第107話 悩みと日常と変化

 芳樹に決断しなければならないことがあり、悩み苦しんでいたとしても、日々の業務は次々とりかかってくる。

 それが仕事というもの。

 管理人の仕事は終わらない。


 ドスン、がっしゃーん!


「な、なんだ⁉」


 朝食中、共有リビングの上の階から、物凄い物音が聞こえてきた。

 誰かのタンスでも倒れたのかと思い、芳樹は住人の安全を確認するために二階へと上がる。

 階段を上り終えたところで、廊下の奥からタンクトップ姿の梢恵が姿を現した。


「芳樹―助けてぇー!」


 芳樹を見つけるなり、縋るように助けを求めてくる幼馴染。


「どうした? 何かあったのか?」

「段ボールぶちまけた」

「何やってるんだよ、朝から」

「違うの! 寝ぼけて段ボールの山にぶつかっちゃったら倒れちゃったのー!」

「片付けろって言ったのにやらないからいけないんだろ……」


 怠惰な幼馴染に、思わず呆れ交じりのため息を吐いてしまう。


「だってぇー」

「はいはい、言い訳はもういいから。梢恵はとっとと着替えて来い。今日も仕事あるんだから。後処理は俺がしといてやる」

「ありがとー!!! やっぱり芳樹は片付け屋だね」

「別に、やりたくてやってるわけじゃねぇよ。小美玉の管理人の仕事だからするだけだ。それに、お前の汚部屋おへやを他の住人に掃除させるのは気が引けるだけだっつーの」


 そう言って、芳樹は梢恵の頭頂部にチョップをかます。


「あいたっー!」


 頭を手で押さえて悶絶する幼馴染。


「ほら、朝食用意しておくから、着替えてきなさい」

「はーい……」


 肩をしゅんとさせて、よろよろと部屋に戻っていく。

 梢恵が部屋に戻ったのと入れ替わるようにして、手前の扉が開き、中から眠そうに目を擦りながら寝間着姿のかっしーが出てきた。


「なんか凄い物音したんすけど何事っすか?」

「おはようかっしー。ごめんね起こしちゃって」

「いや、別にいいんすけど……って、よっぴー⁉」


 寝ぼけていたせいで、会話していた相手が芳樹であることすら分かっていなかったらしい。

 かっしーは恥じらうようにドアを閉め、恥ずかしそうに顔だけを廊下へ出して、こちらを見つめてくる。


「どうしたの?」

「いやっ……そのっ……なんといいますか……ちょっと恥ずかしいというか……」

「えっ、どうして?」


 かっしーの言っている意味が分からず、首を傾げる芳樹。

 そんな芳樹を見て、かっしーはじとっとした目で睨みつけてくる。


「よっぴーはもう少し乙女の気持ちを察した方がいいっすよ」

「えぇ⁉ 急に何⁉」

「はぁ……もういいっす。着替えてリビング行くんで、朝食の準備よろしくでーす」


 呆れた様子でドアを閉め、部屋に戻ってしまうかっしー。


「……何だったんだろう?」


 乙女心というのは、よくわからないな。

 そんないつもと変わらぬ日常風景と芳樹への好意が入り混じった行動を起こす住人達。

 もちろん、行動の変化が垣間見えたのは梢恵やかっしーだけではなく……。


「芳樹、来月から主演の舞台あるんだけど、見に来てよ」

「えっ……いいの?」

「当たり前でしょ。というか、ファン一号として当たり前」


 駅に向かう途中、瑞穂ちゃんは主演舞台のチケットを芳樹へ渡してきた。

 まあ瑞穂ちゃんと芳樹は、ファン一号という関係性があるので、この辺りは不変の変化なのかもしれない。


「芳樹さん。ちょっと手伝ってもらえるかしら!」

「はい!」


 寮に戻り梢恵の部屋を片した後、霜乃さんに部屋へ呼び出された芳樹。


「なっ……」


 部屋に入ると、そこには真っ白な背中が露わになっている霜乃さんがいて――


「ファスナーが閉じられないの、手伝ってもらえるかしら?」


 と、相変わらず無防備にエロを醸し出してくる。

 ほんと、でやっているのか狙ってやっているのか、霜乃さんの行動は読めないから厄介だ。


「ど、どうですか?」

「ありがとう、助かったわ」


 ファスナーを上まで締めてあげると、霜乃さんはにっこりと微笑み感謝の意を示してくる。


「新しい新衣装なのだけれど、どうかしら?」


 くるりと芳樹の方へ振り返れば、霜乃さんが着ていたのはぴったりと肌に張り付くようなきつきつのワンピース衣装。

 霜乃さんの胸元から腰のくびれや健康的なお尻のラインがくっきりとしていて、芳樹はその魅惑的な光景に釘付けになってしまう。


「ちょっと、刺激が強い気がします……」

「あら、具体的にはどの辺りの刺激が強いのかしら?」


 からかうような笑みで尋ねてくる霜乃さん。

 芳樹はたじろぐものの……


「少なくとも、俺以外の男には見せて欲しくないです」

「そ、そう……」


 どうやら、芳樹は正解の選択肢を引き当てたらしい。

 霜乃さんは顔を赤く染め、嬉しそうに口元を緩ませていた。


 こんなふうにいろんなことがありつつも、住人を助けるのが管理人の役目。

 それに加えて、みんなから好意を持たれて信頼されている状態で面倒事を振られても、全く嫌な気分にならず、むしろ頼ってくれたことへの嬉しさを感じていた。

 こんな日々がずっと続けばいいのに。

 そう感じてしまい、現実逃避してしまいたくなる。

 けれど、現実を見据えて芳樹は前に進まなければならないのだ。

 下す決断に、悔いが無いように……。

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