007. Cの取引をした件

 ――ジェネリオ商会長アルノルト視点――


 私は目の前の3歳児が革袋から取り出したダイヤモンドの輝きに目を奪われていた


「これは・・・」


 一目見ただけで分かった。このダイヤモンドのカットをしたのはかなりの熟練宝石職人だ。王国随一の腕をもつ宝石職人が生涯で1つ作れるかどうかの最高傑作。その域に達している作品。


 それが8つも目の前に存在する。


「国王の剣」として名高い侯爵家だとしてもこんなに数を持っているのは異常なことだろう。


 落ち着け。まずはこのダイヤモンドを作成した宝石職人が誰なのかを聞くべきだ。細工ギルドの目があるから職人を完全に囲い込むことは不可能だろうが、ある程度融通してもらうことはできるだろう。


「トール様、恐れながらこちらのダイヤモンドを加工した宝石職人はどちらの方なのでしょうか。」


 トール様はしばらく無言で何かを考えたのち、口を開いた


「これほどまでのカットができる職人ですから簡単に情報を渡すことはできません。ただ、少量にはなりますが定期的にアルノルトさんにおろすことはできます。

 そうですね、月に一度のお母様のお楽しみの日に引き取ってもらうことにしましょうか。」


 ふむ。このお坊ちゃん、情報の重要性を理解しているか。やはりただの貴族の子供でなかったようだ。先ほどもギルドを設立すると突飛なことを言い出すかと思えば、商人ギルドと協力したいと言ってきた。さらには既存ギルドと対立しない運営方針を考えていると言う。


 トール様とは気を引き締めて交渉しなければなるまい。


 いずれにせよ細工ギルドの目があるため大規模な取引はできなかった。であるならばトール様を窓口として取引をする方が良い。最悪、細工ギルドに目を付けられたとしてもジェネリオ商会はただトール様と取引をしていたに過ぎない。トール様に責任を転嫁できる。


「なるほど、有能な職人の情報は貴重です。それに細工ギルドの目もあるため月に1度の取引で問題ないでしょう。宜しくお願いいたします。」


「こちらこそ宜しくお願いします。ところでダイヤモンドの取引価格なのですが、アルノルトさんはいくらつけることができますか?」


 そうきたか。


 慎重にいこう。


 "アルノルトさんはいくらつけることができますか"と聞いたのは、他の商会にも伝手つてがあり、低い金額を付けたならば他の商会に話を持っていくということだ。


 かと言って、高い金額を付けたならば自分の利益がなくなる。


 これほどのダイヤモンドだ。引く手数多あまたなのは間違いない。



 ・・・だからこそ、ジェネリオ商会で独占したい



 ジェネリオ商会で独占するためにも私は適切な取引価格をトール様に提示する必要がある。



「本物のダイヤモンドなのは承知しておりますが、ダイヤモンドの質や傷の有無など詳しく見て判断させて頂きます。近くで拝見しても宜しいでしょうか?」


 了承を得た私は、鞄から白い手袋と片眼鏡を取り出してダイヤモンドを詳しく見た。


 ダイヤモンドの質、カットの精巧さ、輝き、全てにおいて最高品質だ。もちろん傷は一つもない。


 ダイヤモンドの相場は店頭価格で1ケラットあたり50万〜100万テネットだ。しかしこのダイヤモンドは少なく見積もって400万テネットで売ることが可能だろう。ひょっとしたら500万テネットに引き上げても売れるかもしれない。


 400万テネットで売却するならば取引価格は120万テネットが一般的な相場だ。しかしトール様とのダイヤモンドの取引には特にコストがかからない。今まで通り月に1度のアレス侯爵家の訪問をすれば良いのだ。小さくて軽いため、運搬が大変ということもない。


 それにこのダイヤモンドの売り先としてはジェネリオ商会が日頃から訪問している他の貴族がある。アレス侯爵家以外にも月に1度の訪問をしている貴族はこの王都に数多くいる。今まで通りの訪問にダイヤを持参すれば良いだけだ。


 ならば、原価率は50%と高くなるが200万テネットを出しても良いな。1ケラット売却するだけで200万テネットの儲け、十分だろう。


「大変素晴らしい品でございました。ジェネリオ商会としては1ケラットあたり200万テネット出せます」


「もう一声!」



 ・・・は??



 このガキめ、自分が独占しているのを良いことに。かなり色を付けた値段だというのに納得しないのか。私には心のどこかで貴族の坊ちゃんだという慢心があった。商人相手だと思わなければ、こっちが食われる。


 だがこのダイヤモンドは絶対に独占したい。こっちの利益を減らしてでも買い占める必要がある。


「そうですね、今日は初回の取引と言うことなので、もう少し色を付けて1ケラットあたり210万テネットまでなら出しましょう」


「問題ないです。ありがとうございました。」



 ・・・くそ、やられた



 素晴らしいダイヤモンドを見て舞い上がっていた。反省だ。


 私は最後に取引内容の確認をする。


「では2ケラットのダイヤモンドが8つで、1ケラットあたり210万テネットですから3360万テネットで取引をさせて頂きたいと思います」


「ありがとうございました。お金はすぐに用意できますか?」


「手持ちでは全てを払うことができませんので本日は頭金として100万テネット大金貨10枚だけ置いて帰ります。残りは後日うちの従業員に持っていかせます。」


「分かりました」


「ではトール様、契約書にサインをお願いします」


 私は鞄から契約書を取り出して必要事項を記入し、トール様にペンを渡す。


 トール様はサインを書きながら話し始めた。


「アルノルトさん、このダイヤモンドはラウンドブリリアントカットと言って理論上最も美しい形になっています。実は私が考えたカット方法で、ギルドが発足したあと細工ギルドに設計図を売ろうと思っています。

 ここまで完璧なカットのダイヤモンドは中々出来ないとは思いますが、宝石職人が育っていくにつれて希少価値はどんどん下がっていきます。なるべく早く売却することをオススメします。」



 ・・・まじかよ



 ジェネリオ商会で独占出来ないじゃん。つまり120万テネットが妥当な取引価格を210万テネットまで吊り上げられたうえに商会で独占させないと。



 ・・・クソがぁぁあああ!!!



 おそらくこのガキは細工ギルドに設計図を売りつける時、ジェネリオ商会が210万テネットを付けたことを喋るだろう。そしてそれを出汁にして設計図の売却価格を吊り上げるつもりだ。


 そうなると今後ジェネリオ商会と細工ギルドとの交渉が面倒になる。ダイヤモンドを210万テネットで取引した実績があることがバレると強気に交渉される可能性がある。


 本来、加工したダイヤモンドの取引価格は1ケラットあたり15~35万テネットだ。それと比較すれば1ケラットで210万テネットの取引は異常だ。


 そもそも独占できると勘違いしたのは私だ。そしてカット方法は秘匿されるだろうと勘違いしたのも私だ。独占も秘匿もこの国の常識に照らすと当然すぎるものだ。それを前提として取引をしてしまった。



 ・・・私もまだまだ、だな



 しかし、この件を言いふらされるとジェネリオ商会の看板に傷がついてしまう。なんとかして釘を刺さなければいけない。


 私は両方のこめかみに血管を浮かび上がらせながら、満面の笑顔で口を開いた。


「トール様、この度は良い取引をして頂きありがとうございました。今後も儲け話がありましたら是非お声がけをお願いいたします。」


「アルノルトさん、こちらこそ有り難うございます。思ったよりも良い値段がついて嬉しかったです。」


「喜んで頂いて光栄でございます。ところで今回の取引価格なのですがかなり色を付けさせて頂きました。申し訳ないのですが、口外して頂きたくないのです。

 他の取引先にも迷惑をかけてしまうと大変です。もし取引価格を聞かれた場合120万テネットと言って頂きたいのです。

 それに取引先に迷惑をかけた原因がトール様となってしまいますと、商人ギルドとして協力することが出来なくなってしまいます。」


 嘘である。"他の取引先にも迷惑をかけてしまう"と言ったが、他の取引先から強気に交渉されて迷惑を被るのはジェネリオ商会だけだ。ジェネリオ商会がカモだと認識されることは非常にまずい。


 それに"迷惑をかけた原因はトール様"ではない。この場合、高額な取引をしてしまった私自身の責任になる。


 完全に自業自得なのだが幸い私は商人ギルドの役員であり、トール様は商人ギルドの協力が欲しいと言っていた。私はここに今回の取引の落とし所を持ってきた。見た目に惑わされるなとは商人の教えだが、まさか私が思い知ることになるとは。


 トール様はしばらく何か考えたのち、右の口角をニヤッと上げた


「そうですね。私はできることなら商人ギルドの協力が欲しいです。細工ギルドに設計図を譲る際には120万テネットで取引した、と伝えておきましょう。」


 やはり、細工ギルドに設計図を販売する際の実績作りだったか。見事にやられた。


「そうだ。アルノルトさんとは今回良い取引が出来たので1つ儲け話を。ギルドが発足してからにはなるのですが、"ものが腐りにくくなる箱"を開発しようと考えております。

 完成した後は商人ギルドにおろすつもりです。商人ギルドは貿易業を行っていますので、仕入れたものの保存は重要です。もし商品が腐るまでの日数が今の2倍以上になった場合、私は貿易業で革命が起こるのではないかと思っております。

 アルノルトさんには是非その橋渡しをして頂きたいのです。この箱で貿易に革命が起きた場合、アルノルトさんの商人ギルド内での発言力は強まることかと思います。何卒ご検討宜しくお願いします。」



 ・・・なんなんだよその意味不明なくらい画期的な商品は



 もし本当ならば商人キルド内での私の立場は強くなる。というか世界が変わる。悪くない話だ。それに私は今回の取引で煮湯を飲まされてばかり。せっかくトール様が儲け話を提示してくれているのだから乗っかるしかない。


 よく考えるとダイヤモンドの件もかなりの利益を生む取引だ。ダイヤモンド8つ売るだけで少なくとも1500万テネット以上は利益が出る。さっき取引価格を他言無用にしたので私は全く損をしない。



 ただ、交渉の場で敗北感を味わった、というだけだ



 私は自分の状況を振り返った。そこに怒りや悔しさなどの感情はなかった。トール様を1人の優秀な商人として認め、今後も長い付き合いをしていきたいという気持ちだけがそこにあった。



「是非、前向きに検討させて頂きます」



【トール所持金】

1560万テネット(ダイヤモンド +3360テネット)

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