第20話 ひとのこ
~数年前~
私の名前は、八重咲花やえさきはな。ここは、恵南総合病院。私はここで生殖医療に関わっている。私が関わっている生殖医療というのは、不妊治療、主に体外受精や胚の移植を対象にやっている。
体外受精というのは、卵子に精子を人為的に受精させて受精卵を作った後にその子のお母さんに移してあげること。
胚というのは、受精卵が成長した状態のことで、胚移植はこれをお母さんのお腹の中に移してあげること。
私にはこの仕事に疑問がある。ここ坂下町は、そんなに人口が多くない。それなのに、大量の受精卵を作っては、胚まで成長させている。そして、無くなったりしている。
それに、悲しい。母胎に移植した胚以外はすべて冷凍保存ののちに、成長機能を失った個体から処分されていく。
「この子達、成長すれば人になれるのになあ、残酷だよ……」私は天井を思わず見上げため息を付く。
周囲には顕微授精装置、受精卵観察装置など生殖医療の機器が安置されている。
「頭、蒸れてきた。そろそろ休憩したい」
毛髪や体毛が入らないように、メディカルキャップ、白い手袋をしている。そのため、私は少し汗ばんでいた。
「調子はどうですか? はなちゃん?」
部屋に男性が入ってくると、男性が私に、タブレットを手渡す。私の上司だ。いつも、淡々と仕事をしているが何か近寄りがたいイメージかある。
手渡された画面に視線を移すと表のようなものが映し出されている。中身は何か分かっている。とっても気が滅入る。
「……はい」
「元気がないようだねえ。はなちゃん。君はすごい。その年で生殖医療の研究員だ。いつも通りこれらの胚は処分してくれたまえ。成長機能が停止している。これも仕事だよ」
そう告げて、早々に男はその場を去って行ってしまう。
「……はい」
私は手渡れたタブレットに目を向ける。そこには、『廃棄表』という簡素な項目の下にずらりと私たちが育ててきた胚の個体識別番号が記載されていた。
「そんなこの間もしたのに、またこんなに……」
「本当にこの子達の成長機能は失われているの?」
私は疑問に思って表の中の胚を顕微鏡に設置してみる。すると、顕微鏡の中には元気に胎動している胚があった。
「何よ、これ?」
私は表の胚を片っ端から顕微鏡で覗いていく。すると中には動かない胚がある一方で成長機能のある胚が多く見られた。
私はその場にいることに嫌悪感を感じて部屋を出た。
「何よ、私はここに来て数ヶ月ずっとこの子達を………」
誰に向けるでもなく呟く。
「嘘よ。信じられない。私は…………」
ここに居たくないただそう思った。だから私は部屋を出た。
廊下に出ると、突き当たりに階段が見える。これ以上は、機密だからという理由で立ち入ることは許されていない。以前、何があるのか興味が湧き階段を降りた先の扉を開けようとしたが、鍵がかかっており入ることは出来なかった。
何かに引かれるように、私は階段を降りる。そして例の扉まで行くと。
「あれ? 開いてる?」
私はそのまま扉を抜ける。すると、そこには下へ続く階段が続いていた。私の中で何か悪寒のようなものを感じていた。しかし、若干十四歳、好奇心が勝っていた。そのまま階段をおり、通路を進んでいく。
そこには、大きな鉄の扉が待ち構えていた。どうやらまた鍵が掛かっているらしい。
「きょうもお疲れ様でした」
ガチャッと目の前の扉が開く。そこには男性が立っていた。異様な悪臭で立ち眩くらみしてしまう程だ。
「な、なに…………」
「ここの立ち入りは禁止しているはずですが」
男性が私の腕を掴み強引に部屋に引き入れる。目の前に赤い部屋に広がっている。そして、足下に滴る赤黒い液体、その上に無惨に置かれた人間の頭部。
私は理解した。この悪臭が血の臭いなのだと。私は目の前の光景に何ら声を出すことも出来ずに気を失っていた。
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「ん、ん……」
目が覚めると両手を縛られて足が壁に拘束具で固定されていた。先ほどの部屋らしい。あのときは気がつかなかったが、この部屋には何人もの人間が手術台の上に拘束されている。
「目覚めましたか? はなちゃん」
「離してください! ここは何なんです?」
私は話しかけてきた方向に顔を向ける。そこには、私に胚の処理を指示した上司がいた。
「落ち着いてください。はなちゃん」
「落ち着くもなにも、何なんです?」
「ここは、採取場ですよ。賢しいはなちゃん。どうでしょう? 少し見学しますか? あの方もあなたに期待していたようですから」
「な、何を言っているんです?」
男が部屋の奥に行ったかと思うと一人の男の子を連れてくる。五、六歳くらいだろうか?
「嫌だ、離して、離して。痛いのいやああ!」
「ふふふ。生きがいいですねぇ~」
じたばたと男の子が抵抗する。しかし、男の子の手足は後ろで手錠をかけられており、首輪にチェーンがかけられて男に強く引っ張られている。
男の子の服はボロボロで血の染みができており、服から覗かせる肌はアザだらけだった。
「うるさいですね~。いいですかぁ~はなちゃん! 見ていなさい! 口を縛りまして……」
男が男の子を手術台に乗せ、首に繋がったチェーンを台にくくりつける。
「止めてください。おかしいですよ!嫌がってるじゃないですか! それに怪我も」
「さて、お次は手足を縛りまして……」
男は手慣れた手つきで男の子を仰向けに縛り上げる。そして、アタッシュケースのような物を下から取り出す。そしてその中からペンチを手に取る。
男の子の股に輸血がなされている。
男は男の子の指にペンチを近付けるとゆっくりと男の子の爪をペンチで引っ張っていく。
「んん!んん!」
男の子が悶え苦しむ。男の子の指から血が出ている。爪を剥がしたようだ。
「や、やめてぇぇ!」
私は男に叫ぶ。しかし、男はまったく聞く耳を持たず男の子の爪を剥がしていく。
「あー。気絶してしまいましたか? では」
男が男の子に注射器を突き刺し薬を投与する。すると、びくんと男の子の身体が跳ね上がる。そして、男の子の目が開く。
すると、男は男の子の指に向けて刃物を突き立てる。そして、関節に沿って切断していく。男の子は幾度となく気絶し、強制的に起こされる。
「っ!」
目の前の出来事にただただ悲鳴をあげるしか出来ない。目をそらしても、目の前で行われている光景は消え去らない。
男が男の子の腕を切り取る。そこでまた意識を失ってしまう。頭が拒絶していた。夢だ。そうに違いない。
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また、目が覚めるとあの場所にいた。目を開くと手術台に置かれた血まみれの物体。その下に滴る赤い液体。床には、人の残骸が転がり落ちている。
「おえぇ!……」
私は理解した。目の前の残骸が先ほどの男の子であったこと。これが夢ではないということ。
私の目の前には、一人の男性が立っている。先ほどから居た私の上司。
「こ、こんなことして、ただで済むと思っているんですか!」
「なにもありませんよ」
入り口から足音が聞こえてくる。誰かが近付いてきたようだ。私はその存在を見て安堵した。
「恵南先生、早く警察を」
私は助けを求めるように、恵南先生に視線を向ける。
「その必要はありません」
「何をいっているんです? 恵南先生?」
「警察は動きませんよ。八重咲さん」
恵南先生が私にゆっくりと近付いてくる。いつも穏やかで優しい先生からは考えられない。とても冷たい目をしている。そして、冷たい声で続けてくる。
「分かりませんか?」
「な、何を?」
「彼らは、人間であって人間ではありません」
「そんな、嘘です! デタラメです!」
「母胎を一度も介することなく生まれてきた生物が人間と言えるでしょうか? そうでしょう八七番目の人工胚の成長体のはなさん?」
恵南先生の会話の意図が理解出来ない。私はしばらくの沈黙の後に喉を絞って声を出す。
「八七……人工胚?」
「えぇ。そうです。あなたも人ではないのですよ」
「嘘よ。私にはお母さんが、この病院で――」
「君のお母さんの名前は? お父さんは? 何が好きだった? 何を話した? お母さんの特徴は? 左利きだったかい? 右手だった? あぁ、これかい?」
白黒の古びた写真を恵南先生が私に見せてくる。
「そうです。私のお母さんとお父さんです。」
ニヤッと恵南先生が笑う。
「これは、僕のおばあちゃんとおじいちゃんだよ。うん十年も昔になくなってるよ。君の記憶も八重咲という名前も後付けのものさ」
「お母さんとお父さんは、あれ? うそ」
頭に浮かんでいた具体的なイメージが一気に砂城のように消えていく。足場が一気に崩れ落ちていくような感覚を覚える。そのまま、力なくうなだれ拘束具が肉に食い込む。
「うん、うん、いい実験になったよ。ありがとう、八七はなちゃん。この子から面白い感情も引き出せたから後は、恐怖の感情を。後はよろしくね」
「かしこまりました」
男の返事を聞くともうここには用がないらしい。恵南が部屋を後にする。
「ムカついてたんだよね。被検体の癖に、やたら頭がいい。そして、その整った顔…………」
すると、男は私の目の前まで来る。服を刃物で剥いでいく。
「な、何を、やめてください! 」
気が抜けたように項垂うなだれていた私は、男に服を剥がされていることに気づき抵抗しようとする。だが肉体も精神も疲労困憊ひろうこんぱいに加えて拘束されている。男のなすがままにされる。
心がゆっくりと壊れていく。
手術台に置かれた物体を強引に床に落とす。男が私の拘束具を取ると、そこに無理矢理押し倒す。背中に激痛が走る。どうやら、台の上には、無数の針があったらしい。
針が食い込み。逃げられない。すると、手足が拘束される。脳裏に浮かぶ男の子に訪れた絶望の光景が脳裏に浮かぶ。私は暴れるも何の意味もない。
「いや、いやああああああ! いやああああああ!」
激痛とともに、幾度となく意識を失い強制的に起こされる。そんな繰り返しの中、ついに口も縛られ、何も声を発っせない。
ついには、私の意識が私の肉体に戻ることは二度となかった。
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