第28話 魂を捧ぐ


 男がしずくの背中からがっしりと彼女の身体をその両手で抱きしめる。そのしずくの身体の自由を奪う男の手がしずくの胸と腰に向けられる。




「嫌、やめて!」




「そんなことないだろう。しずく」


 男はしずくの抵抗など気にしなていない様子で、その手で彼女の身体をまさぐる。




『やめろ、変態!』


 かがりがしずくを押さえる男の足を蹴る。しかし、少女の一撃は男の足に当たるものの、全く効いていない。




「なんだ? 僕らの楽しみを邪魔する奴は!? ん? 君はかがりちゃんかい? 君はどうして? あの日亡くなったはずだ。でも、君も綺麗だね。 しずくと遜色ない」


 男はすだれのような緑色の髪が揺れて、その隙間から禍々(まがまが)しい紫色の眼光が覗かせる。




『あんた。だれ? かがりちゃん。あんたのことなんて知らない! しずくを離せ!』




「あれ? 忘れちゃったの? 悲しいなあ。僕は蒲生がもう蒲生向陽がもうこうよう。【君たちのクラスメイト】だったじゃないか?」




「蒲生! んぐうう!」


 しずくが蒲生といった青年の腕で暴れる。




「しずく。少し静かにしていて……ほらいい子だ」


 蒲生の手には一輪の花が握られている。その花をしずくの顔に近づけるともう片方の腕でしずくの口をふさぐ。すると、ゆっくりとしずくの身体の力が失われ、蒲生に全体重が支えられる。




『何をしたの?』




「関係ないよ。【ばけもの】には」




『ばけもの……?』




「美しい。綺麗だよ。いくよ! しずく僕らの愛の巣に!」


 うっとりと意識を失ったしずくの顔に見とれている。もはや、かがりとの会話を続けるつもりなどないらしい。そのまま、踵を返す。






『離せ……何の訳の分からないこと言ってんの? しずくを……しずくを離せ―!』


 かがりの身体が薄く白く光る。そして、その輪郭線が薄れて肌も透けていく。そのかがりの周り数羽のを蝶が舞っている。蝶は身体が黒く、羽が鮮やかな赤。そして、羽ばたく度に小さな火の粉が飛ぶ。




 かがりの瞳が赤く輝きを放ち、その場を離れようとする目の前の男を捉える。蝶が男に向かって飛翔する。男の周りで蝶が羽ばたいている。




「蝶? こんな季節に?」


 蒲生が蝶に向かって手を伸ばす。すると、蝶に触れた蒲生の手が発火する。急いで手を振るって火を沈下させようとする。しかし、その火は衰えることはない。しずくを持っていた腕がほどかれる。




『まずい。やめるんだ。今の君が力をつかっちゃいけない! 青葉は何をしてるんだ!』


 アリエムが空からかがりの前に現れる。アリエムの表情には焦りが見られる。アリエムがかがりに向かって飛んでいき綿のような体毛をかがりの胸にあてる。すると、すっと雲のような物体がかがりの身体に消える。




 そして、薄れていた輪郭線が濃くなり、透明に消えてしまいそうなかがりの身体が落ち着いていく。




「調子に、ちょう、調子に乗るなあー。しずくの妹だからと……。この【ばけもの】が! 死人はおとなしくしていればいいんだ!」


 蒲生は右手を燃やしながら、かがりの目の前までゆっくりと近づいていく。燃えた右手でかがりの首を掴んでそのまま、高くその少女の身体を浮かせる。




 突然、地上からツルのような植物が伸びていき、そのまま、かがりの両手、両足を縛りあげる。そのままかがりは宙吊りになる。かがりの首から蒲生の手が外される。




『げほ、げほ』




「消えなよ。【ばけもの】」


 蒲生が恍惚とした表情で、木の枝を掴むと振りかぶって、そのままかがりに向けて突き刺す。




「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおお」







 俺は走った。流れ出る汗を拭い。ようやく約束の場所にたどり着く。人影が見えてくる。宙吊りにされている少女がいる。かがりだ。その近くに男が枝を片手に振りかぶっているのが見える。




「消えなよ。【ばけもの】」




 男の腕が振り下ろされる。男の握っていた木の枝がまるで生き物のように伸びていく。




「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


 俺が叫んでいた。何が起こっているのか分からない。だが、目の前の男がかがりに危害を加えようとしていることは分かる。




『愚かだよ。人間てのは』


 アリエムの声が響く。とても残念そうな冷たい声。




 男の腕から伸びた枝がアリエムもろとも、かがりの身体を貫く。そして、男がそのまま枝を引き抜く。枝の先が血の色に染められている。




『青葉の馬鹿野郎……』




 アリエムがこちらを見て呟く。そして、ふわふわと浮いていたアリエムが地面に落ちるように着地する。


 かがりの腹部に風穴が空いている。男は、じっくりと彼女を見つめると彼女の顎に手を添える。




「何をしに来たんだ? 仙台青葉?」




 俺はこの男を知っている。蒲生向陽、俺のクラスメイトだ。俺の憎むべき対象。




「蒲生ーー!」


 俺は蒲生の問いかけに応じる蒲生に殴りかかるが、さっと避けられてしまう。




「怖い。怖い。陰キャは切れると危ないね。僕は、嫁を迎えにきただけなのに」




「お前がしずくに近づくな。そんな資格お前にはない!」


 俺は蒲生を怒鳴りつける。怒りが俺の感情を支配していく。




 蒲生がしずくのもとに戻ると、花を取り出して一嗅ぎする。すると、片方の腕でもった小枝を燃える腕にかざす。そのまま、燃える腕を切断する。おびただしい流血が飛び出るかと思ったが、不思議なことに血は一滴たりとも出ていない。顔色を変えることなく。


『シズク……カガリ……』


 エルが飛び回る。




『エル。僕のことが気に入らないのかもしれないけど……このままだとかがりは消える。君のお気に入りのしずくはどう思うかな?』




『……コロス!』


 エルの声が脳裏に響く。怒りが溢れだしていく。俺の身体から黒い粒子が噴出する。エルに向かって、収束する。赤黒い炎を纏った翼を有した一羽の鳥が羽ばたいている。そのまま、空に舞い上がり、高速で蒲生に向かって飛んでいく。




「させる訳には行かないなあ」


 高速で迫るエルの目の前に白い軍服を身に纏ったマスクをした男が現れる。マスクの男が手をかざす。マスクの男の手とエルの接触点から目がくらむ程の光が発せられ火花が飛び散る。


すると、エルの勢いがそがれ、マスクの男がエルの頭部を掴みそのまま地表に叩きつける。




 そのまま、エルは地べたにへばり付く。エルの輪郭が薄れ、黒い粒子が弾け、元の小鳥の姿に戻る。その黒い粒子が俺のもとに戻って来る。




 俺は走り出し、黒い粒子が収束したナイフでマスク姿の男に切りかかる。まるで子供をあしらう様にマスクの男は俺の剣戟を白い手袋をした指でいなしていく。その指は手袋はおろかまるで切れていない。




「なっ!?」




「感情が剣戟に乗っていない。こんなものか? 圧倒していたように見えたが……」




「ごふっ!」




 腹部に強い痛みが走る。そして、マスクの男の顔が離れていく。そのまま、背中に強い衝撃を受ける。何をされたかのか分からない。後ろに吹き飛ばされ木にぶつかったようだ。




「まだ、踊れるか? 仙台青葉。この剣を抜くに相応しくないな。貴様は」


 腰に差したサーベルの柄を鳴らす。




「く……」


 膝をついてしまう。顔をあげるとマスクの男が目の前に立ちはだかる。




「行きますよ。蒲生向陽。ドクターが呼んでいる」




「仙台青葉を始末しないのですか?」




「何かいったか?」


 マスクの男が、蒲生に向き直る。後姿から分かる圧倒的な威圧感。マスクの男の腕がサーベルの柄を掴み抜く構えをとる。






「い、いえ……」


 蒲生はたじろいで、そのまま沈黙する。意見を撤回するしか目の前の男には意思表示が許されないと悟っているようだ。蒲生の足が震えている。


「君程度の人間いつでも消せること、覚えていろ。私は君が嫌いだ。行くぞ」


 マスクの男の目の前の空間が歪む。そして、しずくを抱えた蒲生は歪んだ空間に足を踏み入れる。




「待て! しずくを離せ! 蒲生ー!」






「意思を通したいなら、力でこの私をねじ伏せてみろ。待っているぞ。仙台青葉」


 白銀の髪をたなびかせ、拳を握りしめて俺を見つめながら、マスクの男が消える。




『あいつ、何なんだ? 僕らでもあそこまで……』


 アリエムが息を呑みながらにマスクの男の消えた空間を睨む。




「かがり、エル、アリエム」


 エルがゆっくり、こちらに向かって羽ばたいてくる。俺はかがりとアリエムに駆け寄る。




 かがりを縛っていたツルが緩み、かがりがそのまま地面に倒れる。かがりの輪郭が薄れていく。




『はあ……はあ……はあ……はあ……痛い……痛いよしずく……お姉ちゃん……ママ……はあ……』


 かがりが自らの手で腹部を押さえる。俺はかがりを抱きかかえる。その手にはべったりと血が染み付いている。否応なくその血が眼前に広がる。




「俺は、俺は、また……」


 かがりの血を見て俺は、自分の過ちを思い出す。守れなかった。




『青葉、何してんだ! お前ここで、あいつを暴走させる気か? 感情に呑まれるな!』


 俺の頬をアリエムが張り手で打っていた。




「どうすればいいんだよ! こんな状況で」




『青葉。この世界で存在を維持するものは何だ?』


 アリエムがこちらの瞳をじっくりと捉える。




「…………」


 俺はその問いに答えられず沈黙する。




『魂だ。だがそんなことをすれば人間の魂は持たない』


 アリエムがゆっくりと口を開く。


(青葉、君は目の前の少女が消えていくことに対して、どうする? 彼女を助けたいと思えるか。試させてもらうよ。でも人間はやっぱり浅はかで愚かな存在なのかな?それでも――)






「なら、俺のを使え」


 俺は即答した。それがいいと自然に思ったからだ。




『へ?』


(こいつ、即答かよ。)


アリエムがきょとんとして俺を見つめる。わずかな沈黙が流れる。






『ふふ。君って奴は面白いよ。なら、君の魂をこの子の魂に捧げる。そうすれば、彼女の魂は消えることはない。消耗してしまった分を補うことができる。君の魂を使うってことは、寿命が減るってことだよ。君は以前に魂を使っている。今回でアウトかもしれないよ』




「俺は死ぬのか?」




『そうなれば、次の輪廻に行ってもらう』




「そうか」


 俺は相づちを打つ。俺は理解している。これがいいんだ。




(なんだ。その目は。今にも自分が犠牲になるというのに……)




『生きているというのは何なんだ? 肉体が失われたら死ぬ? 違う、存在が消えたときだ。青葉、目の前で苦しんでる彼女は【バケモノ】かい?』


 アリエムが問いかけてくる。




「違う……」


 目の前の少女は確かに、目の前に存在していた。しずくの目の前でかがりはあんなに嬉しそうにしていた。いままで何も出来なかった。だから……






「……俺には……こんなことしかできない……だから!」


 アリエムのとのやり取りを繰り返すごとに確かな気持ちが俺のこころに宿っていくことを感じる。とても充実した感覚。




(試して悪かったよ。単なる自己犠牲じゃあない。あたたかい素直な感情。とっても。僕が力を貸してあげる。)


 アリエムの身体が光り出し、アリエムの両腕に黄金の翼が生える。そして、空中で羽ばたく。




『青葉、手をかざして』


 アリエムに言われるままに、かがりに手をかざす。




『……我が名はアリエム 




   哀れな魂に救済を




   主よ。祝福の光を今……』




 かがりの傷が癒えていく。表情が明るくなっていく。




『行くよ。青葉』


 俺の意識が遠のいていく。

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