第89話 霜乃さんの心情と優しさ

 その日の午後、かっしーは再び企業に提出する履歴書とESエントリーシート書きに奮闘していた。


「よっぴーこんな感じで平気っすか?」


 かっしーの記入したESに芳樹は目を通す。


「うん。いい感じじゃないかな。あとは自分でもう一度誤字が無いか見直して、提出だね」

「かしこまり!」


 そう言って、もう一度気合を入れ直して、かっしーは机に向き直る。


「悪いかっしー。作業しててもらっていいかな? ちょっと事務作業が残ってるんだ」

「うぃっす」


 真剣な様子で自分の記入したESを見直しているかっしーをよそに、芳樹は共有リビングを後にする。


 階段を上り、芳樹が向かったのは霜乃さんの部屋の前。

 コンコンと扉をノックすると、『はーい』と霜乃さんの柔らかい声が室内から聞こえてきた。


「霜乃さん。芳樹です。今お時間ありますか?」

「えぇ、入っていいわよ」

「失礼します」


 ドアノブを回して、芳樹は霜乃さんの部屋へと入る。

 霜乃さんは広げていたローテーブルに置かれているノートPCで何やら作業をしていたようで、床に座りながら芳樹を見上げてきた。


「どうしたのかしら芳樹さん?」

「ちょっと二人でお話ししたいことがありまして。お時間よろしかったでしょうか?」

「分かったわ。少し座って待っていてくれるかしら。切りのいいところまで仕上げてしまうから」


 そう言って、霜乃さんはノートPCへと視線を移して作業に戻る。

 芳樹はそのままローテーブルの向かい側に腰を下ろした。

 カタカタと霜乃さんのタイピング音だけが部屋に鳴り響く。


「ブログの更新ですか?」

「えぇ、さっき丁度いいコスプレ衣装が届いたから」

「そうなんですね」

「今度、芳樹さんにも披露してあげるわね。すっごいわよ」

「それは、どういう意味でですか?」

「それはまあ、ご想像にお任せするわ♪」


 芳樹をからかうようにくすりと笑う霜乃さん。

 その様子を見て、少し心の中で安堵する芳樹。

 その後、十分ほど作業をしたところで、霜乃さんがパタリとノートPCを閉じた。


「ふぅ……」

「お疲れ様です」

「やっぱりなれない作業って疲れるものね。肩がっちゃうわ」


 そう言いながら、霜乃さんは肩を上下に動かしてり固まった身体からだをほぐす


「良ければ、マッサージしましょうか?」

「えっ……いいの?」

「はい。それくらいなら、管理人の仕事の範疇はんちゅうですから」

「ありがとう。なら、お言葉に甘えてお願いしちゃおうかしら」


 芳樹は立ち上がり、霜乃さんの後ろへと周ると、立膝たてひざになって体勢たいせいを整えた。


「それじゃあ、お願いね」

「はい、わかりました」


 芳樹はおもむろに、霜乃さんの両肩をつかむ。

 霜乃さんの肩は多少凝り固まっているようだ。

 けれど、華奢きゃしゃ身体からだつきのため、芳樹がぎゅっと力を入れれば、簡単にりをほぐすことが出来た。


「あぁー……そこ、良い感じだわ。もう少し強めにお願いしてもいいかしら」

「分かりました」


 適度な力加減で、芳樹は霜乃さんの肩をマッサージしていく。


「それでぇ? 話があるって言っていたけれど、何かしらぁ?」

「あぁ……えっと……」


 芳樹はマッサージを続けながら、霜乃さんに問いかけた。

 もしかしたら、勘違いかもしれないと思いながら。


「さっきかっしーと俺が階段でき合っていた時、霜乃さんが怒っていた様子だったので、もしかしたら……気分を害してしまったのかなと思いまして」

「……どうしてそう思うのかしら?」


 息を少々荒げながら、霜乃さんは尋ねてくる。


「いや、その……もしかして俺に対して嫉妬のようなものを抱いていたんじゃないかなって」


 自分で言っていて本当に自意識過剰だと思う。

 けれど、芳樹は霜乃さんの好意を知っている。

 だからこそ、他の住居人と芳樹が良からぬスキンシップを取っているのを目撃したら、嫌がるのではないかと芳樹は予想したのだ。

 すると、霜乃さんはふぅっと大きなため息を吐く。


「やっぱり、大人げないわよね。こんな年にもなって、芳樹さんと他の女の子がちょっと仲良くしているのを見ただけで、感情が抑えられなくなってしまうんだもの」

「そ、そんなことないですよ。俺が霜乃さんに明確な答えを提示していなかったのが悪いので」

「いいのよ。だって芳樹さんにとっては、恋愛よりも先に、管理人としての責務があるものね」


 霜乃さんは芳樹の価値観を理解してくれている。

 くれているからこそ、彼女にも迷惑を掛けてしまっているのが申し訳ない。


「本当にすいません」

「気にしないで頂戴。芳樹さんは何も悪くないのだから。それに、私の気持ちを汲み取った上で、加志子ちゃんの隙間時間を見計らってまで私の様子を見に来てくれて、マッサージまでしてもらったら、何も言えなくなっちゃうじゃない」


 本当に霜乃さんはズルい人だ。

 全部わかっているうえで、それを受け止めてくれる。

 それがうれしくて、芳樹は思わず思いきり手に力を込めてしまった。


「んんっ……!♡」


 すると、霜乃さんの身体がびくりと震えて、なまめかしい声が漏れてしまう。


「あっ……ごめんなさい」

「いえ……平気よ。続けて頂戴」


 そう言われて、芳樹はマッサージを再開する。



「んっ……んっ……んんっ……♡」


 すると、マッサージを再開してからというもの、芳樹が力を込めるたびに、霜乃さんの嬌声きょうせいな声が漏れ出る。

 なんだか、やましいことをしているみたいで、こちらまで変な気分になりそうだ。


「あの……霜乃さん。本当に大丈夫ですか?」

「えぇ……芳樹さんのマッサージが気持ちよすぎて、変な声が出ちゃうだけだから、気にしないで頂戴」

「もう少しボリュームを抑えることは出来ませんか?」

「んんっ、むりぃ~」


 肩甲骨あたりをぐりっと指圧すると、なまめかしい声を張り上げる霜乃さん。

 これ、わざとじゃないよな……?

 そんな扇情的な霜乃さんのほぐれてきた肩を、芳樹は悟りの境地でマッサージしていく。


「あぁっ……いいっ! そこっ……芳樹くーん!!!♡」

「絶対わざとやってますよね!?」

「そ、そんなことないわよ? ほらぁ、もっとして頂戴♡」


 とろけた表情で、服のすそをわざと下ろして、そのきめ細やかな肌を見せつけて身体をくねくねとさせて誘ってくる霜乃さん。

 えぇい。こうなったら、トロトロに蕩けさせるくらいマッサージしてやる。

 躍起やっきになった芳樹は、それから何度も霜乃さんに嬌声きょうせいな声を上げさせて、マッサージを続けるのであった。

 その途中、ESを書いていたはずのかっしーが慌てた様子で霜乃さんの部屋に飛び込んできたのは、言うまでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る