第18話 こころ、黒

俺たちの周りには、血、血、ベタベタと足にまとわりつく。昔のもの、今のもの。そのそれぞれが混ざり合い異様な臭いが鼻腔を刺激し、俺は吐き気を感じていた。




「さっきみたいに倒せねーのか?」


 相馬の傍らにいるはなに視線を向けると彼女は震えている。そんな彼女に治憲が問いかける。




『出来ません! 彼らは!』


 はなは俯うつむき、その声音には覇気がない。ぎゅっと自らの服を握りしめる。その手は震えている。




「どうしたの? はなちゃん?」




『相馬さん。あなたには申し上げていたと思いますが、私は当初はここの被検体ではありませんでした。実験のメンバーとして研究者として派遣されました。私は、調子に乗っていたのかもしれません……』




「君が……研究者?」




『彼らにスカウトされ、海外に留学し、彼らの期待に応えるべくすべての課程を終えこの町に戻ってきました。そして、自分に与えられた仕事を淡々とこなしているうちに気が付きました。この場所で、何が行われていたのかを……自分がフラスコの中で『なに』を『なんのために』研究させられていいるかを……」


 相馬が、はなに向き直る。はなは俯いたまま言葉を続ける。だんだんと小さい声がより小さくなる。今にも床の血の海に倒れてしまいそうだった。




「じゃあ、なんで君まで……こんなことに」






『私は……彼らのために闘いおうとしました。ですが、結果は火を見るよりも明らか……子どもが抵抗したところで無意味でした……何も出来ませんでした』




 彼女は、はなは呑まれていた。罪悪感に。そのまま床を見て自らが知らず知らずのうちに加担していた実験の生々しい血痕が目に映る。




『ごめんなさい……ごめんない……私……わたし……』


 はなは呟いていた。まるで、自分に言い聞かせるように。はなの瞳から水滴がぽつりぽつりと床に落ちている。




「はなちゃん。大丈夫。大丈夫だよ」


 相馬がはなを抱き寄せ、頭をなでる。それに合わせるように巨人もはなと相馬の前に手を下す。


 四足のばけものが自らの生みの親たる女型のばけものを食い荒らし、こちらをじろっと見ている。俺と視線が合う。




『美味しい……食べる感覚!……もっと……食べたい』


 三匹の四足のばけものが相馬とはなを守る巨人に噛みつく。巨人はびくともしないが、これを振り払う。振り払われたばけものがすぐさま体制を立て直しこちらに迫って来る。その動きはとても素早い。




 俺は咄嗟にナイフを一匹の四足のばけものに振るう。確かな手ごたえを感じる。おかしい、そう思ったときだった。ナイフが四足のばけものの肌にはじかれる。




「なに! このナイフで切れないのか」


 俺はナイフをはじかれた衝撃で体制を崩す。なんて硬さだ。試したことはないが、鉄や銅と言った金属製品より硬いのではないだろうか。




 もう二匹が再び巨人の腕に噛みつく。そして、巨人が振りほどこうとする。しかし、今度はしっかりと牙が食い込み巨人の腕にがっしりとへばり付く。




『きしゃああああああ!』


 俺が対峙する四足のばけものが俺に迫る。爪を立てて襲ってくる。このばけものは人のような腕を持ちながら異常にその腕が長く指の爪が鳥類や爬虫類のように鋭利に尖っている。


 この四足のばけものの動作は早く、バネを利かせるように繰り出される。俺はこれを咄嗟に避けるが完全に避けることは叶わない。爪が俺の服越しに肌を裂く。服が破け、血が滴って来る。そして、肌が赤くただれて腫れている。




 何発くらっただろうか。ナイフでいなしながら距離を取る。




「青葉くん!」


 みやこが叫んでいる。俺は聞こえてくる声をうしろに、息をあげてぜえーぜえーと呼吸していた。何だ。身体が重く感じる。意識がだんだんと遠ざかっていくのを感じる。




 視界が狭くなっていく。そしてその視界の先に四足のばけものの爪が迫って来ることが分かる。ああーこれで俺は……




 目の前で、鮮血が弾け飛ぶ。そして、両手を広げて俺を庇う男の背中が見える。赤茶色の短い髪の男。ばけものの攻撃によって、その男とともに、後方に吹き飛ぶ。そして、受け止めた男の背中からじわりと血が滴る。そして、自分の手を俺はまじまじと見る。




「治憲…………なんで?」




「何で…………だろ……うな?……俺……お前ら……みてえに……役たてるわけじゃ……ごほお! ……ねーからよ……怪我ね……か……ダチコウ……」


 治憲がこちらに笑顔を向ける。だが限界が近い。彼の傷口は背中まで達しており、息を荒げようやく声を絞り上げる。そして、そのまま力が抜けたように全身を俺に預けてくる。




「は、治憲……やっと自分に向き直れたんだ。やっと友達が出来たと勝手に思ってた。それなのに、死なせるか! 死なせるものか! もう俺は間違わない!」 


 視界がクリアになっていく。不思議とさっきまでの自分の痛みが嘘のようだ。自分が何をすべきか。理解できる。俺は、治憲の傷口に手を当てる。するっと、光が溢れだす。そして、ゆっくりと治憲を包み込む。


治憲の傷が癒えていく。




『ま、待ってください。生きている人間が魂を使って人の傷を癒したらあなたの魂が無くなってしまいます。それにそんな大怪我を治すなんて不可能なはず……』


 はなが慌ててこちらを向いて叫んでくる。先ほどまで沈んでいた顔が嘘のようにこちらを懸命に心配してくれているようだ。




「構わない。治憲は俺を守ってくれた……エル、俺の気持ちが分かるのかい」


 見上げると、空に羽ばたき空中で停止しながらこちらを見るエルと目が合う。黒い粒子が舞う。そして、俺の感情に呼応するようにエルの瞳が赤く燃え上がりうなるように瞳の周りでバチバチと雷が弾けるように光輝く。




『ぱぱ……テキ……タオス』




「うん。どうすればいい。どうすればあいつを倒せる?」


 俺は怒りの感情とともに、それを押さえることに努めていた。京の宮先生の『次はありません』と言いたげな顔が脳裏に浮かんでくる。ここで、エルを俺の怒りのままに放置すれば、みんなに危険が及ぶ。




『エル……【ツルギ】……二ナル』




「剣?」




『ミテテ……パパ』


 周りの黒い粒子がナイフに、そしてエルも黒い粒子状になり、全てが一点に集中する。そして、ナイフの丈が伸び刀状にまとまる。先ほどまでのナイフとは異なり黒い粒子の濃度が違うのか。少し紫がかった黒い刀身が漆黒の刀身に変化する。




 俺は接近するばけものの爪に刀でいなそうと刀で受け止める。すると、刀は抵抗を感じることなくそのまま、手に傷を与える。


『ぎいぎ……これが……痛み!』


 四足のばけものがのけぞる。そこに俺は一閃を浴びせる。すると、四足のばけものが包丁で豆腐を切ったかのようにその身体が真っ二つになっている。






『いや、いやあああ! 殺さないで!』


 はなが叫ぶ。そして、相馬ははなの目をふさぐ。




『そんな、彼らは悪くない。ただ生きたいだけなんです。相馬さん、私達のように救いの手を彼らにも』




「駄目だよ。はなちゃん。君の気持ちは大事にしたいけど……ここで僕らが死ねば君たちの願いを叶えられなくなる。……肉体を失っても……【彼ら】はまだ消えないんだよね……青葉くん。はなちゃん達の手で彼らとは戦えない。お願いするよ」


 そのまま相馬ははなの口をふさぐ。相馬の目は悲しい目だった。はなは、右手で目を押さえられ、左手で口を押えられている。もごもごと何かを訴えている。


(彼らは、一度死にました。それでも、もう一度、生きる機会を得ることが出来ました。どんな状態の彼らでもまた死んでしまう悲しみを与えたくありません)




(僕もできることなら、命を奪うなんてことしたくない。それも他人任せに自分の手も汚すこともないなんて。僕はきっと卑怯だ。でも青葉くんそれでもお願いするよ)




 はなは気づいている。本当は自分が間違っていることを、この優しい相馬がどんな思いで目の前の人間に頼んでいるのかを。




 はなの涙が相馬の指に垂れる。ゆっくりと相馬は手を離す。相馬は悟る。はなが覚悟を決めたことを。


『せめて……苦しませないで……』




 巨人に噛みついていた四足のばけものが片方の腕で引きはがされる。そして、ゆっくりと優しく地面に降ろされる。




 四足のばけものが俺にに向けてとびかかって来る。そして、俺はその二匹を刀で薙ぎ払う。目の前には、腹部から両断された四足のばけものが横たわっている。一太刀で命を刈り取る。




 すると、三匹の四足のばけものの残骸から黒い影が、中央に集まる。そして、突如として、空間が歪むような錯覚と、空気がゆらゆらと蠢うごめき始める。


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