第9話 愛、求む化身

「うおッ!」


 鄭炎ていえんに対して、右手で殴りかかる山県。




「無駄だ。俺にはこいつがいる。指一本ふれさせねえ。なあ?」


 ばけものにその拳は掴まれ、阻まれる。そのまま、続けて、山県は左の握り拳で、今度はばけものの右頬を殴りつける。




 ぱしっと乾いた音とともに、またもや、ばけものは山県の手拳を掴む。両手を掴まれた山県は、身動きをとることができない。




「放しやがれ!」


 山県は、慌てて腕を振るい、ばけものを振り払おうとする。しかし、びくとも動かない。




「へへ。動くんじゃねーぞ」


 鄭炎が、ポケットからナイフを取り出す。そして、山県の横に立つと腹部に向けて突き立てる。




 そのとき、すっと、ばけものは山県から手を離す。




「何やってんだ!」


 鄭炎がばけものに向かって、叫ぶ。




 その隙に、山県が鄭炎に再度殴りかかる。しかし、またもやばけものに制止させられ、鄭炎には届かない。山県に続けて僕も、鄭炎に向けてナイフを突き立てる。ばけものが僕と鄭炎の間にぬっと入って来て、僕のナイフを掴む。


 バキッという音とともに、ナイフの刃が砕けた。その後も、ばけものからはなにもしてこない。ピタッと僕の目の前で立ち止まっている。




「攻撃してこないのか」




「なぜ、防いでばかりいる! 早くこいつらを始末しろ!」


 鄭炎が慌てるように、ばけものを睨んでいた。依然として、ばけものは動かない。僕たちが攻撃しないかぎり、動かないようだ。




「青葉くん、あの京の宮先生からもらった薬だ!」


 僕は、安達の声を聞いて、咄嗟に京の宮先生から受け取った小瓶を鄭炎目掛けて投げつける。小瓶は放物線を描き、鄭炎の眼前まで迫ると、ばけものがスパッと手拳で切断する。


 慣性の法則に従って、瓶の中身は鄭炎目掛けて飛散する。そして、飛散した液体が鄭炎の目に触れる。




「ぎゃああああああ!」


 凄まじい悲鳴とともに、目を押さえ倒れ込む。




「殺せ、殺せえ! 殺せ」


 目を手で押さえながら、鄭炎がぶつぶつと呟く。もう既に余裕はないようだ。




「み、見ろばけものが!」


 山県がばけものを指さす。ばけものは、僕たちに背を向けて倒れ込む鄭炎の前に立っている。




「おい! なんだよ! 俺の言うことが聞けねーのかよ! んなら、てめーを殺すぞ!」


 鄭炎がうっすらと見える輪郭がぼやけるばけものに向かって、怒鳴りつける。ばけものは微動だにせず、すっと鄭炎の額に手を当てる。




「さびしそうだ」


 僕は、そう呟いていた。なぜだか、あのばけものがかわいそうに見えていた。その背中から視線を外すことができない。




「ん!、んうううー!」


 その瞬間、ばけものの輪郭がぼやけ、一気に黒い粒子状になって空を舞い、そのまま鄭炎を包み込んだ。鄭炎は、叫ぶこともできずただただ苦痛の呻き声を上げている。黒い粒子の中で、手足をばたつかせて悶えていることが分かる。


 黒い粒子は、まるで霧のようであった。そして、数秒の後、粒子が鄭炎から離れていく。


 そこには、白髪の生気を失った男がいた。白髪のその男は鄭炎だった。




「あ、あ、あ、あああ。あああ、ああ」


 鄭炎は、言葉にならない声を上げ唸っている。言葉など持たない野獣のようだった。




「な、なにがどうなって?」


 目の前の光景を僕は理解することができない。


 そのときだった。黒い粒子が僕に向かって飛来する。僕は、逃げようとするも、僕の胸の辺りにゆっくりと侵入してくる。不快感とともに、なぜだか、幸福感のような何かを感じる。ずっと前から、ぽっかり空いてしまったものを埋める充実感のようなものを感じる。僕は、黒い粒子を受け入れていた。




「まじか。今度はそいつを宿主にしたってわけか」


 四六四十も見ていたかのように、出口のドアに背中を預け、男が立っていた。男は杖をついて近づいてくる。男の容姿は、中くらいの背に、黒いシルクハットを被り、オレンジ色の髪をなびかせている。




「誰だ。てめーは!」




「ま、何でもいいけど。彼、大丈夫? 食い殺されちゃうかもよ。そいつみたいに」


 男は、鄭炎を指さして面白そうに告げ、帽子の柄を上げる仕草をする。




「どういうことだい」




「今のばけものは、『strayストレイ』と俺らの中で呼ばれている。偶然【実在】させることに成功したらしいぜ。ま、でももう【実在】のさせ方は分かったからそいつに用はないらしいぜ」


 そう言って、黒いマントをなびかせ悠遊と歩いてくる。




「何を訳の分からねーことを言ってやがる。」


 山県が男に向かって、突進していく。しかし、男はヒラっと山県の攻撃を避ける。




「まあ、落ち着けよ。説明してやってんだから……よ!」


 男は、手に持っていた杖で山県のみぞおちを突き刺す。




「ぐふっ……」


 山県はそのまま、後方に吹き飛び仰向けに倒れる。そのまま山県は気絶してしまった。




「ありゃ。やりすぎたか? まあ、いいか。うるせーのも黙ったもんな。話続けっけど、何でそいつが、爺さんみたいになってか分かっか?」


 男が僕に問いかけてくる。




「生気を吸ったのか?」




「惜しい。だが何で、てめーや、そいつがすぐに、こんなじーさんみてえにならねえ?おかしいだろ?」


 楽しそうに杖を回しながら、ステップしている。




「そいつは、感情を食うばけものなんだ。そして、特に宿主に愛されることを望んでる。そいつは宿主の喪失感を埋めることで愛してもらえると信じている。だが、どうやって喪失感を埋める? 簡単さ。心に寄生する。そして、てめえーの喪失感の源に擬態する!」




「じゃあ、あの女の人は? やつの……」




「そうさ、奴は事件を起こす前、リサという女性と幸せに暮らしていた。しかし、ある日、リサはいなくなった。そうして、やつは、片っ端からそのリサって女に似た女に次から次へと言い寄った。だが、結果は誰も相手をしてくれない。受け入れてくれないことに、やつは激昂し、そいつらを次から次へと無理矢理犯して、殺していった。だが、結局、やつの喪失感を埋めることはできなかった。」




「うっ!」


 胸が熱い焼け焦げてしまうような感覚を覚える。




「お! そろそろ おでましか? やつは宿主に寄生して、宿主の記憶の中を勝手にのぞく」




「くうううう! うわあああああああああああ!」


 僕は叫んでいた。体の前身の血液が沸騰するかのような熱を感じ、喉から火を噴くように黒い粒子が噴出する。


 一瞬、脳裏に情景が浮かんでくる。森の中だろうか、山が燃え、辺りが火に包まれていた。そんな中、赤子を胸に抱く女性。走り去っていく男性。女性に向けて燃え上がる木が倒れていく。




 脳裏にこだまする。


『パパ。置いていかないでママを助けて、なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで?なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで?なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで?なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? ママ、パパあ、僕をあ…………』




 黒い粒子が、一点に集まりぼやけた輪郭が浮かび上がる。そこには、わずか、二○センチほどの鳥が羽ばたいていた。




「ころちゃん……」


 僕は思わず手を差し伸べる。右腕にその鳥は止まる。鳥は全身が黄色く頭部には赤いチークとともにトサカを有していた。瞳は宝石のように輝き、深い赤い瞳を有しており、バチバチといういななきとともに雷撃を走らせていた。




『ぱ……パ……』


 鳥は、こちらをじっくりと見つめると首を横にして目をトロンしてと甘えてきた。




「なんだ、こいつ!? 訳が分からねー。てめえの喪失感はその動物だってのか。たく、どうしようもねーな」


 男はあきれた様子でこちらを見る。




 僕は、自分を押し殺すようになってから、オカメインコを飼い始めた。刺し餌から育てて非常に可愛がりこの子だけが僕の支えだった。だが、運命は残酷だった。もともと心臓に疾患を抱えていた『ころちゃん』はわずか数年という短い歳月でこの世を後にした。




 そして、鳥は目をより見開いたかと思うと、再び羽ばたく。その羽ばたきにより暴風が巻き起こる。その羽ばたきによって、その場に立っていた全員がよろめき、僕は、壁まで吹き飛ばされ、激突しその衝撃で吐血した。そして、安達と山県も壁まで吹き飛ばされる。壁が天井が、床がガタガタと音を立てて震えている。




「ガアー、ガアー、ガアー!」


 鳥に擬態したストレイが甲高く鳴く。あたりの空気が振動しているのが目で分かる。


 ストレイは、目の前の男に向けてさらに咆哮する。怒りを露わにしていることが分かる。空気の振動がより激しくなる。




「ごふぁ!」


 男が吐血して、血反吐が男の立つ白い床を濡らす。そして、男は胸を押さえながら膝をついてストレイを睨めつける。




「ゲホッッ! 何だ? このばけものは? ハア、ハア。 宿主も何も関係無しかよ。あり得ない。お前は宿主を守ることで、愛を感じる。ただそれだけのばけもののはずだ。敵の攻撃を防ぐことはあっても、外部に影響を与えることなんて不可能なはず」


 男はまた、血反吐を吐きながら、ぜえーぜえーと肩で息をする。




「そうか、鄭炎の生半可な想いじゃなく。てめーのその感情がそのものがばけものってことか?」




「ガアー!ガあああ!ガアー!」


ストレイの鳴き声が、羽ばたきが強くなる。




「ぐっ! 目が目がああああああ!」


 僕は驚いていた。男の目から血が流れ出ていた。だがなぜ、男の目がこんなことになっているのかわからない。






「リサ、リサ、リサ、リサああああああ!」


突然、鄭炎が発狂し、両腕をストレイに向ける。ストレイの眼光が、鄭炎を捉えていた。




「あたたかい。気持ちいいい。熱い、熱い、熱い熱い、ああああああ!」


 突如、鄭炎を取り巻く空気がふわっと揺れ動いたかと思うと、急激に発火して、鄭炎の体が燃え上がる。黒い粒子が待っていた。




 真っ白な部屋が真っ赤に染まる。黒い粒子が舞い、黒い粒子は四方から一点、ストレイに向けて収束していく。ストレイの体が膨張し、部屋の壁を突き破る。




 僕は、愛したはずのその存在を象った存在に恐怖を覚えていた。恐怖という感情があたりを支配していた。




 先生助けて、そう思ったときだった。




「うーん。なんなんです。このばけものは?」


 聞き覚えのある声が聞こえてきた。僕の目の前に、京の宮先生が立っていた。ストレイをその先生の肩越しに見つめる。




『パ……パ……ノ……テ……キ……? ……コロ……す』


 脳裏に響く声とともに、ストレイはゆっくりと旋回し、こちらに向きを変え京の宮先生を凝視していた。




「これは、『弱いもの』ではありませんね。本当の【バケモノ】のようですね」


 京の宮は、その鳥を見つめながら、後ずさる。猛烈な爆風をその体に受けていた。

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