第63話 英雄も事件が無ければただの人20
本気を出すとは言ったものの具体的な指針や目標も定まっていないので何をどうすれば良いのかは俺自身不明だ。
けれどベルに依頼を出したので俺は俺が出来る事を真剣にやろうという決意表明であったのだが、どうやらみんなには何も伝わっていないようだ。
現にみんなからの視線は子供を見守る母の様な慈愛に満ちたものである。
「……良し!美味しいご飯をみんなで食べよう!」
気恥ずかしさから強引に話をパーティに持っていく。
空気がとても生ぬるい、これは春の心地の良い陽気な気候という訳では無さそうだ。
「そうだな、今日はとてもめでたい日にもなった事だし!とりあえず乾杯から始めよう!今日は私と美帆が主役という事だが……乾杯の音頭はどうする?」
千尋の助けもあって、パーティ開始の流れになった。
乾杯の音頭は基本的に俺だが、今日は主役が二人も居るのでそちらに任せたいのが本音だ。今の俺が何を言ったところで生ぬるい空気になってしまうのは確定的に明らかだ。
「音頭は千尋と美帆の二人に任せるよ、お腹も空いてきたしなるべく短めでな!」
軽く冗談も混ぜながら乾杯の音頭係を辞退した。
美帆と千尋がワイングラスを持ちながら庭に作られた大きなテーブルの端っこへと向かう。これだけの頻度で庭で何かをするのならば今度、小さめのステージでも用意した方が良いかもしれない。
「では!……美帆何か一言頼む」
千尋に促され美帆が口を開いた。
「はい!……私も遂に、児玉様から名前を頂く事が出来ました!本当に嬉しいです!ふうちゃん、つっちー、ひかりん、結果的に私だけが抜け駆けする事になってごめん。それなのに祝福してくれた事が本当に嬉しい!ありがとう!……皆さんにも祝福して頂けてとても嬉しく思います!感無量です!ありがとうございます!」
エルフの皆に感謝し、怠惰ダンジョンの皆にも感謝を伝える美帆の姿はとても輝いていた。柔らかく微笑む彼女は今ここに確実に存在していて、この世界の中で生きている。世界が変わり、ダンジョンが無ければ本来ならば誕生する事の無かった命なのかもしれない。それでも今こうして俺達の家族として彼女はここに居る、モンスターとしてではなく一人のエルフとして。
「おめでとう!」
「「「おめでとう!リーダー!」」」
「おめでとー!」
「おめでとっす!」
「「「おめでとうございます!」」」
「美帆!おめでとう!貴方を生む事が出来て良かった!」
「おめでとう!名持ち組へようこそ!」
各々が祝福の言葉を美帆に伝えた。
俺も何か伝えないと。
美帆の目を見ながら簡潔に祝福の言葉を送ろう。
あまり多くを語ると涙が零れそうだから。
「おめでとう……美帆……リーダーとしての誕生日は君が初めて生まれた日だけど、美帆の誕生日は今日だから……君が……君という存在が俺達の家族になってくれてとても嬉しい!おめでとう!」
頭がぐちゃぐちゃで何を言っているのか自分でも分からない、それでもおめでとうと祝福の言葉を送れた事だけは分かった。
親父に昔良く言われていた事がある。
男の涙は見せるなと、男の涙は時に女の涙よりも重いからと。
これ以上俺が出しゃばるのは違う気がして、俺なりの祝福の言葉を美帆に伝えてから、少しだけ皆の後ろに下がった。
「泣きたく無い時ほど泣いちゃうのはなんでだろう……」
美帆の挨拶が終わり再び千尋が口を開く。
「今日、私は念願のダンジョン攻略者になる事が出来た!だが、思っていたスキルは存在しなかった……けれど私がこの道から降りる事は無い!私は私の持てる全てを駆使して他ダンジョンの攻略を行う!その為の新しいスキルも獲得した!……<剣精召喚>」
千尋が新しく取得したスキルの名を叫ぶと千尋の頭上に一本の剣が現れた。その剣は両刃で長さは刃だけで1m程はあるだろう、装飾も無ければ見た目もゲームで良く見るようなありふれたデザインの何の変哲も無い剣。だが現れた剣は千尋の周囲をぐるりと一周したかと思えば再び頭上へと戻った。
「これが私の新しい力だ!私の意思で操作可能な浮遊剣!この力で私は英雄を目指す!……それでは!せーの!」
「「乾杯!」」
「「「「「「「「「「乾杯!」」」」」」」」」」
千尋の軽い演説の後、宴は開始した。
浮遊剣についてとても気になる所ではあるが、今は良いだろう。
俺は酒を勧めてくるのを固い意志で断りながら、今日も美味しい料理の数々に舌鼓を打った。
「……結局とり天が最強なんだよなぁ」
☆ ☆ ☆
結局断りきれずに一杯だけワインを飲んのだが、今日は意識が正常なまま宴は終わりを迎えた。
疲れた体と精神を癒す為にネトゲを始める。
ちなみに千尋も純も別室だ。
婚姻届けの提出をまだしていないので正式に結婚した訳では無いとはいえ、寂しい物は寂しい。けれど男の矜持として俺が寂しいと口にする事はしたく無い。意外と亭主関白だった親父との血の繋がりを実感しているが、親父も寂しいとか思ってたのかなと少しだけセンチメンタルな気分に陥る。
「良い夫婦の日に出したいとか言ってたけど……婚姻届けって俺が居なくても受理されんのかな?」
気になったのでパソコンで検索してみた。
「へぇー……俺が居なくても良いんだな」
無事に解決した所で最近始めたばかりのオンラインゲーム版のデュエルスターズのCPU戦をこなしていく。
俺が辞めた後に出たカードやオンラインゲームになった事で効果が変わったカードもあったり、基本のルールさえも少しだけ仕様変更したりしているのだがこれが中々に面白い。
課金をするでもなく、自分が幼かった頃のように足りないカードを別のカードで補ったり、手持ちのカードで環境には存在しないデッキを組んでみたりと所持カードの少なさから発生する不自由さを楽しみながらプレイしている。
高校生時代であればそれなりのお金を持っていたので、作りたいデッキというのは問題なく作って遊べていた。けれど小中学生の頃は持っているカードもそれほど多くは無く、環境上位のデッキなんていうのは完成させる事なんて出来なかった。それでも子供ながらの発想力や誰も使っていない安く買えるカードを使ってデッキを組むのはとても楽しかった。時には友達からカードを貰ったり、あげたりしながら自分の考えたデッキをコツコツと作りあげるという過程はとても楽しかったという思い出がある。
お金を持つようになってからは不自由な中でのデッキ構築なんてしていなかったので忘れてしまっていた、トレーディングカードゲーム本来の楽しみ方を経験出来るオンライン版のデュエルスターズは非常に楽しめている。
「クッソー……やっぱり環境上位デッキには勝てないのか……いや、メタれば勝てる!ようはやる気の問題だ!」
未だCPU戦しかやっていないにも関わらず、これだけ楽しめている。もう少し納得のいくデッキが組めればオンライン対戦に挑むのも良いかもしれない。
「クソが!絶対に許さん!CPUの癖に強すぎだろ!あぁもう辞め辞め!課金しまーす!」
対戦型カードゲームは資金力が全てだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます