第7話 啓示
1
「おかえりなさい。あなた」
僕の目の前には、白味の掛かったグレーの髪をなびかせる少女が立っている。彼女は僕に背を向けたまま、窓占める。
「みやこさん」
思わず、僕は彼女を抱きしめた。抱きしめると、異様なにおいが鼻腔を刺激する。
彼女が振り返る。
「う、!」
僕は息をのんでしまう。
「どうして、助けてくれなかったの?」
僕がみやこと言った女性の顔は、昨日見たばけもののそれだった。
「うわあああー!」
思わず、声をあげていた。そこは、ベット上だった。全身、汗で濡れていた。
『もう、耐えられなかったの?』
「え?」
何かが聞こえてくる。急いで周りを一望する。しかし、周囲には人の気配はない。頭がまだ寝ぼけている。気のせいかと一人思案する。
『もう、耐えられなかったのって聞いてんの。うーん。資格あるのかなあ?』
「は?」
僕は訳が分からなくなり、動揺する。
『まあ、何でもいいかあ。ワンチャンとしか思ってないし』
僕の動揺などをよそに、声の主は続ける。
「なんだ、なんなんだ?」
『そうだねえ。気まぐれで、も一つ見せてあげるよ』
「お前は、なんなんだ」
ようやく、僕は声の主に問いかける。問は返って来ることはなく、異様な頭痛とともに、視界が混濁し、そのまま意識を失ってしまう。
「んん。」
僕は、その場で起き上がろうとする。しかし、ガチンという金属音とともに、その動きは制止させられる。
「よう、起きたか。仙台」
目の前には、山県がいた。山県は、手錠をはめられ、手を後ろの壁につながれていた。どうやら、僕も、手錠を掛けられ、山県同様に壁につながれているようだった。
「閉じ込められてしまったようだね」
横に視線を移すと、安達が僕らと同様に身体を拘束されていた。
四方が壁に阻まれ、壁は真っ白。窓はなく、扉がひとつ、それ以外には何もない部屋だった。
「しかし、こんなことになるたあー思わなかったぜ。くそ!」
山県が拘束された腕を力を込めて前に出す。金属音が鳴り響くなかその動きは停止される。
突如、また激しい痛みが僕を襲う。
視界が真っ黒に染まる。
「助けて、助けて」
子どもの声が聞こえてくる。
視界が鮮明になっていくとともに、激しい痛みが和らいでいる。
『まあ。こんなもんかな?』
「くう、いったい何なんだ!」
僕は、頭を押さえていた手をそのままに、閉じていた瞳をじっくりと開く。
そこには、やはり誰もいない。そして、そこには、山県の姿も、安達の姿も手錠も、四方が真っ白な壁もなかった。ただただ、そこには、ベットと汗まみれの僕の体があっただけだった。
『まあ、最後に【運命】って言葉があるよね。忘れないで、考えてみて、運命が僕らを導くよ。僕の名は……ムー…』
最後の方は聞こえなかった。それ以上、声は聞こえることはなかった。
トイレでも行こう。そう思って立ち上がり、明かりをつけたときだった。足に泥がついていることに気が付いた。時刻は夜の2時を過ぎていた。
昨日は、疲れのためかシャワーも浴びずに、床に臥せた。このときは、僕は足に泥がついていることを気にも留めていなかった。
「何だったんだ。夢?だったのか」
そう呟いて、僕は寝室を出た。
「兄さん、帰って来てたの。別にいいけど」
「鈴……」
寝室から出たところで、実の妹、鈴に声をかけられた。僕は視線を合わせることなく、風呂場
に向かって足を進める。
「無視すんなよ。馬鹿兄貴!」
後方から罵声を浴びせられる。
「無視はしてない。鈴、兄さんは疲れているんだ。放っておいてくれないか」
鈴と僕は、子どものころからずっと険悪な関係のままだった。鈴は、容姿端麗で学業優秀、運動もそつなくこなす。そんな彼女にとって、何をとっても一級品とはいかない僕は、唯一の汚点だったのだろう。
僕は、そんな鈴に今も引け目を感じていた。
しかし、鈴もエリートにはなれなかった。坂下町の外の高校に進学した鈴はそこで、強烈ないじめに遭って、逃げるように学校を中退してこの実家に戻っていた。僕と鈴の関係はずっと変わらなかった。
京の宮先生の説得のもと、今はなんとか地元の高校に通っていると母から電話で聞いていた。
目の前にいる彼女は、やせ細り、髪は肩まで伸びきり、ぼさぼさ。目の下には大きなクマができたいた。もはや、容姿端麗、そのような印象はいまの鈴からは見受けられない。
「早く寝ろよ」
「眠れないのよ!」
そんな鈴をよそに風呂に入る前に、リビングに向かう。
「あおば、おかえりなさい」
「母さん、ただいま」
リビングに入ると、母が出迎えてくれた。
「鈴とあったよ。」
「そう、あの子はかわいそうな子なのよ」
何も言ってないのに、母さんはそう呟く。声には力がない。
「まだ、部屋にばかりいるのか」
「そうね。あの事件が起きてから、あの娘は私にも心を開かなくなってしまったわ。青葉、私はどうすればいいのかしら、青葉、母さんのもとに戻って来て。私、あの子が怖いの。いつも声を変えるのだけれど、暴れるの。もう、可愛かったすずちゃんは帰って来ないのかしら。あの子は医者、女優にだってなれるのに……」
突然、母さんは泣き出してしまった。僕はこれが嫌だった。家族だから愚痴を聞く。家族だから助ける。こんな距離感が嫌だった。こんなの本当の信頼とはいえない、愛じゃない。
「ただ、利用してるだけじゃないか。母さんにとっての可愛い鈴は……」
そう言いかけたときだった。はっと僕は我にかえった。
「こんな話をするために帰ってきたわけじゃない」
そう言って僕は、静かにリビングを出てドアを閉めた。
母さんとの距離を取りたかった。だから実家を出たのだった。そう思い出したかのように思った。本当は、怖い思いをした気持ちを和らげたかったのかもしれない。母さんは、僕の話なんて聞いちゃくれない。いつも僕は、聞き役だった。
僕に鈴は救えない。僕にそんな力はないんだ。そう自分に言い聞かせる
2
「あおばくん!」
成人式に向かうため、スーツを身に纏い家を後にする。家を出て数歩歩いたときだった。後ろから、声をかけられた。
その声には聞き覚えがあった。振り返ると、そこには、黄色いネズミの着ぐるみが立っていた。
「どなた様でしょうか?」
僕は迷わず、そう黄色い物体に告げる。
「みやこだぞ! 忘れちゃった?」
そう言うと、着ぐるみの顔を取り、ひょっこりと顔を出す。
「みやこさん、何してるんですか?」
「え、成人式と言ったら、ピッキーの恰好をするとお父様が……」
ピッキーは、僕らが子供時代に流行ったモンスターを赤と白の玉に捕まえて、冒険するアニメのキャラクターだ。でんきタイプ。必殺技はでんきあんま、あいてはたたなくなる。
「京の宮先生の言うことなんて、真に受けちゃだめですよ」
「え、そんな!? え、『ぼく、ピッキーだよ。ぴーがあー』っていえば大うけするってお父様が言ってたぞ……」
顔面蒼白になるみやこ。汗がスーッと引いていくのが傍から見ていたも分かる。
彼女は『京の宮みやこ』京の宮先生の娘さんだ。彼女が10歳のときに、京の宮先生は彼女を連れてこの町に来た。
「え、これ違うの?」
「はい」
そんな僕の返答を聞くと、急に顔を真っ赤に染めるみやこ。忙しいひとだ。初め、夢のせいで一瞬みやこと会うことに気まずさを感じていた僕だったが、何やら和むように感じられる。
しかし、何で僕がみやこさんに抱き着いて、みやこさんの顔がばけものになっていたのだろうと思考していると。
「まあ、お父様のいうことに疑問を感じなかったわけじゃないんだぞ」
そう言うと、みやこは、ピッキーのぬいぐるみを脱ぐ。そこには、振袖姿のみやこの姿があった。赤を基調としていて、いたるところに花々があしらわれている。
「だから、お父様が、やけにニヤニヤとしてたのね。はあー。これを着ていてよかったぞ。」
みやこは肩を落として息を吐き出し、深呼吸をしていた。
「みやこさんは、お変わりないようですね」
「うん。青葉くんは、変わったのかな? 身長伸びた?」
「180くらいです。変わりません」
「でっかんちょ! でも、スーツ似合ってるぞ」
ばしばしと、みやこが僕の背中を叩いてくる。
「あのさ、この着ぐるみなんだけどさ」
うつむきながら、みやこが口を開く。
「はい」
「……青葉くんの家に置かせてもらってもいいかなあ。ははは」
一瞬の沈黙のあと、右上を向きながら気恥ずかしそうにするみやこ。昔から、恥ずかしいときは、右上を向くくせがある。みやことは、10年来の付き合いだったがあまり会話をしたことはなかった。4年前に京の宮先生が僕の父の執刀医となってから、こうやって、よく、みやこと会話をする関係になっていた。
「ええ。いいですよ」
にこやに、僕は彼女に笑顔を向けた。
「それ、反則じゃないかな」
まじまじと、僕の方を見つめてきた。
「え、何がです?」
「あおばくんってさ。あんまり自分のこと分かってないよね?」
「え、何がです?」
僕は、同じように聞き返していた。だが今度は真面目に気になっていた。僕は自分のことをよく分かってない。だってそうじゃないか。評価は自分でしたって分からない。灯台は自分の足元を照らせない。
「あおばくんって、女の子と付き合ったことなかったよね。東京ではどうなの?」
「いえ、生まれてこの方一度も……」
うつむいて、みやこから視線を逸らす。そして、時計に目を向ける。
「みやこさん。式、始まってます」
「え!? 急がなきゃ。あおばくん、はやく!」
そう言って僕らは、走り出した。
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