『蒲田』あの熱かった日々-2

狩野晃翔《かのうこうしょう》

『蒲田』あの熱かった日々ー2


            【1】


 あの事件に前後して、ぼくと木村クンともう一人の遊び仲間遠藤クンは京浜急行大鳥居駅近くにある赤井電機本社工場で、ビル掃除のアルバイトをしていたことがある。

 そのアルバイト先で知り合ったのが一学年上の女子高生、ケミさん、ヒメ子さん、メグちゃんの三人組だった。

 ぼくらはある日曜日、一緒に高尾山にハイキングに行ったことから急速に親しくなり、一緒にライブハウス・ブルースポットでロック音楽を楽しんだり、映画を観に行ったり、バイト帰りに蒲田に繰り出しては、青春を謳歌していたんだ。

 その仲良しグループもやがて、三対三のカップルに分かれることになる。

 一番ラッキーくじを引いたのは三人の女の子の中で、一番可愛くてリーダー的存在だったケミさんと仲睦まじくなった遠藤クンだろう。

 ケミさんこと明美さんは目鼻立ちのくっきりした美少女タイプで、性格も明るく、社交的だったので、誰から好かれる女の子だった。

 二番目に得をしたのは、少し前まで蒲田で三ペン狩りをしていた木村クンだろう。

 お相手のヒメコさんは、シャンプーのCMに出てくる女性のような長髪のサラサラヘアーをした女の子で、切れ長の目は笑うと糸のように細くなって、それがチャーミングだった。そして透き通るようなきめ細かい肌と小さな鼻梁、唇。

 だからぼくもほんとうはヒメコさんが良かったんだけど、彼女はもう木村クンとアツアツだったので、ぼくのお相手は必然的にメグさんに収まったわけだ。

 メグさんは特に美人とか可愛いとかいうタイプではなかったけれど、よく笑う女の子で、話題が豊富だったので、一緒にいて退屈することはなかった。


              【2】


 当時ぼくは大田区糀谷に住んでいて、千代田区内にある高校に通っていた。

 そして彼女たちは北品川にある女子高に通っていたから、当然通学はどちらも京浜急行を使うことになる。

 あるときぼくは帰宅途中、品川発の特急に乗り遅れてしまい、やむなく各駅停車の電車に乗ったことがある。そのときぼくは偶然、北品川駅から乗り込んできたヒメコさんと一緒になったんだ。

「ヒメコさん・・・」

「あら、コバじゃない。どうしたの。各駅停車に乗ってるなんて」

 そうしてぼくは事情を説明し、彼女と同じ電車に揺られながら、彼女とたわいもない世間話をするのだった。

 ぼくとヒメコさんの共通の話題といえば、当然木村クンのことになる。

 だからぼくはヒメコさんに「最近、木村クンとの仲はどうなの」と訊いたんだけど、その話題になると彼女の顔がちょっと曇った。

「ねえ。そのことでちょっと、訊きたいことがあるの。時間、いいかな」

 だからぼくは彼女が降りる梅屋敷駅のホームのベンチに座り、話を訊くことになったんだ。


              【3】


「私、木村クンのことが好きなの。木村クンもたぶん、私のことそう思ってるんじゃないかな」

「でも彼ね、最近私に壁を作ってるみたいなの」

 彼女は揺れる髪をかきあげながら、

「ねえ、コバ。それどう思う。どうしてだか分かる」

 ぼくは少し考えてから答えた。

「あいつ、硬派だろ。女の子と付き合うの、慣れてないんじゃないのかな」

 ヒメコさんが切り返した。

「でも、それだけじゃない気がするの。何か大きな秘密があって、それを私に隠してるような気がするの」

 ヒメコさんはそう言って切れ長の目で、ぼくを見た。

 実はぼくにはそれが何なのかピンと来ていた。

 それはたぶん木村クンの国籍だ。木村クンの本名は金昌博(キム・チョンパク)と言って、在日なんだ。木村クンはそれがヒメコさんに知られるのが怖くて、壁を作ってるんだ。


              【4】


 そのときぼくの耳元に、悪魔がささやいた。

 ケミさんが燦然と輝く太陽なら、ヒメコさんは夜空を照らす月だ。

 凛とした夜空に、心までも照らし続ける月だ。

 そう。ぼくはそのとき、木村クンの秘密をヒメコさんにバラして、二人を別れさせようと思ったんだ。

 友情と恋愛。どっちを取る。

 ぼくはそのとき、その質問さえナンセンスだと思った。

 木村くんが無二の親友であれ、危機から救ってくれた恩人であれ、ぼくだって密かにヒメコさんに思いを寄せていたんだ。だからぼくには、木村くんからヒメコさんを奪う権利があるんだ。

 ぼくの脳裏に、そんな身勝手で邪悪な考えが渦巻く。

 そう。そうして木村クンとヒメコさんを別れさせ、彼女をぼくのものにするには今しかなかった。

 人の恋人を横取りするなんて、仁義にもとるだろうか。

 人に知られたくない秘密をバラして別れさせるなんて、最低だろうか。

 でもそのときぼくは、どんなに罵られても、罵倒されても、ヒメコさんをモノにするためにはそれしかないと思った。

 それがたとえ、どんな卑劣な邪道な手段であったとしてもね。


             【5】


「実は、木村クンには、秘密があるんだ」

 そう言ってぼくは、ヒメコさんの顔を覗き込んだ。

 そうしてぼくは、その秘密を知ったときの蒲田警察署を思って黙った。

 あの衝撃は、生涯忘れられるものではない。

 言葉にならず、ましてや思考さえまとまらず、どう対処していいのか迷宮の森に迷い込んだかのような、めまいに似た感覚。

 そう。ぼくはその秘密をヒメコさんにバラして、彼女の心を揺さぶってしまい、彼女を木村クンから引き離そうとしたんだ。

 ぼくでさえ動揺したんだもの。ましてや女の子のヒメコさんなら、自分を失うかもしれない。心が木村クンから、離れていくかもしれない。

 ぼくはそんなことを密かに期待しながら、こんな言葉をヒメコさんに言ったんだ。

「木村クン、実はね、日本人じゃないんだ」

「在日なんだ・・・・・・」


              【6】


 あのときのヒメコさんの顔を、ぼくは今でも脳裏に浮かべることができる。

 各駅停車しか停まらない梅屋敷駅。

 そんな小さな駅なんか存在しないかのように、見えないかのように、快速、特急、急行が何本も何本も、轟音を立てて、走り去っていく。

 長い沈黙があった。それはまるでその空間だけ時間が止まってしまったかのような、沈黙だった。

 ヒメコさんは反対側のホームを見つめたまま、微動だにしない。

 そしてときおり、ぼくに視線を移す。

 それは何かを探るような眼だ。頭の中で、いろんな思考が渦巻いていて、まとまりがつかないような眼だ。

 やがて快速が轟音を立てて、駆け抜けて行くとき、ようやく彼女の唇が動いた。

 駅のホームは快速の轟音に包まれて、彼女の声なんか聞こえるはずなんてないのに、そのときぼくにははっきりと、彼女の声が聴こえたんだ。

 彼女の唇は、確かにこう言ったんだ。

「実は私も在日なの。ほんとうの、私の名前は朴清姫(パク・チョンヒ)なの」



      



                     《この項 続きます》




 

 





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