第88話 朝のスキンシップと黒い影

 瑞穂ちゃんを見送った後、芳樹がいつものように寮内の掃除を行っていると、かっしーが起床してきた。


「おはよーよっぴー」

「おはようかっしー。昨日は寝れた?」

「羊を三百匹くらい数えたところで意識がなくなったっす」

「なら良かった」


 かっしーはまだ夢うつつな様子で、眠たい目を擦りながら、寝間着姿で一段一段ゆっくりと階段を降りてきていた。

 すると、突然すぅっと意識を失ったかのようにふらつき、階段の壁に身体をぶつけるかっしー。


「危ない!」


 芳樹は慌てて掃除機から手を離して、階段を駆け上がってかっしーの元へと近寄る。

 咄嗟に肩をがしっと掴んで、最悪の事態を事前に防ぐ。

 突然思い切り肩を掴まれたことに驚いたのか、かっしーは目をぱちくりさせながら芳樹を見つめる。


「あ、ありがとうっす……」


 俯きがちに頬を赤くして、感謝の意を述べるかっしー。


「大丈夫? 怪我とかしてない?」

「平気っすよ。階段を踏み外したわけじゃないっすから」


 そう言いながら、かっしーはあっけらかんとした様子で手を横に振る。


「ったく……気をつけてよ。こんな時期に怪我したら大変でしょ」

「へへっ、すいやせん」

「ホント、かっしーはしっかり者なんだから頼むよ。梢恵じゃあるまいし」

「梢恵っちって、こんな感じなんすか?」

「アイツの場合。階段を踏み外して階段から転げ落ちた挙句あげく、階段下で尻餅付いて『アイタタタッ』とか言ってケツを押さえてるよ」

「あははっ……なんか想像つくっすね」

「だろ? あいつのケツはそれでデカくなったまであるからな」

「それ、セクハラっすよよっぴー」

「確かに。今の発言は忘れてくれ」

「別にいいっすけどねー。二人が仲いいのは周知の事実なんで。まあでも、よっぴーが咄嗟に手を貸してくれたおかげで、うちは梢恵っちのようにお尻が大きくならずに済みました」


 そんな下らない話をしていると、かっしーが顔を芳樹の肩にさも当然のようにのせてきた。

 一段上にかっしーが立っているので、今はかっしーの方が芳樹よりも顔が上にある状態。

 かっしーはそれを利用して、芳樹に寄りかかってきたのである。


「あぁ……これ楽っすね」

「ちょっとかっしー、寄りかからないでよ」

「いいじゃないすか。朝のスキンシップのようなものっすよ」

「こんなスキンシップ、聞いたことないけどな」

「細かいことは気にしないっす。クンクン……あぁ、やっぱりよっぴーいい匂い。落ち着く……」

「朝から人の体臭をがない」

「えぇー……いいじゃないすか。少しくらい甘やかしてくれたって」


 そう言うことじゃなくて、女の子に自分の匂いを嗅がれるとか、普通に恥ずかしいからやめてほしいだけなんだけどね。


「ったくもう……」


 一向いっこうに離れようとしないかっしーに対して、芳樹はふぅっとため息を吐いてから、肩に置いていた手を背中に回してきしめる。


「えへへっ……なんかこれ、本当のカップルみたいっすね」

「これで満足した?」

「もう少し、このままにさせてもらっていいっすか?」

「ったく仕方ないなぁ……」


 そう言って、芳樹は渋々といった感じでぎゅっとかっしーの身体を抱き寄せて支えてあげる。


「あら、二人共。そんなところで何をしているのかしら?」


 その時、芳樹の後ろから、おっとりとしつつも冷気のある声が突き刺さる。


 慌ててかっしーを離して振り返れば、洗濯籠せんたくかごかかえた霜乃さんがにこりと微笑みながら、階段下から二人の様子を眺めていた。


「あぁ……えっとこれはですね……」


 どう説明しようか戸惑っていると、霜乃さんが階段へと足を伸ばして一段上がってくる。


「そこ、邪魔だから退いてもらえるかしら?」

「は、はい……」

「う、うぃっす」


 有無を言わせぬ威圧感に圧倒された二人は、階段の端へと移動して、霜乃さんの通る道を空けてあげる。

 霜乃さんはそのまま無言で洗濯籠を抱えたまま、階段をドスドスと音を立てながら上がって行った。


 霜乃さんが去っていった後、かっしーがおびえた様子で芳樹を見つめてくる。


「なんすかあれ!? 霜乃さんめっちゃ怖かったんすけど……」


 恐怖心からか、かっしーはふるふると肩を震わせている。


「あはは……」


 芳樹は苦笑いを浮かべることしか出来ない。

 けれど、霜乃さんがなぜ不機嫌だったのか、芳樹にはおおよその見当がついていた。

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