第10話 受け入れる者

ストレイは咆哮する。怒りに任せて、自らの出せる力を余すことなく宿主に見せつけていた。白い部屋の壁を突き破った彼の翼はその勢いで、部屋の天井をも破壊する。




『ぱ……ぱ……ミテ……ボク……スゴイ』


 ストレイは、驚いていた。いままでにこんなにも強い思いを感じたことはなかった。だが、同時にストレイは直感する彼こそが自分の寂しさをいやしてくれる存在だと――自分がここにいていい存在だと。




『ぱ……パ……?』


 ストレイは興奮覚めぬまま、暴風を巻き起こして自らの身体から湧き出る力に夢中になっていた。無邪気に与えられたおもちゃで遊ぶ子どものように、しかし、ストレイの目が血反吐を吐いて、壁にもたれかかる僕に向けられる。


 ストレイは、驚いていた。そして、同時に僕の目の前に立つ京の宮先生に敵意を向ける。




『オ……マエ……カ!ヨクモ……パパを』




「ガあー! ガアー!ガあー!」


 ストレイは、京の宮先生に向けて、咆哮する。空気が振動するとともに、京の宮先生の前で、空気が幾重にも半透明の輪っか状の波紋を描きながら収束する。




「なにっ!」


 僕は、京の宮先生に、掴み上げられ、先生は僕を抱えて、即座に横に飛ぶ。




<バチュン>というけたたましい音が響く。僕たちがいた場所には、大きな穴が開いていた。




「超音波、ですか? あなたの『ぱぱ』なる者を殺す気ですか!」




『ぱぱ…………ハ……ナ……セ』




「放すも何も、あなたの攻撃をそのまま避けていたら青葉は木っ端みじんに吹き飛んでいましたよ」




『ウ……ソダ……』




「信じられないなら、彼を見てみなさい。あなたを怖れていることがすぐに分かるはずですよ」


僕とストレイの目が合う。僕は恐怖のあまりすぐに目を背ける。




『ぱ……ぱ? ス……テ…ナ…イデ』


急速に、ストレイの体内から周りに黒い粒子が飛散して、すっと消滅していく。次第にストレイの体積は急速に縮小していく。初めに表れた赤子の姿になっていた。




「切れたか」


地べたに這いつくばりながら、男がつぶやく。




「何が、切れたのです? 礼二くん?」


先生が、オレンジ髪の男に尋ねる。




「切れたんだ。宿主との心のつながりが。そこの先生の教え子ちゃんとな」




「そうですか」


先生は、そう言うと、メスを右手に持ち大きく振りかぶる。僕は、先生の左腕に抱かれながら、にこっと満面の笑みを浮かべている先生を見た。




「ま、待ってください!」


咄嗟に、先生の着ていた白衣の襟を掴む。




「どうしました?」


 覗き込むように僕のことを見つめてきた。


(ほう、この子は)




 慌てて僕は先生に降ろすよう頼むと、先生の前に立って、ストレイを庇うように、手を横に広げて立つ。




「何のマネですか? この現状をごらんなさい。この部屋の壁も天井も床もそして、あなた方もすべてこのばけものの仕業なのですよ」




「先生や、山県、安達には申し訳ないですけど、こいつが俺の中に入って来て、気づきました。俺がこいつを守ると――」




「『俺』ですか。ですが、あなたは先ほど、怖れのあまりばけものを拒絶したんですよね」




「話は終わりです。ここで仕留めます――」


 先生はまた、メスを持った右手を大きく振りかぶり、そのまま勢いよく振りぬいた。風を切る鋭い音とともに、メスが輝きを放ち飛翔する。




「ころちゃん!」


 咄嗟に僕は後ろを振り向いていた。




「うがっ!」


 メスは赤ん坊の姿のストレイではなく、その後ろに立っていたオレンジ髪の男『礼二』の右腕に突き刺さる。礼二の右手には逆手に持った鄭炎のものだろうナイフが握られていた。




「ようやく、頑張って、立って、殺そうとしたのにあんまりじゃないですか先生」


 礼二がよろめきながら、何とか立っている。そして、限界を迎えたのかそのままうつ伏せに倒れ込む。




「先生などと、着易く呼ばないでいただきたい!」


 珍しく、先生が怒りを露わにしていた。先生の目は鋭く金色に輝き声音は冷たさを帯びているようだった。




 僕は、ストレイに向き直る。すると、ストレイはびくっと身体をこわばらせる。僕はコツンと軽くストレイを叩いた。




「もうするなよ」


そう言って、僕は優しくストレイの頭をなでる。




『ぱ……ぱ』




「受け入れるよ。お前を、お前の悲しみを」




『ぱぱ』


 ストレイが嬉しそうに僕の顔を見つめる。僕も優しく見つめ返す。そして、抱きしめる。すうーっと、ストレイが黒い粒子状に拡散し、僕の全身に収束する。暖かい満ち足りたように感じる。そして、すっと小鳥が僕の体から飛び出してくる。




『ボ……ク、コ……ロ……チャン?』




「いいや、君はころちゃんじゃない。ころちゃんは死んだんだ。君の名前は、そうだエルピス。エルはどうだ。」




『エル……エル……ボク……エル』


「ピー。ピー。ピー」


 ストレイと名付けられた怪物は、エルという名を得た。エルは嬉しいのか。部屋の周囲を飛び回る。今度は、暴風も何も起こらない。そして、僕の肩に嬉しそうにとまる。




「エル、もうころちゃんのまねをしなくても大丈夫だよ」


僕は肩に止まったエルに対して言う。




『ボク…………コノ……ママガ……イイ』




僕はその小さな小鳥を指に乗せ。「よろしくね」と頭をなでる。


エルは翼を広げ、分かったぞと言いたげな表情。


「いって!いてて」


急に、腹部に痛みを感じる。興奮していたからかメスの刺さって出血していた腹部が急に痛む。




「まったく我慢は禁物ですよ」


 先生がおもむろにポケットの中から、小さな箱を取り出す。あやしく黒光りしている。




「何です?それ?」




「ああー。間違いました。これは先生の秘密道具 終ついの章第56番の破壊兵器です」




「……………………」


しばらくの間沈黙が流れる。




「冗談ですよ。分かりませんか?はははは」


 先生が顎に手を添えて大笑いしている。そして、おもむろにまたポケットに手を突っ込むと包帯を取り出し乱暴に巻き付ける。心なしか痛みを感じた。


(先生、嬉しい半分怒っているんですよ。危ないじゃないですか)






「一見落着ですかね。みやこ、小町、しずく出ていらっしゃい」


 そう言って、拉げた(ひしゃげた)ドアの向こうに手招きする。そうすると、三人の女性が僕たちのいた部屋に入ってきた。




「相馬!」


 二つに結った黒い髪をなびかせて安達相馬のもとに駆け寄る。続けて、青い髪の少女しずくが、山県のもとに駆け寄る。


「だ、大丈夫ですか」




「ん、んう、しずくか。俺はどうして」




「分かりませんが気を失ってたみたいですよ」




「立てますか。ああ」


 肩を貸しますとしずくが、山県に付きそう。




「いや、大丈夫だ」




 僕はその光景を見て、なんだか安達や山県に負けた気がしてきた。遅れて、白みのあるグレーの髪を後に結ったハーフアップの女性、みやこが僕に駆け寄ってくる。青みがかったグレーの瞳が覗いてくる。




「これ? 大丈夫なの?」


身を強張らせながら、つんつんとエルの頬っぺたをつつく。エルは首をかしてげあくびをする。さっきまでの狂暴さが嘘のようだ。




「さてと、帰りますか。それにしても災難が続きますね」


京の宮先生が、相馬のもとに歩み寄ると、すっと抱きかかえる。


そして、ゆっくりと、部屋の外に向かって歩き始めた。




「んだ? これ?」


 真珠のような球が転がっていた。山県が、拾い上げる。ほらよっと言って僕に放り投げる。僕は慌ててその珠をキャッチする。僕が不思議そうに山県を見ていると。




「勘だ。そんな気がする。お前にやるぜ」


 僕は、よく分からなかったが「ありがとう」とポケットにしまった。




「京の宮先生、こちらに」




「あなた方は?」


先生に、部屋の外から、男が話しかけてきた。それに先生は問い返す。ぞろぞろと、部屋の出口に5、6人の男たちが立っていた。




「私についてきてください。脱出しましょう」




「信じられませんね。いきなり眠らせて、こんな場所に連れ込む連中のことなど」


京の宮先生が相手を見下すようにして、鼻で笑う。




「これだけの騒ぎが起こっていれば、やつがあの恵南が何をするか分かりません!」




「そうですねー」


(確かに、悩んでる暇はありませんね。他の子には申し訳ありませんが、この子達を守るだけで手一杯なのも事実。この子達だけでも確実に逃がしましょう。罠を張っているのなら、そのことごとくを私の力でねじ伏せましょう)




「分かりました。よろしくお願いします。信じることから始めよとか偉いひとが言ってましたしね」


長い沈黙ののち、京の宮先生はにこっと歯を見せて笑った。




「ありがとうございます。」






『パ……パ……ナ……ゼボク……エル』




「エルピス、ギリシャ語で【希望】って意味なんだ」




『ギ……リ……シャ?』




「ちょっと前、調べててね。愛の女神アフロディーテからアフロにしよーか迷ったんだけどね。それはちょっとね」




『ア……フォ……エル……?パパ……ナラ……ドッチデモ……イイ』




 僕たちは、男たちに従ってこの部屋をようやく出ることとなった。

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