第4話 逃走
1
相馬を乗せたタンカーが京の宮先生の診察室まで運び込まれると、診察台に相馬は移されていた。
「先生! 相馬は大丈夫なんですか!」
「うーん。外傷はないようですね。君たちの話を聞くに、事故のときの打ちどころが悪かったのでしょうか。心拍数、血圧ともに正常ですし、瞳孔の反射も認められます。生死に関わるような気絶ではないようですね」
「ええ、しかし、どのあたりで事故に遭ったかは分かりませんが、よく全員いきてましたねえ。それに、みなさんにお会いするために、今学校に向かおうかと思って病院を出ようと考えていたんですよ。幸運でした。」
「そう……ですね。」
僕は、静かにそう答えた。
「元気がありませんね。青葉くん。どうしましたか」
「いえ、僕はサイテーなことをしてしまいました」
「どうしたのです?」
京の宮先生は優しい声で聞きかえす。
「そうですねー。小町しばらく相馬くんを見ていてください。イタズラしちゃだめですよ。青葉くん。いらっしゃい。」
京の宮は、僕に向かって手招きをしていた。
「はい……」
いつもなら、元気よくそんなことするわけないじゃないと一刀両断する小町だったが、そんな気力はない。
(サイテーなのは、私よ。久しぶりにみんなに会えるから調子にのってった。)
「ごめんなさい。相馬……」
小町は、その場で座り込み大粒の涙を流していた。彼女の服や紙は、ほこりや土で汚れていた。
京の宮先生に連れられて、僕は診察室を出た。
「さて、君の話を聞かせてくれるかな」
先行して京の宮は、廊下を歩く。
「僕は、サイテーなことをしました」
「何が、サイテーなんだい」
にこやかな笑顔を向けてくる京の宮。まったく責める様子などない。
「人を見捨てて逃げ出しました。」
「何から?」
「ばけものです……」
「ばけもの……。それはこういうものかい?」
京の宮は白衣のポケットからくまのぬいぐるみを出して、ひひーんと鳴きまねをした。
「ん……?ガオーだったっけ。先生、あんましクマの鳴き声聞いたことないんだよね」
「ふふふ、」と僕は笑ってしまっていた。
「笑顔が大事だよ。青葉くん。」
そういって、京の宮は僕の背中をびしびしと平手で叩いて来た。緊張が一気に解けるように感じた。
「ばけもの? という物はよく分からないが、君はしっかり、相馬くんをこの病院に背負ってきたじゃないか? そうできることじゃないよ」
「でも……」
僕はうつむいてしまう。
京の宮先生はまっすぐ僕の目を見つめ、強い力で僕の肩を両手で掴んできた。
「お父さんのこと、申し訳なかったね。私の腕が良ければもっと長く生きていたかもしれない」
「いえ、先生は悪くありません」
「君は、本当は誰よりも正義感が強い。だけど、自分の責任を大きく感じるばかり、周りの期待に応えられない自分に嫌気がさして、殻にこもって逃げてしまう。誰も君を責めはしないよ 君は僕を責めない。本当は分かっているはずだ。」
「君のお父さんもきっとそんなことのぞんじゃいない。明るく誠実な昔の君に戻ってほしいと思っているはずだよ」
京の宮先生は、分かっていた僕の過去を、僕の心を見透かしていた。
「放っておいてください」
僕は駆けだしていた。
逃げたかった先生から、昔のことは思い出したくない。あのなんでも知っているかのような先生の目が、優しくしてくれる先生が怖かった。胸がいたかった。張り裂けてしまいそうだった。視界が揺らめいて、うっすらとぼやけてくる。泣きそうだった。
京の宮先生はいつも、僕に優しかった。いや生徒全員に優しかった。
「青年よ、大志を抱けっか。小町も一人にしておきたいし、あっちの様子でも見に行きますかね」
当然、僕には聞こえない。
2
カチッという音とともに、しずくは姉、玲子から手渡された医療用のピンセットを銀色の楕円形の底の浅い器に置く。その横には、血の付いたガラス片や木くずが置かれている。
「頑張ったわねー。痛かったでしょ。ま、麻酔するまでもなかったわね。取るだけだもんね」
「どうだい。次期院長」
京の宮が、ぬっと顔を出して玲子の診療室のに入って来る。
「やめてください。先生」
「でも、そうだろう。僕は教師一本でいくつもりだ」
「先生は、この町に教員として赴任されたんですよね」
しずくが、そう尋ねる。
「ああ、娘と一緒にこの自然豊かな町で、生活しようと思ったんだけどね。恵南先生にお願いされちゃって、まあ、診療は休みの日だけにしてもらってるから、授業には影響がなくていいんですけどね。とほほ」
京の宮がガックシとばかりに頭を押さえる。
「でも、先生はすごいですよね。医師免許と教員免許を持っていらっしゃって、それ以外にもいろいろ資格を持っておられるんですよね」
玲子がそう言うと、京の宮はそんなことはないと首を横にふる。
「まあ、なんだ。芸は身を助ってね。そういえば、看護学生はしっかりできていたかなあ?」
「はい。前から先生に教わっていたからか、この子は抜群にできます。姉妹だからでしょうか。とっても相性がいいです。早く病院に来てほしいくらいです」
「うん。手先は器用みたいだからね。医者になればいいのに」
「いえ、私は看護師に……そう決めてるんです!」
そう言って、しずくは、うつむいてしまう。つられるように玲子の表情も暗い。
「先生、俺のこと心配してくれないんすか?」
診察台に横になったまま、山県が落ち込む。
「ああ、忘れていないよ。完璧な処置がされたみたいで安心していたんだよ。悪かったね治憲くん」
「あいつは、相馬はどうなりました?」
「大丈夫だよ。安心しなさい。すぐにベットを容易しようご家族には私から伝えておく。今日はゆっくりやすみなさい。玲子くん後は、よろしくね。」
「はい」
「京の宮先生は、私たちがばけものに襲われたと言ったら信じますか?」
立ち去ろうとする京の宮にしずくが問いかける。
「そういえば、青葉くんもそんなことを言っていたね。事故のことで、興奮しているというのは?」
京の宮は、振り返ることなくそう、しずくに返答する。
「私は見ました。男性が殺されるところを、そして、顔がなかったことを……」
「そうですか。しずくさんが言うのですから信じましょう」
京の宮は、山県のいた診察室を去っていった。
(うーん。青年が心配だ。ばけものはさておき、この時間に外を出歩くのは危険だ)
京の宮は、病院の出入り口に足を向けた。
3
京の宮から逃げるように、僕は外に出ていた。月明りとともに街路灯の明かりが、あたりを照らしている。病院から出て、三○○メートルほど離れたところまで来ていた。
「父さん。おれ、変われないよ。ごめん。」
息をきらしながら、誰に言うでもない。そう呟いていた。
そのとき、<ずる、ずる>何かを引きずるような音が聞こえてきた。
僕は、街路灯の明かりを頼りに前方を見る。
「お、追ってきていたってのか」
僕は自分の目を疑った。そこには、あの化け物がいたのだった。
僕は知らず、知らずのうちにあのばけものから逃げた道を引き返していたのだった。
化け物と目が合う。化け物の顔は溶けていたが、どこに口があって、目が合ったのかくらいは分かる。口角があがり、ニターっと笑っているように見えた。
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