第26話 優しさが正しいって信じてた


 少女がしずくの腕から解放されて、こちらに向き直る。俺には見覚えがある。あのとき亡くなった少女だ。彼女の名前は『盛岡


篝かがり』。玲子さんの妹、そしてしずくの双子の妹だ。容姿はしずくを幼くしたような顔つきで、髪は金色、綺麗な色だ。目は赤く宝石のように透き通っている。




 昔は何度か遊んだことのある少女。




『あれ? お兄ちゃん? 青葉!?』






「かがりなのか」


 俺はその少女に問いかける。




『え! 青葉、かがりのこと見えるの?』


 かがりが俺に近寄ってくる。俺の身体にかがりの指が触れる。とても冷たい感覚。目の前の少女が本当はいないはずの存在だと事実が語って来る。俺は否定したくなる。かがりが息を呑み驚きの表情を見せ言葉を続ける。




「触れる。しずくにしか触れなかった。あったかい。猫ちゃんも、鳥さんも、いろんな人にも触れない。誰も私に気づていないみたい。私がここにいないみたいなの。それに、かがり、この山から出られないの……」




「君はあのとき……」




 亡くなって、俺がその言葉を口にしようとしたとき。しずくが俺の前まで近寄って来ると、スマホを手にして俺にそれを見せる。内容は『かがりは自分が死んだことを知らないようです。だからまだ真実を伝えないでください』と書いてある。




 廃病棟での一件で、幽霊がいること、彼女たちと触れ合って心を通わせることができることを知った。だが、目の前の少女の死から何年もの月日が経っていたことから、頭に刷り込まれたいないはずの存在に、目の前の光景に言葉をうまく紡げない。




「私はまだ、かがりと一緒にいたい……おかしいですかね……」


 潤んだ瞳でしずくが見つめてくる。




「分かった」


 俺にはそう答えるしかなかった。彼女の瞳がそうさせる。




『あ、見たこと無い猫ちゃん発見! ふふ。しずく! しずく! こっち、こっち』


 かがりが黒い猫を発見すると、しずくに手招きして猫を追いかけていく。俺たちはかがりを追いかけていく。


 すると、猫が仏閣の上に登り、走っている。この猫は何かを感じるのだろうか?かがりが浮いて床をスライドするように移動する。そして、猫に追いつくと猫を掴む。




『あれ? 触れるくろくろな猫ちゃん、かがりのこと分かる?』




『にゃあああああ』


 黒い猫が暴れてかがりの腕から逃れるとそのまま、森の中に走り消えていく。


だんだんと日が暮れていく。




「こら、危ないからやめなさい」


 しずくがかがりをたしなめる。かがりは気にせず、仏閣の廊下で踊る。ひらひらとスカートが舞っている。そんな快活少女だったが、次第に声音が低く弱々しくなる。




『かがり……だんだん眠くなっちゃうの』


目を擦る。




『しずく、明日はお家で朝起きれるのかなあ。気が付くとかがりここにいるの……寂しいよ……連れて行って。玲子お姉ちゃんに会いたいよ。ママにパパに会いたいよ』


 かがりが白く輝く。彼女の輪郭が薄れていく。次第にふわっという白い光が溢れその姿が消えていく。




「……かがり!」


 声を絞り上げる。かがりの元に駆け、手を伸ばす。だがその手は何も掴めない。しずくは空を見上げて呻くように泣くことしか出来なかった。




「き、消えたのか?」


 俺が呟く。泣き叫ぶしずくの声が森中を駆け巡る。俺は何も出来ずその場にいるしか出来なかった。そう俺は何もできない。知ったかぶりで彼女を抱きしめてその不安を癒すなんてそんな勇気がどうしても出てこない。


 俺の中でおびえているもう一人の自分がいるのだ。また救えないかもしれない。味わいたくないあんな感覚。ただただ脅えている。







 しずくが落ち着くのを待つ。




「かがり。ごめんね。」


 しずくはそう森に向かって告げるとこちらに向かって歩き出す。




「大丈夫か?」




「いつも、こうなの。あの子、最後に必ず同じことを言うの。でも、数日の記憶しかないみたいなの自分がこの森に何年もいるなんて知らないの。毎日、毎日、日の暮れるこの時間にここに来てかがりと遊んで最後にあの子を抱きしめる」


 しずくがポツポツと独り言のように呟く。また泣きそうになっていることが分かる。たが、それを飲み込んでいる。




「どうして、連れて帰れないの。触れるのに、話せるのに……」




 すると、これまでどこにいってたのか。アリエムとエルが頭上から飛んでくる。




『このままじゃ、まずいよ?』




「何がまずいんだ?」




『うん。彼女は魂を現世に居過ぎている。そして、現世に残る未練を忘れてしまっている。未練というのはときに魂を縛る鎖になるけど、同時に力にもなる。その根幹がないまま現世に居過ぎれば……』




「未練を知らないとどうなる?」




『その存在は、そのまま消滅する。次の輪廻に乗ることなくね』


 淡々とアリエムは事実を告げる。しずくのその言葉を聞くとそのまま膝から倒れ込む。




「そんな……私は……」


 しずくの漏れるような息。そして、そのまま言葉が口からこぼれ出す。




『なぜ、ここまで放置した! 盛岡しずく』


アリエムがしずくを叱責する。




「そ、それは…………」




『本当は、逃げていたんじゃないのか?君はまだ彼女の死を認められていない』




「それじゃあ、私はあの子を失うことを怖れて事実を伝えなかったことが却ってあの子の…………わたし……どうすれば……」


 ぽつぽつと言葉をが漏れ出す。




「方法がある。明日また青葉とここに来て。そして、彼女に真実を伝えるんだ。それで彼女がここに残る理由を彼女に思い出させる……そしたら後はかがりを【境界の世界】に送る」




「…………」


しずくが沈黙を保ったまま、かがりのいた場所を見つめている。




 つらいな。俺はそう思った。しずくは何年もの間、かがりの死から逃げて来たのだろう。しずくはその間ずっとかがりに隠してきたのだろう。それが妹を傷つけない優しさだと信じていたのだろう。自分の人生を、時間を犠牲にして妹と向き合おうとした。だが、真実は違った。妹との時間な永遠には続かない。ましてや、愛してやまない妹に死の宣告というこれまでとは全く違うことをしなければならないのだから。




「お葬式をしたある日のことです……」


 また、しずくが語りだす。俺には分かる誰かに聞いて欲しいのだ。それくらいなら俺にもできるかもしれない。黙って彼女の言葉に耳を傾ける。




「何かに導かれるように、この場所に来ました。そうしたら、かがりがいた。嬉しかった。あのとき、もう会えないんだと思ったから。お葬式をして、骨をお墓に収めてかがりが死んだって分かってた。でも、目の前で元気にあの子が笑うから……私……ずっと……あの子を苦しめてたのは…………」




 私、そういいかけたのだろう。目の前のしずくという少女と自分を重ねている自分に気が付く。自らの行動そして無力さを感じている。俺にはそんなふうに目の前の少女が映る。




『……パパ……』


 エルが呟いている。そして、エルが俺の身体に飛び込んでくる。強い衝動を覚える。だが嫌じゃない。本当は心の中でやるべきだと感じている?




『またか……おもちゃじゃないぞ。まあ、今回も後味が良くなるからいいか』


 アリエムが表情を歪めながら、エルの飛び込んでいった俺の胸を見る。しかし、それはすぐ、呆れたような表情に変わる。




 エルが飛び込んでから無性にしずくが愛おしく感じる。なんてかわいそうなんだ。俺はそのまま、しずくを抱きしめていた。




「へ? 」


 しずくの身体が一瞬跳ねる。しかし、そのまま、俺に身体を委ね俺の服を強く掴む。俺は力をより込めて彼女を支える。このまま、砕けて消えてしまうのではないか。大事に大事に気持ちを込めて彼女を抱きしめる。




「ごめんなさい。あの事故でお父さんを失ったあなたに甘えてしまいました。誰かに聞いて欲しかった。知ったかぶりで。私のこと分かったように優しい言葉を掛けてくる人が嫌だった。分かってます。そんなの私のわがままだって」




 彼女を抱く力が強くなる。それに合わせてしずくも俺の服を掴む力が強くなる。そして頭をなでる。しずくがかがりにそうするように。やさしく。


(あたたかい。でも嫌じゃない。不思議と安心する)




彼女が落ちつくのを待って下山する。石の階段の脇に猫の死体が転がっていた。


『青葉、君があいつをどう思ってるかは興味がないが、これだけは言っておく。それは、君の本当の気持ちなのか?』


 しずくと分かれると、アリエムから声をかけられた。




「は? 何を言って……」


 俺には思い当たる節があった。あいつ、おそらく、いや確実にエルのことだろう。




『エル、人の感情はおもちゃじゃないぞ』


 アリエムがこちらをじっと見て言い放つ。俺の中にいるエルは何も言い返さない。



「なんだ! 陰キャのくせに! あいつ! あいつ! 僕のしずくを! しずくを! 」


 少し離れたところで青年が呟く。青葉としずくには聞こえない。青年は呟き、指を噛む。普段から噛むその指は噛み過ぎて皮が剥けて肌が露出している。




 青年は睨めつける。その視線のさきには仙台青葉。




「殺す! 殺す! 仙台青葉……」




「まぁまぁ、落ち着きなよ。彼女に君の愛を教えてあげよう。だから、今日は分かるね」


青年に話しかける男性。そっと青年の肩に手を置く。




「なぜ、明日なんだ?」


青年が男性を睨む。




「【筒】が完成する。抜き取ればあいつを望み通りお前にくれてやる」




「分かった」


青年と男はその場を後にする。


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