第3話 遭遇
1
バスが大木に衝突して大破し、バスから煙が上がる。
「ん、あれ? なにこれ?」
「気がついたか?」
よっと、小町を抱きかかえていた山県は、小町をゆっくりと地面に降ろした。
「え、なに? なに?」
小町の眼前には、大破して煙を上げるバス、血まみれの山県。事態を理解できずにあたふたと周りを見ている。僕と小町の目が合う。
「大丈夫?」
僕は尋ねる。
「何が、あったの? 着いたの?」
「気が付いたら、バスがこんなになってて」
僕は、そう答えながら、山県の方に視線を移す。
「すまん。みんな。事故っちまった」
「起きてしまったことはしょうがないです。ただ、安達くんが目を覚まさないんです。早く病院にいかないと! それに山県くんも大怪我ですし」
(私が、しっかりしないと)
「相馬!」
小町が立ち上がると、血相を変えて安達を背負う僕のもとに駆け寄る。
小町の服には多数の血痕がついていた。だが、彼女の様子からは大したことはないようだ。
おそらく、これは山県のものだろう。事故が起きたとき、咄嗟に小町に庇ったのだろう。山県の身体能力ならそれが可能なはずだ。
「悪い。俺のせいだ! 調子に乗って運転しちまった」
「違う! 私のせいよ!」
「いや、俺がわりいーんだ」
山県は、がくんとその場に座り込むとその場で土を掴んでそう嘆く。山県はそれ以上答えようとはしない。
僕は、自然と山県や小町を背に坂下町まで、歩き出した。
「ちょっと、待ってよ」
小町が追いかけてきた。
「このまま、放っておけば、良いことはない。すぐに皆で恵南≪けいなん≫病院に行こう。この場所なら、救急車を呼ぶより早い」
坂下町はど田舎である。隣町に行くまで、二、三時間はかかってしまう。しかし、ど田舎であるものの、この町からでなくてよいように、広大な土地と施設が用意されていた。
広大な土地に対して、人口は恐ろしく少ない。そのため、病院には最低限の設備人員しか割けておらず、この時間では救急車が即座に来るとは限らない。ほとんどの場合、町民は緊急事態の場合には自車で病院まで患者を連れて行っていた。
「こいつがこうなったのは、俺のせいだ。だから、せめて俺に相馬を運ばせてくれ」
「何をいってるんです。あなたは!」
しずくの声は怒気を含んでいた。
「本当は、歩くのもやっとじゃないですか? とりあえず、応急処置です」
そう言うと、カバンの中からハンカチを取りだして、そのハンカチを山県の負傷している左腕の付け根付近でギュッと縛り付けた。
「これで、血は止まるはずです。木くずやガラスは下手に取るとかえって血が流血してしまい危険です。病院に着くまで、触らないようにしてください」
「悪い、迷惑かける。俺が一番ガタイがいいから、相馬を俺がおぶるべきなんだが、白状すると、全身がしびれちまって歩くのがやっとだ。」
先行する僕の後ろから、山県がかぼそい声で伝えてきた。
僕は、病院に向けて歩き出す。何も出来ないなんて、後味が悪いじゃないか。
2
寒々としたその空間は確かに僕らの眼前に広がっていた。そこは、まるで現実ではないかのように、僕の心を弄んだ。
しかし、現実とその感触は、異なっている気がした。不思議なことに、そこは僕らのよく知っている場所だった。そう、そこは誰にだって一つはある、故郷。
僕は、坂下町に入ると、何か異様な気配を感じた。理論で、説明できない。だが、感覚が僕に告げる。具体的には答えられない。胸の中がもやっとするのだ。
街路樹もほとんどなく、薄暗いが空は紫色に変わっている。完全な夜が訪れつつあるのだろう。
僕らが、病院に向けて歩いていると、街路灯の下に二つの人影が見えた。
その明かりの下へ、近づいていくと二つの人影が女性と男性であることがわかった。
「や、やめてくれー」
男性が街路灯を背に女性から逃げるように後ずさり、女性がじわじわと近づいていく。そして、女性が大きく右手を振りかぶる。その手には、包丁が握られていた。包丁には血が付着していたことが視認できた。
「や、ひっ……」
男性の声にもならない悲鳴とともに、<どぱっ>といういままでに聞いたことがない破裂音が静かに響いた。
男性の居た場所には、頭部だけ欠損した人体があった。それは、ずるっと、街路灯の足場に崩れ落ち辺りが彼の血で真っ赤に染まっていく。街路灯もまた粉砕された男性の頭部の破片が付着していた。
殺人鬼は女性らしかった。らしいというのは、髪が肩まで伸び、スカートを履いていたからだ。外観は、女。だけど、顔は、人外としか思えない。女の顔は爛れ、腐り溶けて、触れれば、びちゃびちゃと音を立てるようであった。
不思議にも、女の手には包丁が握られているだけだった。人をこのような無惨な姿にするには、頭蓋骨を割り、爆散させる程の衝撃が必要なはずである。しかし、女の手には、包丁を握られているだけだったのだ。
女の顔は爛れ、半分が腐り溶けて、自然と崩れ落ちそうであった。
「なんだよ、あれ!」
山県が目の前の光景に信じられないばかりに呟く。
僕は、夢中になって目の前の怪異から逃げるため、右の道に向けて走り出した。
なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、聞いてないぞ。ゆ、夢なのか?
逃げた僕は、彼らを置いて、僕に出来ることなんてない。僕はヒーローじゃない。誰かが問題を解決してくれるのを待つしか出来ない。そう、言い訳を続ける。何度も、何度も心の中で。
「おい、ちょ、待てよ!」
山県が、慌てて僕を追いかけてくる。しずくがそれに続いて来る。
「え? え?」
小町はがくがくと震え、その場に座り込んでしまう。
女はゆっくりと包丁を手にじりじりと小町に近づいてゆく。だが女の足は異常に遅かった。
「こまちゃん! 私の手を握って!」
後ろから、盛岡しずくさんの声が聞こえてくる。
そして、後ろを決死の思いで振り返る。
すると、しずくは、小町が座り込んでしまったことに気が付くと、小町のもとまで駆け戻り、小町に手を差し伸べている。
小町がしずくの手を取ると、しずくは、小町を引っ張るように駆けだした。ふと、しずくが接近する女へ視線を移す。しずくのすぐ近くまで接近していた。
(顔がない……? あれ、あれって、お姉ちゃんのカメオのブローチ?)
しずくの動きが止まる。
「何やってんだ。いくぞ」
小町を見た山県が、しずくの後を追って戻って来ていた。山県は、しずくの手を握り駆けだした。
(あれは、あのブローチは、私が海外旅行に行った時のお見上げで、この町でカメオのネックレスをしている女性はお姉ちゃんしかいないはず、でも、なんでお姉ちゃんが? いや、あんな化け物、お姉ちゃんのわけがない)
しずくは、何か思案しながら、小町の手を握りしめた腕ごと、山県に引っ張られながらも懸命に走ってくる。
「おい、青葉! 死にたいのか! 早く来い!」
山県に声をかけられ、我に返る。僕は、安達を背負いながら懸命に病院へ走った。僕は走っていた。わき目も振らずに。
3
息を切らしながら、僕は病院の玄関口に立っていた。
「はあ、はあ、なんとか撒けたのか?」
僕の後ろを走っていた山県が息を切らしながら言う。
「そう、みたいね?」
小町が後ろを振り返るながら、言う。その声は震えているようだ。
「もう、体が動かねえ」
そう言って、山県が大の字になって仰向けになる。山県はバスの事故から、肉体を酷使しており、本来なら走ることもままならないはずだが、危機回避のため、肉体が本能的に動いていたようだ。
「ん、君たち、どうしたの? きゃー! ひどい怪我ね。あら! しずくちゃん! とにかく来て。」
病院の入り口のドアが開くと、一人の女性が声をかけてきた。
「南原さん、大変なんです! 私、男性のスタッフさんを呼んできます!」
しずくは、南原という女性にそう言うと、病院の中に入っていったと思うと、タンカーを持った数名の男性を引き連れて戻ってきた。
「よろしくお願いします!」
しずくのその声に従って、男たちは、山県と安達をタンカーに乗せ病院に運び入れる。
僕らは、それについて病院の中に入る。
「これは、これは。大変ですね~」
病院の中に入ると、細身の白衣を着た男性が間の抜けた声で話かけてきた。
「京の宮先生! 相馬を! 治憲も! 私のせいで! 助けてください!」
小町は京の宮に駆け寄ると、彼の白衣を握りしめる。
「落ち着いてください。小町、それと、治憲は止血はしているようですね。しずくさん、治憲を奥の部屋に連れて行ってあげてください。まだ、研修医のあなたのお姉さんがいるはずです。」
「京の宮先生! どうされたんですか?」
奥の部屋から、長髪の女性が出てくるなり、何事か?といった表情で尋ねてくる。
「お、お姉ちゃん!?」
見知ったはずの姉の顔を見て驚きの表情を見せるしずく。
「どうしたの? しずく 私の顔に何かついていたかしら」
「いや、何でもないの。ちょっと安心して」
「怖い思いをしたのね。よしよし。怖くない怖くない。」
「あの、すんません。玲子≪れいこ≫さん、妹さんが可愛いのはわかるんすが、俺のこと忘れてません?」
「ああ、ごめんなさい。治憲くん。さあさあ、お姉さんが処置しますよ。治憲くんを診療室に運んでください」
「お姉ちゃん。真面目にやってください」
しずくが、ぷくーっと口を膨らませる。
「しずく、あなたもいらっしゃい。看護学生の腕を見せてもらおうかしら」
玲子は、不敵な笑顔で、ちょいちょいと手招きをするのであった。
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