第60話 運命の話し合い②

 真っすぐに鉾田を見つめたまま、自分の意志を言い切った霜乃さん。

 その表情に迷いや後悔は見られない。


「それはつまり……俺と離婚したいって事かな?」

「えぇ、そうよ……」


 鉾田の問いにもはっきりと頷く霜乃さん。

 別れたいという意思をはっきりと示した。


「今まで一緒にやってきたじゃないか。どうしてそんなふうに思ったんだい?」


 霜乃さんの言葉を聞いて、怒り狂う様子もなく、鉾田の反応はクールなものだった。


「私は、もう自分の気持ちに正直になるって決めたの。これからは過去を振り返らずに、前を向いて生きていくって」

「前を向いて生きていくか。何か、霜乃に未来の目標でも出来たのかな?」

「えぇ、そうよ」

「具体的には? どういったキャリアプラン?」

「そ、それは……」


 具体的な目標を聞かれ、霜乃さんが言い淀む。

 その隙を鉾田が見逃すはずがない。


「具体的に何も決まってないのかい? それって、本当に前を向いて生きていくって言えるのかな?」


 理詰めするように、霜乃の選択肢を潰していく。


「わっ……私は、自分の趣味や価値観を否定したくないの。アニメ観賞やコスプレが趣味だってなんて言ったら、あなたは私の趣味を理解してくれるかしら?」

「もちろんさ。俺は今まで霜乃の好きなこともほとんど知らなかったからね。好きなことに没頭することが出来るなら大歓迎さ。お互いに出来るだけ理解を深め合って、またやり直せばいいじゃないか」


 そこで、霜乃さんは鉾田の提案に首を横に振る。


「いいえ。あなたは言葉ではそう言うけれど、私のことをひがんで、また前のように過ちを繰り返すでしょ?」

「僻む? そんなことするわけないじゃないか。それに、過ちって何のことだい?」


 鉾田は首を傾げて白を切る姿勢のようだ。


「覚えてないとは言わせないわよ。私に散々暴行を振るったじゃない。どれだけ私が苦しい思いをしたと思っているの……」


 ぐっと歯噛みして、霜乃さんは鉾田を睨み付ける。

 すると、わざとらしく鉾田が首を傾げた。


「確かに今までも、霜乃はそれを理由に俺と会うことを避けていたみたいだけれど、今までだって物的証拠が出てきていないんだ。今見た感じでも、どこにもあざは見えないよ? 全部霜乃の被害妄想だったんじゃないかな?」


 そりゃ、一年も経てば傷だって癒える。

 証拠がないから自分は無実なんだ。そう言い切って身の潔白を主張する鉾田。

 本当にいやらしいやり口である。

 そんなそらごとを言われたにもかかわらず、霜乃さんは感情を荒げることなく、終始冷静に鉾田を見据えた。


「……はぁ。あなたがそう言うなら、ここではっきりと言わせてもらいます。私はもう、あなたに好きという感情はないの」

「なら、これからまた好きになってくれればいい」

「そんなこと、出来るわけないじゃない」

「どうしてだい?」


 そこで霜乃さんは、自らの胸に手を当てて、柔らかい表情を浮かべた。


「私の心はもう、別の人に向いているから」

「ほう・・・・・・。ちなみに、それは誰かな?」


 鉾田は自分の妻に好きな気持ちがないと言われているにも関わらず、声を荒げることなく平静に尋ねた。


「そ、それは……」


 頬を染めた霜乃さんは、ちらりと芳樹の方を見つめてくる。

 霜乃さんから受けた熱い視線に、芳樹は思わず視線を逸らす。


「ふぅーん……そういうことか。つまり君は、そこにいる彼のことが好きなんだね?」

「えぇ、そうよ」


 はっきりと述べる霜乃さん。

 その答えを聞いた鉾田は、意味ありげに頷きながら、芳樹に不気味な視線を向けてくる。

 そして、ここぞとばかりににやりと邪悪な笑みを浮かべた。


「つまりこれは、俺から逃げ出した挙句、不倫したという認識であってるかな?」

「ち、違うわ! 芳樹さんとはまだそういう関係じゃ――」

「でも君はさっき、好きな人は彼だと言ったよね。婚姻関係にある俺がいるにも関わらず、他に好きな人を作った挙句、その人と一緒に住んでいるのだから、不倫関係に値すると思うけれど、違うかい?」


 確認の意を込めて、鉾田は一葉さんへ視線を向ける。

 一葉さんは黙ったまま、YESともNOとも答えずにただじっと腕を組んで黙っていた。


「ふっ……笠間不動産の跡取りが、わざわざうちの土浦くずにヘッドハンディングするなんてね。前から怪しい話だとは思ってたんだ。笠間不動産次期跡取りが自らプランディングしている事業で、男が女子寮の管理人をやっているなんて、そりゃおおやけには公表できないですよね。加えて、そこでうちの妻と不倫関係に会ったと知ったら、そりゃ私に顔向けできませんよね、笠間さん?」

「えぇ……そうかもしれませんね」


 一葉さんは目を瞑ったままそう答える。


「なら、私に対して、それ相応の対価というものが必要だと思いませんか?」


 形勢が逆転したことをいいことに、鉾田は上から目線で言いたい放題言ってくる。


「いいっすよ。今回霜乃のために離婚調停に乗っかってあげます。ただし、この件を全て公表されたくなければ、お三方には口止め料と慰謝料を払ってもらうことになりますがね」


 ついに化けの皮が剥がれ、本性を現した鉾田。

 元から鉾田は、霜乃への愛なんて持っていなかったのだ。

 これは、三人に対するいわば鉾田の復讐。

 自分の立場を利用して、三人から金をぶんどるための演技に過ぎなかったのだ。


「ほら、どうした? こっちは霜乃と離婚してやるって言ってんだよ。早くそれ相応の誠意を俺に見せろよ」


 自分の目的の為なら、どんな手を使っても辞さない。それが、鉾田という男だ。 


 重苦しい空気に包まれ、三人が窮地に追い込まれたかに思われたが、そこで突如、どこかからくすくすと忍び笑いが漏れ出た。

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