第87話 慰めと新たな相談

 その日の夜。

 皆が寝静まった薄暗い共同リビングにて、かっしーは椅子の上に器用きように体育座りをしてうずくまっていた。


「うぅ……絶対落ちたっす……。面接官全員に鼻で笑われたっす」

「かっしーはよく頑張ったよ。それを鼻で笑うなんて、失礼な面接官だよ」


 そう励ましながら、芳樹はかっしーの頭を後ろからポンポンと優しく撫でてなぐさめる。

 面接を終えて帰ってきた直後から、かっしーはずっとこんな感じで気落ちしていた。

 話を詳しく聞けば、面接で志望動機を話したところ、面接官に失笑されたとの事。

 それがかっしーにとっては相当なショックだったらしく、見ての通りの落ち込み具合になってしまったのだ。

 芳樹と練習してきた会話デッキに自信があったのだろう。

 それを鼻で笑われて一蹴いっしゅうされたら、そりゃメンタルにくるのも当たり前だ。


「でも、かえって良かったね。これでかっしーのことを鼻で笑うような奴らと仕事でかかわらなくて済むんだから」

「どうしてよっぴーは、そんなポジティブでいられるんすか!?」

「まあ、実際俺はその場にいなかったから、状況だけ説明されても分からないしね……」

「少しは共感してくれたっていいじゃないすか!」

「共感はしてるよ。かっしーが一生懸命努力して用意した志望動機を話しただけなのに、かっしーを何も知らない奴らにそれを鼻で笑われて。本当につらかったし落ち込んだよね」


 そう言って、芳樹はさらにかっしーの頭を一定のリズムで優しく撫でる。


「共感してるからこそ、客観的に見た時、そんな奴らと関わらなくて良かったなってほっとするんだよ。かっしーの魅力や価値観を鼻で笑うような奴らと一緒に仕事をしても、つらい思いするだけだからね」

「……よっぴぃぃぃ~!」


 かっしーは瞳を潤ませて、芳樹の方へ顔を向けてくる。


「だから、今日は切り替えるの難しいかもしれないけど、まずはゆっくりと寝て、明日からまた頑張ろう!」

「うん……そうするっす」


 すんと鼻を啜って、かっしーはコクリと頷いた。


「よしっ、それじゃ、寝る支度しておいで」

「うぃっす……」


 かっしーは椅子から立ち上がり、薄暗いリビングから出て、部屋がある二階へと階段を上っていく。


「おやすみかっしー」

「おやすみっすよっぴー……」


 明日にはかっしーが元気を取り戻していますように。

 そう願いながら、芳樹も管理人室へと戻っていった。



 ◇◇



 翌朝、いつものように学校へと向かう瑞穂ちゃんを送っている時のこと。

 ふと瑞穂ちゃんが尋ねてきた。


「ねぇ。最近随分と加志子の就職活動に肩入れしているみたいだけど、何かあったの?」

「あぁ……えっと……」


 かっしーが内定を貰った会社が、芳樹の前働いていたブラック企業だったことを説明した。


「なるほどねぇ……そんなことがあったの」

「まあね。それでまあ、内定を辞退させた手前。手伝ってあげないと可哀想だから」

「ふぅーん」


 瑞穂ちゃんはじとっとした視線を芳樹に向けてくる。

 ちなみに今日も、瑞穂ちゃんと芳樹は腕を組んでいるので、朝からいちゃつくラブラブカップルと周りから認識されていることだろう。


「ど、どうしたの?」

「べっつにー。何でもない」


 そう言って、ぷいっとそっぽを向いてしまう瑞穂ちゃん。

 どうやら、彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。

 理由が分からず、首を傾げる芳樹。

 ここは、何も言わない方が墓穴を掘らないで済むだろうと考え、瑞穂ちゃんからアクションを起こしてくるのを待つことにする。


 しばらく無言で駅に向かって歩いていると、不意に瑞穂ちゃんが芳樹のコートのそでをくいっと引っ張り、歩くのをとめさせた。


「ねぇ……あたしも相談あるんだけどさ」

「ん、相談? 何かな?」


 芳樹が瑞穂ちゃんの方へと振り返って尋ねると、瑞穂ちゃんは少し悩ましい顔を浮かべて答えた。


「私って、大学に進学した方がいいと思う?」


 瑞穂ちゃんから出た言葉は、芳樹の予想に反して意外なものだった。


「瑞穂ちゃん。大学に進学したいの?」

「それが、分からないの」

「分からない?」

「ほら、私って世間一般で言う、将来やりたいこと?みたいなものはもう現状達成できちゃってるでしょ? だから、仕事が充実している私は、学業をどうしたらいいのかってあまりよく考えたことが無くてわからないのよ」


 国民的知名度を誇る水戸瑞穂のことだ。

 これから問題を起こさない限り、大学に進学せずとも、芸能活動一本で活躍していけるだろう。

 だからこそ、大学へ進学する理由というのが、彼女にとって分からないのかもしれない。


「なるほどね……」

「普通の人ってさ、将来の夢を諦めて現実を認識して、その中から無難な選択肢を見つけて生きていくわけじゃない? 私にはその感覚が分からないから……」


 これはおそらく、瑞穂ちゃん特有の悩みだろう。

 普通の人達とは違う人生を歩んでいると分かっているからこそ、彼女は進学すべきかどうか分からないのだ。

 

 四月には瑞穂ちゃんも高校三年生になり、必然的に進学か芸能一本に絞るか、自身の進路について真剣に悩まなければならない時期に差し掛かってくるのだ。

 けれど、両親と疎遠状態の瑞穂ちゃんにとって、それを一人で決めるのは至難のわざ

 その悩みを打ち明けられるのは、家族同然の管理人である芳樹だけだったのだ。


「それは確かに、難しい問題だね」

「うん……」


 芳樹は腰に手を当てて、首を縦に何度か振る。


「よし分かった。なら、瑞穂ちゃんがこれからどうしていきたいのか。ゆっくりでいいから考えて行こう!」

「……手伝ってくれるの?」


 少々驚いたような目で見つめてくる瑞穂ちゃん。


「当たり前だろ。俺は寮の皆には幸せに人生を送って欲しいんだ。だから、大学に進学することが、瑞穂ちゃんにとって幸せになるかどうか。しっかりと見極めて行かないといけないからね」

「そっか……ありがとう」

「いいえ」


 マフラーに口を隠してしまう瑞穂ちゃん。

 寒さのせいか分からないけれど、頬は紅潮こうちょうしているように見えた。


「それじゃ、ひとまず駅に向かおうか」

「うん……」


 芳樹が手を差し出すと、その手をちょこんと掴んできて、恥ずかしそうにしながら歩き出す瑞穂ちゃん。

 こうして住人から頼られて、管理人冥利みょうりに尽きる芳樹なのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る