れたと思ったら最後は何故か俺が責められるというサイコホラーになっていた。


「冗談ですよ!マスター!私も嬉しくて少し暴走してしまいました!リーダーもこれでようやく名前持ちですか……感慨深いですね!冒険者協会絡みの件が落ち着いたら本格的にダンジョンの階層も増やしますね……この先、生まれてくる全員には名前を与える事は出来ないと思いますが、せめて今いる子達だけでも名前を上げられるようにはしてあげたいですからね……」


 名前というのはこの怠惰ダンジョンで生まれてきた者にとっては特別な意味を持つ。単純な強化、存在の証、本来なら生まれてきただけで与えられるべきもの。それがダンジョンという縛りによって簡単には与える事が出来なくなっている。あだ名を付ける事は可能だけれどそれは識別するためだけの意味しか持たない。ダンジョンで生まれてきてしまったが為にだ。全て俺達の都合によるものでしかないのに本来与えられて当たり前のものすら与える事が出来ない、これはいずれどうにかしてやりたい。


 俺が怠惰ダンジョンで生まれた者には名前を付けてやりたいと思うのは傲慢なのだろうか。




「ベル……俺はここで生まれた全ての者に名前を付けてやりたいと思ってる、だからベルもそういうつもりで居てくれ!怠惰ダンジョンで生まれたって事は、俺達の子供と同義だろう?子供に名前を付けてやれないなんてのは親として失格だ!家族に名前が無いなんて事があって良い訳が無い!だから!この<ダンジョン>という縛りをぶち壊してやろうぜ!神様が決めた事なのかなんなのか知らないが、ダンジョンで生まれたってだけでまともに名前も付けられないってのはやっぱムカつく!……って事で何か良い案とか思いついたらガンガン実行してくれよな!俺は今から軽くランニングしてくるから!じゃあなベル!」


 言いながら自分ではもう捨てて、失っていたと思っていた熱い何かが込み上げてきた。それを言葉にした事が恥ずかしくなって、逃げるようにその場を後にする。




 

 本気になる事なんてもう無いと心の何処かで諦めてた。

 現実に打ちのめされて、社会というものを知り、嫌になる程に痛感した。俺では何も変えられない、俺自身も変われない。俺では物語の主人公には絶対に成れない。

 それがどうしたと、粋がって、現実を分かったように振る舞って、社会の歯車に成りきっていた。それが生きていく上では一番効率が良いと信じ込んで、自分を騙してきた。

 今までならばそれで良かった。

 けれどもう、それでは駄目だ。


 昔と変わらずに居れば、俺はかけがえのない家族の本当の名前すら呼ぶ事が出来ない。

「そんな事があってたまるかよ!ルールなんてもんは俺が変えてやる!だから!だったら!俺は!」



 ランニングとはもはや呼べない速度で走り回る。

 畑と田んぼを走り抜け山へと向かい、エルフルズのツリーハウスをチラ見してから、怠惰ダンジョンの全ての始まりである洞窟に向かい、横道から下へと続く階段を駆け下り、トンネルを抜けて、第二階層の畜舎へと迷わず駆けていき、靴箱から地下広場へとたどり着いた。

 コアルームまでゆっくりと息を整えながら向かう。

 一歩一歩何かを確かめるように確実に。

 決意を固める為には必要な時間だったのかもしれない。

 今はまだするべき事も何も分からない。

 でも俺の相棒なら俺がやるべき事も、為すべき事も見つけてくれる。だから今はまだ、俺は俺の事だけを考えていれば良い。そしていつか、その時が来れば最高の相棒が俺に教えてくれるだろう。俺は成るんだ、絶対に。世界を救うとか、他人を救うとか、そんなのは本物の英雄がやってくれるさ。だから俺は、英雄達だけの英雄になろう。家族の為の家庭内だけの英雄に。



 ベルの趣味が大爆発したコアルームにある襖に触れて、我が家に戻る。

 俺のこの決意をみんなにも伝えたい。

 この感情が冷めない内に。

 家の中を移動して、再び玄関から外へ出て皆が居る庭に向かった。

 パーティの準備もそろそろ終わる頃に戻って来れたようで良かった。怠惰ダンジョンオールスターが揃っている場で俺は俺の決意を口にする。


「みんな!少し聞いてくれ!俺は……」

 少しの間を空けて、全員の注目が集まるのを待ってから言葉を発した。























「明日から本気出す!」

 少しだけ言葉のチョイスを間違えたかもしれない。




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