第61話 運命の話し合い③

 視線を向ければ、笑っていたのは予想外の人物だった。


「あ“ぁ? 何がおかしいんだ霜乃」

「ホントに、愚かな人」


 霜乃さんは鉾田へ嘲笑する。


「はぁ? 愚かなのはお前の方だろ。自分の立場分かってるのか?」

「ふっ……」


 そこで、ついに芳樹は耐えられず、くすくすと笑い声をあげてしまう。


「おい、土浦くず。てめぇ元上司に向かって何様のつもりだ?」

「まだ状況が分かってないみたいですね」

「あ“ぁ? 状況が分かってねぇのはてめぇらの方だろうが。オメェらは不倫してんだぞ! 俺は被害者だ! もっとこうべを垂れて膝まずけ!」


 鉾田は憤慨した様子で立ち上がり、芳樹を指差して激昂する。


「鉾田さん」


 そこで、凍えるような冷たさを含んだ声を一葉さんが挙げた。


「あ“? なんだよ笠間のババア。俺になんか文句でもあるのか?」

「これを見てください」


 一葉はにっこりと微笑みながら、取り乱すことなくスッとテーブルの上に数枚の写真を置く。


「なっ……」


 そこで鉾田は明らかに動揺した様子を見せた。

 写真に映っているのは、ぼろぼろの衣服に身を包み、全身あざや傷だらけの霜乃の姿。


「なっ……なんだこれは!?」

「見ればわかるでしょ? あなたが傷つけた霜乃の痛ましい身体よ」


 そう、ここまではすべて鉾田の化けの皮を剥がすためのお芝居。

 鉾田の目的を暴き出すための演技に過ぎなかったのだ。


「こ、こんなの、今までの話し合いで証拠として突き付けたことなかったじゃねーか……」


 明らかに狼狽した様子の鉾田。


「当たり前でしょ。最後の隠し玉だもの。見せるわけがないじゃない」


 終始淡々と鉾田に物的証拠を見せつけ、理詰めしていく一葉さん。

 霜乃さんが鉾田と別れたいという意思表示を示した今、一葉さんに慈悲の心は全く無い。

 完全に鉾田を潰しにかかっていた。


「さぁ、あなたには物的証拠があるかしら? 言質だけで物事を判断して、私達からお金を根こそぎ奪い取ろうなんて浅はかな魂胆、愚かとしか言いようがないわ」

「言質だけでも十分な証拠だろ。こいつは不倫してんだぞ?」


 そう言って、霜乃さんを指差す鉾田。


「あら、ごめんなさい。どうやら勘違いしているようだけれど、私が芳樹さんに向けているのは異性としての好意ではなく、管理人として尊敬の意を示した好意であってラブの方ではないわ。勘違いさせてごめんなさい」


 したり顔で霜乃さんが微笑む。


「て、てめぇら。俺を図りやがったのか……」


 鬼の形相で三人を睨み付ける鉾田。

 だがしかし、ふっと破顔する。


「ふっ……別に構わない。物的証拠があろうが、俺が実際に手を出したという決定的証拠はないんだからな。どちらが世間にとって悪評が悪いか、正々堂々勝負と行こうじゃねぇか」


 どうやら物的証拠がなくとも、鉾田は勝負に挑んでくるらしい。


「あら、いいのかしら? こっちにはまだまだあなたの証拠が沢山あるのだけれど?  仕事をさぼって昼間からガールズバーに入り浸り、そのお金を会社の領収書として発行した財務履歴。一年前から不倫している女性からの金銭的援助。ホテルへと入り浸る写真の数々。すべてお見せしましょうか?」

「なっ……」


 こちらは鉾田の悪行を全て握っている。

 だからそこ、一葉さんは終始余裕の表情を浮かべているのだ。


「私を敵に回したのが悪かったわね。これくらいのこと、笠間不動産の権力を行使すればいくらでも調べ上げることが出来るのよ」


 昨夜、一葉さんの違和感に対して、霜乃さんの一言で、謎が全て解けたのだ。


『結婚した時点で、恐らく彼は私に好意なんかなかったと思うの。興味があったのはおそらく、私の両親が残してくれた遺産よ』


 そう、初めから鉾田の中で霜乃に対する愛などなかったのだ。

 全ては、霜乃のご両親が残していった遺産目当て。

 けれど、一年前に霜乃が逃げ出したことにより、鉾田は金銭的余裕を失ってしまった。 

 つまり、何故鉾田が芳樹と一葉同席で話し合いの場を設けたか。

 一葉さんの世間体立場を利用して、お金を払わせることだったのだ

 そこで鉾田の思惑に気づいた三人は、最初はあえて鉾田が有利になるように仕向けてから、一葉さんが今まで掴んでいた物的証拠をすべて開示するという方法に出ることにしたのだ。

 一葉さんはあらゆるコネクションを駆使して、霜乃さんが逃げてきてからの一年間。

 鉾田の行動を逐一情報収集していたのだから、末恐ろしい行動力である。


「鉾田さん、喧嘩を売る相手は選んだほうがいいわよ」


 鉾田を憐れな目で見つめる一葉さん。

 まさに敵に回したくない相手とはこのことである。


「さっ、ここにサインを頂戴」


 そう言って、一葉さんがファイルの中から取り出したのは離婚届。


「けっ!」


 鉾田は離婚届を一葉から奪い取ると、乱雑な字で名前を書き印鑑を押した。


「はい、離婚完了♪」

「おのれぇぇぇぇ……笠間ぁぁぁぁぁぁ!」


 怒り狂った鉾田が負け犬の遠吠えをあげる。

 その中で、一葉さんがにやりと微笑む。


「THE ENDね。あとは弁護士と相談して任せることにしましょう。ふふっ……あなたのこれからが楽しみだわ」


 心底楽しそうな笑みを浮かべながら、一葉さんが後片付けを始める。


「さっ、二人とも。行くわよ」

「は、はい……行きましょう、霜乃さん」


 芳樹が促すが、霜乃さんは目の前にいる鉾田をすっと見据えていた。

 企んでいた計画が破綻し、鉾田は力任せにぐしゃぐしゃと頭を掻き、『あぁぁ!』と怒りの感情に任せて地団駄を踏んでいる。

 そんな獣のような鉾田に向けて、霜乃さんは柔らかい口調で語り掛けた。


「あなた……」

「あ“ぁ!?」


 鉾田は霜乃さんにガンを飛ばす。

 けれど、霜乃さんは怯えた様子も幻滅した様子もなく、ただにっこりと柔和な笑みを浮かべて微笑んだ。


「今まで、私を大切にしてくれてありがとう。幸せだったわ」


 その笑顔は、恐らく霜乃さんの本心から出た言葉。

 だから鉾田は、今までの怒気を殺がれたように、唖然とした表情で霜乃を見つめている。


「さようなら……」


 そして、右手の薬指に嵌めていた指輪を外してゆっくりとテーブルの上に置くと、霜乃さんはすっと立ち上がり、会議室を後にする。

 ただ、席を立って踵を返す際、彼女の目元から光る水滴が零れ落ちたのを、芳樹は見逃さなかった。

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