第33話 嫌悪の感情
1
『馬鹿か! 死にたいのか! 仙台青葉!』
「青葉!」
『青葉さん!』
アリエムの声が後ろから聞こえてくる。それから、相馬とはなの声も。
俺の肌を暴風が打ち付ける。俺の視線の先にはしずく。三つの連なった球体が口を開けて俺に立ちはだかる。
ポケットの中から折れたナイフを取り出す。そして、構える。刀身が折れてまるでナイフとしての役目を果たせない。身体の感覚がなくなっていくのに、何故かふと思う。こいつは、このナイフは俺と同じだと。何かの目的を持っていたけれど、途中で力なく折れてしまった。自らの役目を全うすることもなく。
「エル」
胸に手を当てる。エルに問いかける。
感情を左右する? そんなのどうでもいい。身体がほとんど動かないほど、目の前の嫌悪の感情の化身の出す歌と冷気に身体が侵されている。それでも、前に進んでいく。理由は分からない。そうすべきだという直感が俺の身体を動かしていく。
「自己嫌悪に呑まれて、自分さえも滅ぼしてしまう怪物を生み出す。そして、自分を責め続けてその先を閉ざしてしまう。なんだよそれ……」
口が勝手に言葉を紡いでいく。
「なんで自分を責めるんだ?」
いいや、分かる。自分を責めることである種の救済を求めている。誰かに核心を突かれる前に逃げようとしている。頭が次第に鈍麻して、そうすることしかできなくなる。理解できる。だけど、納得はしたくない。きっと、それは自己満足だから。
「この子はこんなこと望んでない!」
かがりとの魂の繋がりで、かがりの感情や、あの事故の情景を俺は肌で知っていた。
「事故の原因は蒲生だった。君はただ会いたかった妹に、それの何がいけないんだ!」
こころがそう言えと言って聞かない。まるで、自分に対して言っているようだった。ずっと、自己嫌悪にさいなまれてきた。
「うるさい! うるさいです!」
初めて、しずくが口を開く。風の勢いが弱まっていく。
「かがりを失った事故で、俺も父親を失った。父が死んだことはショックだった。これまで、何をしてもうまくいかなかった自分を変えようとした。次に大事な人に危害が及ぶときが来たら救えるように、変わりたかった。だけど、変われなかった! 大事な人を守れなった。ずっと、俺は自分を責めていた。今だって、まだ、俺なんてと思う。でも、それでも心の奥底では変わりたいって思っているんだ! 昨日の君を見て思ったんだ。救ってあげたいって!」
自分でも何を言っているんだと思いながら、思ったことをすべて口に出していく。何でもいい、伝えられるなら、こころを。感情に呑まれてしまう前に彼女に。
「知ったようなことを言わないでください! 助けてなんて言ってない! 嫌いなんです! そういうの! 意味が分からないんです! かがりのお姉ちゃんなのに私、あの子に何もしてあげられてない! もういいんです! 自分が嫌なんです! 嫌なんです! 昨日決めたんです! かがりと一緒に行くって! もう終わらせるって!」
しずくの後ろで蠢く嫌悪の感情の化身がより大きな声で歌う。歌うというには禍々しい音だ。
『かがり、しずくのこと恨んでないよ』
かがりの声が聞こえる。かがりが俺の前に出ていってしまう。そして、暴風にさらされ後退する。俺は、それを受け止める。しっかり、受け止める。
「嘘だよ。車の座る席が違ければ、あなたは死ぬことなんてなかった。大好きなケーキも食べれたし、ナースにだってなれたのに、それに私が本当のことをあなたに言わないから、あなたは消えてしまうの!あなたの未練は分かってる。将来も何もなくなってしまった」
しずくの表情は目を瞑ったまま、暗い。かがりの声は届かない。だが、暴風はその勢いがそがれていく。
かがりがゆっくりと、しずくの元まで近づいていく。
『しずく、何でそんなに泣いてるの?』
かがりが優しくしずくの頬を撫でる。しずくの目尻には、たまった涙で固まった氷の膜が出来ていた。これが彼女の瞳を覆っていて、彼女の瞼が開くことが叶わなかった。
『しずく、かがりを見て』
かがりの指がしずくの涙を拭い目尻に固まった氷の涙を溶かしていく。
「か、がり」
しずくの目の前にはかがりの満面の笑みが広がっているのだろう。しずくの瞳から涙がこぼれ地面に落ちる。ぽたっという音ともに、しずくの後ろにいた感情の化身の動きがピタッと止まる。
『しずく、聞いて。私ね。死んじゃったんだけどね。神様にお願いしたの。しずくを守ってって。神様、しずくのこと守ってくれたから、未練なんてかがり無いの。あそこの山にずっといたのはね。しずくを見ていたかったから。来世でも姉妹になりたくて、時間稼ぎしてたの。でも帰り方わからなくなちゃって』
ベロを出しててへっと頭を掻くかがり。
「え? かがり」
『だからね、しずく。かがりはしずくのこと恨んでないよ』
かがりがぎゅっと抱きしめる。言葉はいらないのだろう。触れ合う肌、見つめ合う視線からしずくは彼女の大切な妹の気持ちを理解しているのだろう。俺はそれを見届けると、渾身の力をあのバケモノにお見舞いするために集中する。
「エル」
胸に手を当てる。とても暖かい感覚が胸に充満する。
『ぱぱ、あたたかい』
黒い粒子が俺の身体から噴出する。俺は嫌悪の感情の化身に向けて手をかざす。すると、無数の黒い羽が生成される。
「エル、頼む。俺の想いを届けさせてくれ!」
無数の黒い羽が、嫌悪の感情の化身に向けて射出される。黒い羽は勢いよく飛び出し、まっすぐに嫌悪の感情の化身を打ち貫く。しかし、嫌悪の感情の化身は微動だにせず、黒い羽で打ち抜かれた穴がふさがっていく。
『それでは、無意味だよ。青葉、感情の化身を消す力、君に授けた筈さ、さあ、願って強い想いを刃に込めるんだ』
アリエムの声が聞こえる。身体があたたかい。手に握るナイフに想いを、守りたいと願う。アリエムの黄金の翼が輝きを増す。刀身が白い輝きを放つ。しずくが生み出した怪物――感情の化身を打ち滅ぼす力。
『そう、そう。それだ。ボクの力の一端』
「くっ! なんでだ!」
だが、身体が動かない。足が動かない。先ほどの嫌悪の感情の化身の攻撃によって、身体がボロボロになっていた。
『グガAAAAA、AAA』
呻き声のようなものが聞こえたかと思うと、ぴたりと動きを止めていた嫌悪の感情の化身が動き始める。三つの連なった球体が回転していく。
感情の化身のひびわれから、無数の青い蝶が舞い。辺りを凍てつける。嫌悪の感情の化身は宙に浮いていたしずくとかがりに巻き付いていく。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああ」
『きゃあああああああああああああああああああああああああああああ」
しずくとかがりの悲鳴。三つの連なった球体の形をした嫌悪の感情の化身。そのそれぞれが、大きく口を開けている。笑っているのか?
『今だ! 青葉、感情の化身と媒介にした宿主とのリンクが薄れている! 青葉! 何をしてる! まさか! おまえ!』
くそ、身体が動かない。これじゃ、何もまたできないじゃないか。あんな想い二度としたくないのに、決めたのに!
俺の身体はすでに腐敗が始まり、ひび割れている。もうすぐ、あの老人のように粉々になるのだろう。駄目だ。ここで、このままで終わってたまるものか。
脳裏に浮かぶ。思い出したくない。でも忘れてはならない情景。暗い部屋。そこにうずくまる少女。床に広がる血だまり。助けを求めてきたその少女の顔。
嫌だ。もうあんな想いしたくない。後悔したくない。
俺の横で小さな羽ばたきを感じる。
『キコエタ、パパのコエ、コノママオワラナイ。オワラセナイ』
エルの声が聞こえてくる。エル頼む。力を貸してくれ。声も出せないまま、エルに語り掛ける。助けるんだ。助けるんだ。俺が、この手で!
黒い粒子が、エルの身体の周りに飛び交う。そして、その黒い粒子が俺の身体のひび割れた箇所を補うように堆積していく。
優しさを知らない世界 SisTeⓇ @happysisters
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