第68話 謎の行動履歴

 翌日、芳樹は管理人室に籠り、一人こそこそとPCで企業の機密情報に触れていた。

 PC画面に映し出された膨大な量の事細かに書かれた記録簿。

 その一つ一つのデータに目を通していく。


 芳樹が今見ているのは、八雲さんの秘書が書き記した八雲さんの行動履歴。

 ここに、何かヒントがあるのではないかと一葉さんは目論んでいるらしく、USBメモリーを手渡してきた際に。


「パパは多分、今でも未練を持っているはずよ。だから恐らく、彼女が今どこでどんな仕事をしているのかも把握していると思うの。この行動履歴に、必ず何かしらのヒントがあると確信しているわ」


 そう言って手渡されたのが、今眺めている膨大な量のデータである。

 勝手に社外に持ち出して、他者に見せていいものではない。

 芳樹は今、決して誰にも見つかってはならない極秘情報を前にしているのだ。

 まるでドラマに出てくる、企業データを盗んだスパイが他社の情報を盗み見ているような気分で、内心ドキドキしていた。

 仮にこのUSBを紛失したら、芳樹の首が飛ぶことは間違いないだろう。

 それぐらい、スリリングな仕事を任されていた。


「にしても、ものすごい量だな……」


 秘書の記録した行動履歴は、時間単位で事細かに一日のタイムスケジュールが書き込まれている。

 その文字の羅列を眺めているだけでも、頭が痛くなってきそうだ。


「というか、一葉さんも雲をつかむようなことを言いだすよな。仮に八雲さんが未練を残していて、どんな仕事をしているのか把握していたとしても、仕事の合間にこっそり会いに行ってるとは限らないし。ってかそもそも、どれが怪しい情報なのかもわからないんだよな……」


 芳樹は秘書検定を取得しているわけでもなければ、取締役というのがどういった業務を行っているのかもよく理解していない。

 少なくとも、一般人には分からないような会合や取引の交渉を行っているということだけは、その行動履歴から理解できる。


 集中力も切れてきて、スクロールして適当に流し読みを始めた時。

 行動履歴のところに、見覚えのある文字を見つけた。


『12月12日 正午 食事処 【かすみ】にて外食』


「んっ?」


 画面を思わず覗く込むと、そこに書かれていたのは、芳樹の実家のお店と同じ名前の飲食店だった。

 しかし、食事処【霞】など、全国を探したらいくらでもあるありきたりな店名である。

 恐らく、都内のどこかにある飲食店だろう。

 芳樹はそう感じた。

 けれど一応、その前後の予定も確認してみる。


『12月12日 午前10時より○○株式会社取締役××と会合』

『12月12日 午後2時 △△株式会社代表□□氏と打ち合わせ』


 昼食をとる前後に、二社との打ち合わせを行っている。

 芳樹はインターネットで、二社の事務所がある住所を調べた。


「えっ……」


 芳樹はそこで、驚きの声をあげてしまう。

 無理もない。

 その二社は両方とも、芳樹の地元に事業所をかまえる企業だったのだから。


 つまり、芳樹の地元にある食事処【霞】で八雲さんは昼食をとっていることになる。

 地元の街で食事処【霞】と聞いて、芳樹が知っている範囲では、少なくとも実家しか思い当たる店はない。

 けれど、実家である食事処【霞】は、何か地元の特産のメニューを提供しているわけでもなければ、地元客しか来ないような、こぢんまりとした飲食店である。

 わざわざ大企業の社長が食べに来るようなクオリティーではない。

 何かの偶然かと思い、芳樹はさらに過去をさかのぼってみた。

 すると――


『11月3日 正午 食事処【霞】にて外食』

『10月16日 正午 食事処【霞】にて外食』

『9月8日 正午 食事処【霞】にて外食』


 なんと月に一度、八雲さんは定期的に芳樹の実家の食事処を利用していたのだ。

 さらに秘書の記した情報には、誰々と共に会食とは書かれていない。

 要するに八雲さんは、一人で昼食をとっているのだ。


「……」


 もしかしたら、母なら何か知っているかもしれない。

 居てもたってもいられず、芳樹はスマートフォンで、実家の店の番号に電話を掛けた。


 三回ほどコールが鳴り、電話越しから元気な声が聞こえてくる。


『お電話ありがとうございます。食事処【霞】です!』

「あっ、もしもしつくしちゃん? 芳樹だけど」

『芳樹さん!? どうしたんですかぁー!』


 電話相手が芳樹だと分かった途端、アルバイト店員のつくしちゃんの声色が嬉しそうなものへと変わる。


「ちょっと用事があってね。悪いんだけど、母さんに代わってもらえるかな?」

『はーい! 少々お待ちくださいねー!』


 つくしちゃんはそう答えると、保留ボタンを押したのか、スマートフォン越しから穏やかな音楽が流れてくる。

 芳樹は深く深呼吸をして、自身の緊張をほぐす。

 しばらくして、保留音が鳴り止み、聞き馴染みのある声が聞こえてきた。


『はいよ?』

「あっ、母さん? ちょっと聞きたいことがあって連絡したんだけど……」

『なんだい? 忙しいから手短にお願いね』

「その……さ。笠間八雲かさまやくもさんって人、知ってる?」


 芳樹は意を決して、単刀直入に八雲さんという人物を知っているかどうか尋ねた。


『……』


 しかし、母からはうんともすんとも声がかえってこない。

 しばらく返事を待っても、何も言葉を返してこないので、芳樹は電話越しに問いかける。


「母さん?」

『……さぁね。聞いたことないわ、そんな人の名前』


 芳樹に促されると、母さんは少し不機嫌そうな声音でそう答えた。


「そっか……分かった。ありがとう」

『用件はそれだけかい?』

「うん」

『はぁ……そんなことだけでわざわざ電話をかけて来るな。今仕込みで忙しいんだ』

「それは悪かった。それじゃあまた」

『はいよ……』


 母は厨房に戻ったらしく、今度はつくしちゃんの心配した声が聞こえてくる。


『何を聞いちゃったんですか芳樹さん。明らかに清美さん、不快そうな顔してましたけど!?』

「いやっ、ちょっと昔のことで聞きたいことがあってさ」

『あんな清美きよみさんの顔、初めてみましたよ。この後機嫌悪くなったら、芳樹さんのせいですからね!?』


 ぶつくさとつくしちゃんが文句をらしていると、電話越しから鋭い声が聞こえてくる。


『つくしちゃんお客さんだよ! 油打ってないで仕事する』

『はーい!』


 母の声のトーンからして、明らかに機嫌が悪そうな感じがひしひしと伝わってきた。


『それじゃあ芳樹さん。また』

「うん。つくしちゃんも、頑張って」


 そう言って、芳樹は電話を切った。

 管理人室で、はぁっとため息を吐く。


「こりゃ、何かあったな……」


 つくしちゃんから聞いた母の表情や母の機嫌の変わり様から見ても、母と八雲さんの間に何かあったことを物語っていた。


「これはまた、一葉さんに相談だな」


 そんなことを思いながら、芳樹はPCをシャットダウンして、通常業務へと戻るのであった。

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